空間的縁起と論理的縁起の違いとは?
どちらも相依相関を示す縁起の筈ですが、私には両者を区別する根拠が理解出来ません。
空間的な因果関係を示すのが空間的縁起であり、論理的な相依相関の関係を示すのが論理的縁起ということでしょうか?
また、龍樹の論理的縁起と華厳の法界縁起の最たる違いは何なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「縁起」について
akbcde様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
もう7年前の論考になってしまいますが、下記拙考におきまして、「空間的縁起と論理的縁起」につきまして述べさせて頂いております。
http://oujyouin.com/enginorikai3.html
また、「法界縁起」に関することにつきましては、下記の中にて扱わせて頂いております。
http://oujyouin.com/enginorikai8.html
その中で、「法界縁起」に関しましては、「・・改めまして世俗諦と勝義諦の二諦からまとめますと、時間的縁起・空間的縁起・論理的縁起が世俗諦としての扱いの縁起として、如来・悟りの勝義諦的なところから観た縁起が、華厳思想の「重重無尽の縁起」と言えるのではないかと考えます。・・」と述べさせて頂いております。
上記それぞれは、もうかなり古い内容ですので、色々と修正したいところもありますが、現在における正直な拙見解と致しまして、時間的・空間的・論理的縁起のいずれにせよ、「縁起」については、「実体・自性・自相」による成立の否定についての意義、「空」の理解へと向けてと共に、もう一つは、世俗世界における存在のありようの理解についての意義、つまり、存在の顕現についての私たちの認識のありようについての理解へと向けたものとして把捉していくのが妥当になるのではないかと存じます。
華厳経の説いている「法界縁起」については、上記のように、如来・悟りによる勝義諦的なところから顕現をみた場合における(表現できない世界についてのできる限りの表現的な)表現による世界観であると考えております。つまり、我々の考えている「縁起」とは次元の異なるものになるのではないだろうかと存じております。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
回答有り難うございました。
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