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毎日夜が不安です

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初めて質問します。

僕はかなり気にしすぎたり、怖がりな正確なので心霊の話を聞いたりふと思い出したりするとずっと不安になってしまいます。

他にも死(死にたいとは思わないです)や将来について不安になったりします。

これらのことは全て夜に起こります。

昼間は普通に元気に学校行ったり、遊んだりしていますが、

夜になると自分の部屋で一人になっている時にそのような不安に襲われます。

他の人に相談すると気にしすぎと言われ流されてしまいます。

どうしたらこのような不安が無くなるのでしょうか。

御回答宜しくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その心霊をつかまえて持ってきて下さい。

あなたが恐れているのは、心霊ではない。
あなた自身の思いに恐怖しているに過ぎない。
心霊というものがあるらしいぞ、と外部から情報として聞いて、それをうやむやのまま迂闊に信じ込んで、心霊ということの正体・実質を、よくわからないままに取り扱って、心霊というものが、あたかも外の世界に本当に存在するかのように誤解している事こそが恐怖・不安の原因です。
 本当の心霊とは、あなたが心霊というものを勝手に想像して、思い描いた自分の思いであるという事を見抜けば心霊は文字通り、自らの心の思いであることを悟り、心霊という自分の思いの中に沸き起こる、自分の恐怖心に振り回されなくなります。
それは、ただ単に心で生み出した影、まぼろしに過ぎない。
「恐怖や不安は無知より生まれる。明らかにしる事によって恐怖不安は即滅する。」
「ありもしないものをあたかもあると思う。これをこそ心のなせるわざ、心霊とこそいうべし。」了叡

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

暗い=暗い

想像の世界ですね。
雨=嫌なもの
晴れ=いいもの
など勝手に人間は自分の思いで決めつけてしまう事がたくさんあります。

テレビなどで見たホラーは、
今、目の前の暗闇とは全く関係ありません。怖がる必要はありません。
暗い=怖いではなく
暗い=暗い というだけです。
ご安心ください。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

ピントを合わせない

とりとりさん、はじめまして。

夜、闇、暗い、不安ですね。
でも、同じ場所にいても、昼間はなにも思わないのではないですか?

暗がりがあるから、その向こうに何があるかわからない。
部屋の明かりはついていても、外は暗闇だから何かいるかもしれない。
暗闇では足下さえよく見えない、何が起こるかわからない。
死んだら暗闇なのではないか?
将来のことは暗くて見えない、もし何科あったらどうしよう。

そんなことが恐怖を生んでいるのでしょう。
心が一度不安を感じると不安が不安を呼んでどんどんエスカレートしていきます。

でも、考えてみて下さい。
昼間でも日陰はありますし、壁の向こうは見えません。
でも、そこにはなにもありません。

ないから怖くないいのではなく、ないと思っているから怖くないのです。

逆に言えば、
明るいときに物音がしても「なにかな?」で通り過ぎます。
暗いときに物音がすると、同じ音でも「こんな時間に音がするわけがない」と思っているから不安になりますが、毎日同じ時間に音がするなら、いつの間にか「またか」となります。

嬉しいことがあってウキウキしている夜に不安な思いをしたことがありますか?
楽しく遊んで、遊び疲れて寝ているときに恐怖を感じたことがありますか?

おそらくないはずです。
あるとしたら、その間に何かワンクッション入っているはずです。

では何故怖くないのでしょう?

答えは簡単で、そこにピントが合ってないからです。

ラジオでもテレビでも、周波数やチャンネルを合わせなければ、目指す番組は聞こえませんし映りません。

将来や死も、今あることではありません。
考えるのはそのうちにして、今は目の前のことを考えましょう。

楽しいことを考えるとか明るい音楽をかけるとか、そこにピントを合わせない方法を考えれば、嫌なことを考えたり不安になることも減ると思います。

試しにやってみて下さいね。

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おきもち

質問者からのお礼

邦元さんありがとうございます!!

邦元さんのお言葉に勇気づけられました!

丹下 覚元さんありがとうございます!

お礼が遅くなってしまって申し訳ございませんでした。

丹下 覚元さんのおかげで気が楽になりました!

受法寺
小原観慈さん

かなりお礼が遅くなって申し訳ございません。
言われてみるとその通りです!
すごく気が楽になり、今では不安は感じません!
学校のテストに関しては少し不安ですが(笑)
本当に有り難うございます!!

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