後悔してばかりしている性格を変えたい。
私は何事にも後悔してばかりでなかなか前向きな気持ちになれません。
なにか失敗するといつも「あの時、こうしておけばよかったのにどうしてこうしなかったのか」と後悔してしまい、いつも自分を責めてしまいます。こんな性格を直したいのですがなかなか治りません。どうしたらこの性格を治せるのしょうか?
後悔してばかり
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「失敗」というレッテルに振り回されないようにしましょう
人は誰でも失敗します。あなただけでなく、私も失敗します。後悔することもしばしばです。でも、科学者は失敗から新しい発見をします。実は、私たちにも失敗を通して新たな道が開けてくることがあるではないでしょうか。これは、私たちは一つひとつの行いに、これは「成功」、これは「失敗」というレッテルを貼っているにすぎないことを意味しているのです。毒が薬になることもあれば、薬が毒になることもあるのと同じです。つまり、大切なことは、そのようなレッテルを私たちの行いに貼り、それに振り回されることではなく、「私は何をしたのか、そしてその結果どうなったのか」という因縁によって物事は生起するということに、目を向けることです。なお、これは「失敗」という意識を持つことの否定ではありません。失敗という意識を持つことは、一方では大切なことだと思います。(あくまでも、「失敗」というレッテルに振り回されないことです。)失敗という認識を持つことは、物事をより良い状態に持っていこうとする力になります。また、失敗という経験を持つ人は、相手の失敗も許せるのではないでしょうか。(もちろん、許せない失敗もありますが…)「失敗」という経験は、あなたを思いやりのある人に育ててくれると思います。
以上、私からのアドバイスです。少しでも参考になれば幸いです。
それが失敗化されるのはいつ、どこで、誰がやっているのか?
(´-ω-`)←「私の顔は失敗作である。」とします。
それは、何処の何が何時から失敗であるというのでしょうか。(笑)
誰がその判断・ジャッジを下すのでしょうか。₍泣₎
何歳の時から失敗と言えるのでしょうか?
☆それは、私自身がそれを自分で失敗なんだと思いこんだ時だけです。
◎それを忘れている時は、失敗でも何でもありません。
△「失敗ではないよ」と言ってくれる人がいても、本人が失敗だと思い込んでいれば、失敗化されてしまうのです。
自分でイケていると思っていれば、周りがいくらダメ出しをしても失敗ではありません。
イチロー選手も、失敗かどうかは乗り越えてみてからでないとわからない、と言っています。
失敗は、失敗という思い、一時的なジャッジなのです。
一時的なジャッジで自分をネガティブにさせてはいけません。
失敗という思い、ジャッジを働かせたときにだけ、「そのこと」が失敗❝化❞失敗❝ナイズ❞されます。
☆ココ大事☆【事実は、その通り】なのです。
空振りしても、落っこちちゃっても、フラれても、ミスしても、やらかしても、それがその通りそのまんま。それがいつでもの真実のすがた。仏法なのです。
交通事故は、事故を起こした瞬間だけが、交通事故です。
それを永遠の負の砂漠にしてはいけません。
私も過去に多くの失敗をやらかした失敗ダーマンです。
ですが、私はそこの失敗の沼にいつまでもハマってはいません。
今の目の前の現実をしっかり生きていればます。
事実はその通りでしかない、という事を知るべきです。
それが仏道です。
そこに失敗のラベルを貼るのか、教訓のラベルを貼るのか、軌道修正、学び、向上、発見、ターニングポイント、再スタート地点のラベルを貼るのか、あなた次第。
私?私は、そんなラベルも貼りません。
ただ、いつも目前を生きています。
雨男なんていません。もちろん晴れ男も。
まず、「もしこうだったら」は存在しないので、考える必要はありません。
世の中の出来事はすべて、因縁によっておこります。ですから、ご自分の決断も、その時は良いと思ったわけで、自信を持って良いのです。失敗し、後悔すると、すべて自分が悪いと思い込む癖があるのでしょう。
そのうち何の根拠もなく、わたしは雨男だなどと言う方もいます。
ご自分をただ負のスパイラルに巻き込んでしまっているだけにすぎません。
一人の人間の力だけで世の中の悪い事を引き付けるなんてないですよ。そんな力ありません。ご安心ください。
さまざまな条件が重なり結果がでるだけです。
きっと良い事もたくさんあっても、気付かなく通りすぎてしまってますよ。かわいいお花が咲いたのを見つけた。とか、好きな人ができたとか。空が綺麗だとか。良い事探しをして、そういうご縁に感謝し、謙虚に生きてください。
後悔を反省に変えていく
マッピーさん
あの時、こうすればよかったという気持ち
良くわかります。
後悔をして、自分を責めてしまうのは
それだけ、真摯に生きている証拠だと思います。
過去と他人は変えられません
ただ、受け止め方は変えられるかもしれません。
人間である限り
万全を期しても、間違いを犯してしまうと思います。
その間違いをどう今後に生かすのか
人間は悲しいかな、間違いを犯してしまう。
ただ、その間違いを間違いのままにしてしまうことが
本当の間違いなのだと思います。
後悔を反省に変えていく
自分を問う眼は変えなくていいのではないでしょうか。
質問者からのお礼
たくさんのアドバイスありがとうございました。
アドバイスを参考にしながら少しずつ改善していこうと思います。