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4歳娘の頬を叩いてしまいました

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よく泣く娘の事で悩んでいます。娘は赤ちゃんの時からよく泣く子でした。自我が芽生えたいやいや期では、毎日癇癪で私は円形脱毛ができるほどでした。それでも娘の自分でやりたい気持ちに共感し、ダメな事はダメだけれど、怒鳴ったり叩いたりはしないように育ててきました。
現在年少ですが、癇癪はだいぶ無くなりましたが、毎日のように泣いています。
その理由も「ママが先にトイレに入った」だとか、「話したいのにママのせいで何を話すか忘れちゃった」だとか、そんな事で泣くのです。その度になだめたりいけない事は叱ったりしています。
今朝も家族みんなで元気に朝ごはんを食べてスキンシップもたっぷりして機嫌よく幼稚園に行こうとしたのに、家の階段で立ち止まりモタモタしていたので「早く降りないと幼稚園間に合わないよ」と言って先に階段を降りたら、私をぬかしたらダメ!と言って泣き出しました。幼稚園へ行く為の電車の時間もあるし、はじめは優しく「1番になりたかったら立ち止まらないで先に行けば良いんだよ」となだめていましたがいつまでも泣き止まず、私もイライラしてきて「もう毎日毎日いい加減にして!何がそんなに気にくわないの!」と言ってほっぺを叩いてしまいました。結局電車には乗れず、幼稚園へ連絡して車で送っていきました。
幼稚園に着く頃には落ち着いて私も叩いた事を謝り、娘も謝り仲直りしましたが、毎日こんなやり取りでノイローゼになりそうです。デパートなど人が多い所で泣かれると「ワガママな子とダメ親」をさらけ出してるようで惨めになります。正直、まわりのお友達と比べても、私が母親として甘やかしてるだとか、逆に厳し過ぎるというような事もないと思います。こんなに泣く心当たりがありません。
どのように接したら娘の感情のコントロールがうまくできるようになるのでしょうか?
長文失礼いたしました。
(兄弟はいません。幼稚園ではお友達にも優しく先生とも仲良く楽しんでいるようです)


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そのこは80歳から最強の生物になります。

…と、考えてみましょう。
私のところの4歳の子供も同じです。
ママじゃなきゃヤダ、これはお父ちゃんじゃなきゃヤダ。
一等こだわりがあるようです。
その子の花が咲くのはそれを乗り越えてからなのです。
ダイエットにハマったある人が14歳くらいのとき、ほとんど食事をとらなかったら30代で骨粗鬆症になってしまいました。
そういう方がいます。
その子も同じです。
今は、ママを困らせてあー!面倒!と思うでしょう。ですが、ちょっと、それを捨てて、自己投資だと思って今は敢えてお子さんのSOSウェンウェン(泣)にサポートをする、というだけでいいのです。
その場の、その子の母親の愛情を振り向けて満たしてほしいよ、という渇きを愛情表現たっぷりに愛を言葉に出して、受け止め潤してあげてください。
「なんで、こんなことできないよの!」ではなく、
「ちょっかー♡(*'▽')これしたかったんだー。よかったねぇ。ママも嬉しいナァ」と一緒にその子と、そこで、幸せの風船を毎回膨らませるのです。
毎回色は違います。
一日7つくらい、一緒に膨らますんだ🎈と思ってやってみてください。
だんだん不機嫌チャンからゴキゲンちゃんに代わって、愛に満たされ、今度はその子があなたに愛のオコボレをお返ししてくれるようにもなります。これってとっても大切なわが子への愛の自己投資なのです。
修行道場では朝のお勤めが眠くて、ちょっと目をつぶるだけですぐに寝ていたと判断して、その後も何時間も正座で座らせるひどいいじめがありました。寝ているようにみえるだけです。本当は、寝ないように頑張っている姿なのです。お子さんも同じです。ママを困らせやがって、ではないのです。
とっても、心の中で哀しいことがあって、子供だからそれを事こままく上手に表現ができなかったりしているので、不機嫌になったり、怖い思いを心の中でやっているのです。
そして、それをままが分かってくれないから「どうしてWHYママなのに分かってくれないのよ、シギャピー(泣)」なのです。
モチロンそうでない場合もあります。
ですが、まず今日は、泣き止ませよう、ではなく「ああ、そうとは知らず、ごめんなさいね。ごめんなさいね。」というつもりで7回付き合って、7色の風船を一緒に膨らましてください。
いつの間にか二人とも心に虹が✨してます。
ああ、これのことか、と分かるまでやってみてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

となりの芝生は

本文拝読致しました。
奇遇ですね。ウチの子供も4歳(男の子)です。
ウチも毎日ギャーギャーわめいたり怒ったり泣いたりしてます。
さすがに激しく手をあげる事は有りませんが、ホントに悪い事をした時はゲンコツくらいはします…Σ(゚д゚lll)
となりの芝生は良く見えるものです。他所の子供はみんな賢く見えてしまうだけですよ。
私も出かけた先で息子がワガママ言ってひっくり返ったりすると情けなくて『とうしてウチの子は…あの子はあんなにいい子なのに』とのその子と比べてしまいます。
ですが、自分が子供を連れずに買い物に出かけた時に他所の子供が泣き叫んでてもあまり気にはなりません。だって仕方無いじゃん!くらいの気持ちで見てるので。
それを思った時に「あぁ、ウチもそんなもんだな。そこまで恥ずかしく思わなくても…」と思ったら気が楽になりました。
いずれにせよ、悪い事した時は叱らないといけないですよね。
でも叱った分、私はギューっと抱きしめたり頭撫でたりします。叱った分の倍くらいはそうしてスキンシップ取ります。そして楽しい事をたくさんしてあげます。
niconicoさんも、どうかあまり気になさらずに怒るときは怒って下さい。でも、怒ったら怒った分、いやそれ以上に抱きしめてあげて下さい。きっと伝わりますよ。

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個別相談可能
新潟県にある真宗大谷派の住職です。 寺に生まれ、寺に育ち、宗門の大学を出ました。しかし実は元・呉服問屋の営業マン。お寺にすんなりと帰らずにいい歳まで反抗期?でした。 現在は自坊の副住職として法務を勤めています。自坊では「寺カフェ」「寺ヨガ」、婚活イベントなど色々やっています。
夜でも可能ですが、平日の日中でも可です。ただ、お参り等があるので午前中よりも午後の方が比較的時間の調整はできるかと思います。

小学生になるまでは毎日泣いても普通

うちには年長の子供がいますが、まだまだ毎日のように泣いています。
幼稚園の子供が毎日泣くのは普通です。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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