落ちるとこまで落ちた
こんばんは
私は落ちるところまで落ちてしまって、もう這い上がることができません。
大学三回生です。
2回生の夏あたりから学校に行くのがめんどくさくてさぼるようになりました。授業を平気で捨てまくるようになりました。そのときは「ここまで自分はクズになれるのか」と罪悪感でいっぱいになりました。ズルズルと冬まで続いて、ろくに単位がとれず3回生になりました。
しかしもっと悪化しました。全休(大学の1日のコマを全て休むこと)をいっぱいしています。その発端が夏休みで、バイト以外毎日やることがなく、夕方5時ころまで寝て、起きてバイト行って、朝方寝てまた夕方5時から起きるという生活を何日もしていました。昔は昼まで寝ると頭が痛くなり調子がよくなくなったものですが、今では平気でずっと寝ていられます。
学校の勉強とは違うものに興味が湧き、そちらを一生懸命やっているわけでもなく、なにか辛いことがあって家に引きこもっているわけでもありません。
ただ、何もしたくないのです。何も考えたくない。やる気も出ない。
そうやって毎日堕落した生活をし、嫌なことから全て逃げ、目を背け、やりたいことだけしていた結果、こんな生きる希望もやる気も何もない人間になってしまいました。能力がなく、何もできないくせに努力もしなければ人に聞きもしない。生きるのが辛いというよりは、もう何も考えたくなくて、毎日死んでしまいたい(消えてしまいたい)と思って暮らしています。
もう落ちるとこまで落ちました。けれど私はさらにまだ落ちれることを知っています。ここが底だと思ったのにそれ以下があった、という経験を何度もしてきています。
たまに、部屋の片付けをした時とかに、更生したい、逃げない人間になりたいと一念発起することがあります。あれしようこれしようと考えます。でもできません。続かないのです。こっちの堕落した生活と性格に慣れすぎて、もう安易に昔の真面目な自分には戻れないとわかりました。
更生するには遅かったようです。人生の目標も夢も希望も生きがいもありません。
なにかとてつもなく重要な、大切なものをなくしてしまったようです。
考えも文章もまとまらすすみません。
どうしたらこの生活から脱却できるのでしょうか。
善行より悪行の方が遥かにハマりやすい。水は低いところに流れますね。身をもって体感しました。
他人を羨ましがってばかりいて自分自身を見つめられない・怠惰
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
方向転換して!
今から、
>私は落ちるところまで落ちてしまって、もう這い上がることができません。
そんなことを言っててどうするの?
どうせ、落ちたなら、違った人生やり直そうと這い上がってください。
だって、まだ20歳でしょう。
恋愛した?愛する人とめぐる会えた?楽しい事一杯した?友達とたくさん遊んだ!
自分のいいところ見つけた!そして親孝行した!
とりあえず、今の生活環境を変えましょう。
このままでは変えれません。大学のことも考えてみましょう。
>安易に昔の真面目な自分には戻れないとわかりました
真面目でなくても、真剣に生きればいいので、自分のできることから始めてみましょう。
まず、日中のバイトに変えてはどうでしょうか
夜型の生活は次第次第に心身ともに疲れが溜まってきます。
疲れすぎると、どうしても自分自身や周囲への見方が後ろ向きになります。
疲れている時に、急に何もかも変えるのは大きなエネルギーが必要で難しいでしょう。
まず、日中のバイトに変えて生活のリズムを昼型にしてみてはどうでしょうか。