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人間関係が煩わしく辛い

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私は昔から人と関わるのが苦手でした。家族とさえうまく付き合えず、父母に対し毎日ストレスを感じて生きていました。
社会人になって一人暮らしを初めて、解放的で充実した毎日を送れていたのですが、今度は会社の人間関係にストレスを感じるようになってしまいました。

挨拶することはおろか、上司への報告や先輩への相談なども億劫になり、なんとかして避けられないかと毎回考えてしまいます。

このように、人付き合いから逃げたいとか、人と関わりたくないとか、そんな事ばかり考えてしまう鬱屈した日々を送るのが辛いです。

人との関わり合いを好きになるにはどうしたら良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

挨拶と感謝の気持ちを

北海道の浄土宗のお坊さんです、こんにちは。
私もみやけさんと同世代です、よろしくお願いします!

色々と溜まってそうですね、どうにか心にゆとりが出来るよう、私も一緒に考えさせてもらいたいと思います。人との関わり合いを好きなるには、まず相手を受け入れることから始まるのではないでしょうか。

つい最近、「人生の豊かさは出会いの量による」みたいな言葉をネット上で見たことがあるんですが、その通りだなあー、と思います。みやけさんも、これから先の人生色々な人と出会い、その中で色んな智識や価値観を知り、自分というものが出来上がっていくでしょう。
「出会う、人と関わる」ということを苦に感じているようですが、逆に「出会う、人と関わる」
ことは、自分自身の成長にも繋がるし、視野も開けていくはずです。

人は一人で生きているようですがそうではありません、色んな見えない「おかげさま」によって生かされています。おかげさまというのは、例えば、私達には目があって、その目が景色を見ているようですが、実際には光が無ければ何も見えなくなってしまいます。つまり目が見てるのではなくて、光が見させてくれているのです。こういうなかなか気づかないけどありがたいことに感謝するのを「おかげさま」と言います。

みやけさんは、今までご両親に対しストレスを感じてきたようですが、その状況というのは今のストレス環境となんだか被ったりすることもありませんか?
色々と反発はあって生活してきたのかもしれませんが、社会人になるまで育ててくれた、一番近くにいた感謝すべきご両親に、まず感謝の気持ちと、挨拶や少しの対話から改めて始めてみてはどうでしょうか?もしくは身近な人で話しやすいなと思う人でもいいでしょうね♪

自分から話しかけるという、その一歩を踏み出すことはとても勇気がいるかもしれません、だけど今の状況を良くしたいと願うのであれば是非やってみましょう!!
挨拶をする、感謝の気持ちを伝える。人間関係を良くする最も大切な方法です、これらのことから自分のペースでゆっくり始めましょう、長い人生です、焦ることはありませんよ!

一度きりの人生、どうせなら明るく楽しく生きましょう♪

筒井章順

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有り難し
おきもち

北海道の函館市で副住職として活動中。 函館を愛し地元を盛り上げていけるみんなのお寺を目指します。 どんどん絡んでくださいね。 明るく楽しく生きるのが毎日の目標 ギターを入れた法話などもやってます 好きな食べ物はカルボナーラ

主人公過ぎない事

人間「誰もが自分が主人公」です。
ここまでは小学生でも知っています。
ですが、「誰もが主人公」なのです。
え、同じじゃねえか?(゚д゚)!
違います。
「みんなが主人公なのです」
ここを1センチはき違えると、みんなの中の自分だけが「主人公過ぎる状態」になるのです。
誰もが主人公であるということは、そこに互いの尊重が必要になってくるのです。
そこに気づくのがちょうどあなたぐらいの年頃でしょうか。
AKBでも自分自分、アタシアタシしているメンバーは大人から見れば❝がつがつ❞しているかんが否めません。
ア~タシが主人公ー。
ア~タシの面白くないことは、カンベン。
ア~タシの面白い事だけウェル来ム。
これじゃぁ。友達いなくなりまっせ。人間関係もツマランです。
ぶっちゃけ、心の奥底にそういう気持ちが人間誰にでもあるのですが、それでも、みんながそれぞれ主人公ですから、それぞれを引き立ててあげなければいけないのです。
テレビの主人公は違います。
日曜日の朝にやっているプリキュア系や、ヒーロー系は、登場人物はソコソコいますが、やはり主人公は「一人」に限定されます。
どうしても、あたしメイン、オレ、メイン。お前、アンタたち、サブ。
そういう図式で友人関係をみていくと、どうしても浮いてしまうことがあります。
花をもらう主人公もいます。
花を持たせてあげる役の主人公もいます。
花を育てる主人公もいます。
花を眺める主人公もいます。
花を探しに出かける主人公でもいいと思います。
つぼみという主人公もいます。
ここはhasunohaです。ハスの華も主人公ですが、葉っぱだって十分に役に立っています。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人は一人では生きていけません・・・

お疲れ様です。みやけしゅうこ さん
私の考えを述べさせていただきます

人間関係は煩わしいものです
それは避けることはできません
ある意味仕方ない、しょうがないと思うことでしょうか

ぜひいろいろな人と出会ってください
その中できっといろいろな人がいることを知り
どこか楽しくなってくるかもしれません
騙されたらと思ってぜひ実践してください

            合掌

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有り難し
おきもち

人の寄り添える僧侶をテーマに活動中! 僧侶、理学療法士、心理カウンセラー  それぞれの立場を活かして 現在における僧侶像を確立するべく こころ・からだから笑顔になれる人を増やすべく仏教用語から由来して「わげんせ」という活動を通して、日々模索しながら動いております ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください

環境によって人は変わっていくものです

みやけしゅうこさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

みやけしゅうこさんは人と関わるのが苦手で、家族とも上手くつきあえなかったのですね。社会人になって一人暮らしで開放感を味わうのもつかの間、職場での人付き合いが億劫で逃げ出したいと思うのですね。

人はみやけしゅうこさんの思うようにならないものです。それが煩わしく、億劫になる原因です。どうにかして、思うようにしたいと考えるのでストレスなのです。

弘法大師空海は、「環境によって心は変わるものである。心を清めれば環境もきれいになるものだ」といいます。
イヤだイヤだと思っていると、それに従って環境が悪くなっていきます。逆に、人は思うようにならないものとしてお付き合いしてみると、相手は鏡のように思うようになるものです。

みやけしゅうこさんの周りで起こっていることは、ご自身の鏡なのです。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

筒井様
ご回答いただきありがとうございました。
今の私は視野狭窄の状態になってしまっているんだと気付きました。会社の先輩や両親の、あたたかい好意や思い遣りに気付かずに、自分は不幸だ、恵まれていない、などと思い込んで不貞腐れ、人を避けていたようです。もっと視野を広げて、人の気持ちを考えられるようになりたいと思います。そのためにまず挨拶から始めてみることに決めました。
背中を押していただき、ありがとうございました。

鈴木様
ご回答いただきありがとうございました。
仰る通り、世間にはさまざまな考え方や価値観を持つ人が居るのですよね。それなのに私は、自分の両親や職場で出会った人、たった十数人だけを見て「もう人付き合いなんてしたくない」と逃げの姿勢を取ってしまっていました。これからは自分から積極的に、人との出会いの場に足を向けてみようと思います。ありがとうございました。

中村様
ご回答いただきありがとうございました。
私は「この人がもっとこうだったらいいのに」とか、「このルールが無くなればいいのに」など、周りが変化することを望み、それが叶わないことに不満・ストレスを感じていた、ということなのですね。今後は、良い意味で諦めをつけて、「まあこんなものだろう」と、他人を、現実を、受け入れてみることにいたします。
ありがとうございました。

丹下様
ご回答いただきありがとうございましした。
厳しいお言葉に耳が痛いです。私は自分が思っているよりずっと自己中心的な人間だと気付かされました。自分の痛みや苦しみだけに目を向けて、身勝手に振る舞い、まわりの方がたの迷惑や苦しみについて考えようとしていませんでした。
筒井様へのお礼でも述べましたが、人の気持ちを考えられる人間になりたいと強く思いました。
ありがとうございました。

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