いつやるの
昨日、外に出てて駅で電車待ちの際、女性が意識なしレベルで倒れて。駅に私しかおらず消防に電話して蘇生を続けていました。成り行きで付き添って病院まで今も。その女性、意識を取り戻され「4月に結婚する」とおっしゃっていました。
付き添ってる間、副ご住職様から頂いたお言葉、メールを繰り返していました。何度かお伺いし、やっと話すことは辛かったことばかり話して泣いてた。
「掴めば膨れ上がる。客観的にみる」「マイナスに振り回されることなく、プラスにも振り回されることなく」だったら私のしている事は真逆。
お話にお伺いに行くなら「こんな事ができた!」「これが目標!」「こんな事をしたいけど、どういう心持ちでいたらいいの?」そういうお話をしに行くのだと思います。
昨日の自分を超えられるかもしれません。
いつやるの?
今でしょ!
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
(ありのままの)自身を深信する(深く信じる)
マイナスにも振り回されない、プラスにも振り回されない
そういう心持ちのテクニック?はある程度は鍛錬でどうにかなるのかもしれません。しかしそうした心の浮き沈みというのは縁によってどうとでもなります。
親しい人が亡くなったら悲しいです、私の念願の思いが叶ったら嬉しいです。そうした感情は自然に湧き上がってくるものでしょう。そうした自然な感情の揺れ幅までなくなっては寂しいでしょう。
問題はその揺れ幅がおさまらない事、どちらかに振り切ったままそこで停滞してしまう事ではないでしょうか。
揺れる事をそのまま認めることができるならば揺れは自然な揺れとなり、プラスに揺れるもよし、マイナスにゆれるもよし、そういう私もご縁のいただきものとして引き受けていけます。
明石家さんまさんのこんな言葉があります。
「俺は絶対落ち込まないのよ。落ち込む人ってのは自分のことを過大評価しすぎやねん。」
これは実際に「落ち込まない」ということではなく、自分を過大評価しない「もっとできるはず」と思っていないならば「落ち込みなどものともしない」という意ではないでしょうか。
「こんな事ができた!」「これが目標!」「こんな事をしたい」
というのは向上心です。ずっと向上心を保てるならばそれでよいのですが人間そうもいきません。「やっぱりダメだ」という日もあるでしょう。
向上心というのは「もっと良い自分」を信じることです。明石家さんまさんの自分を過大評価しないとは「今の自分」をそのまま信じることです。「こんなはずない」「こうなるはず」「できるはず」ではなく、「こんなこともある」「そんなこともある」「やむなし」な私です。
それは「どうしようもない」という情けない私ではありません。「どうしようもない」というのは「どうしようもある」自分を掴んでいるからそう落ち込むのです。「どうとでもなる」自分がハッキリするなら縁のままに全てを引き受けていけます。
そういう私を教えてくれるのがお念仏です。自分の姿は自分で見えません。だから仏を念じなさい、仏の声を聞きなさい、というのがお念仏。仏から「どうとでもなる」私の姿を教えていただき、その今の私を深く信じるのがお念仏です。
今の私はあらゆる縁に生かされています。もちろんあなたも他の方を生かす縁となっていることでしょう。
南無阿弥陀仏
ありがとうございます
おはようございます。
過去の問いも拝読しました。
「スターオブライフ」(アスクレピオスの杖)の話、初めて聞きました。⚕「この中で命のやり取りが行われている」。なるほど良い言葉です。hasunohaもお寺も、いのちのやりとりがおこなわれている、という場所になると良いと思います。私もそういう覚悟で回答していきたいです。
私は地元消防団に入っていますが、地震や火災の際の心得として「まず自分の安全の確保」を、と言われます。自分が助からなければ、人を助けることはできない。怪我人を助けようとして自分が怪我をしてしまったら、怪我人の人数が増えるだけだ、って教えられます。
仏教には「自未得度先度他」(じみとくどせんどた)という言葉があります。「自分はまだ救われていなくても、まず先に他の人の幸せを願う」という利他救済の心のことです。これだと自己犠牲的な考えになってしまいますが、私は、誰かを助けた事で、助けられた人が「自分も同じようにほかの誰かを助けよう」という気持ちになり、それが巡り巡って、最終的に自分自身を助けてくれる人が出てくるんだと考えます。あなたはその女性を助けた事で、「救いの環」の中に入ったのです。「人を助ける」善行をするためには、「助けを求めている」人がいなくてはなりません。あなたが「救いの環」の中に入った事で、あなたは「助ける側」、また「助けられる側」として必要とされているのです。
(あなたが助けた女性が無事結婚できるといいですね。立派な行動をしました)
ネットで躁うつ病と出たのですね。以前ネットでの診断をお勧めしたのは私ですが、ネットだけでの診断ではまだ確定できませんし、お薬も処方してもらえません。まずはかかりつけの内科医などで良いので、「ネットでこのような診断が出ました」と相談してみましょう。お医者さんによってはそこでお薬をもらえるかもしれませんし、もしそこでは診断もお薬もできないなら、できるお医者さんを紹介していただけます。まずは「いつも行っているお医者さん」に行ってみてください。
直接お坊さんから心無い態度や言葉を言われた、とのこと、同じお坊さんとしてお詫びします。
また、あなたのご質問から勇気をもらって質問してくださる方がいらっしゃるといいですね。
その前向きな向上心を大切に。。
ぴょんこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
まさに、昨日の自分をハンドルネームのように「ぴょんこ」と超えられていかれようとされるお気持ち、大切で前向きな向上心であるかと存じます。
誰だって、色々と悩み苦しみや憂い、不安、恐れの中に日々おります。かくいう拙生もですよ。
でも、昨日より今日、今日より明日と、日々の悪い行いへの懺悔や、悟りへと向けた菩提心生起、戒律の取り直しなども行いつつ、少しずつでも心のより善き変容、より善い行いを目指して、仏教の実践に取り組ませて頂いております。
是非、ぴょんこ様も少しずつで構いませんので、無理し過ぎず、頑張り過ぎず、焦らずに、自分なりのペースで、より良い人生を過ごすため、幸せのためにも、仏教の実践に取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。
例えば、宜しければにて、毎日一回でも、三宝帰依、慈悲心の生起(四無量心など)、悟りを希求する菩提心の生起、懺悔、戒律(在家五戒や十戒)の誓約、功徳(少しなりのできることからの積みたる善行)と回向(普回向など)をされてみられても。。
※お礼を拝見致しまして・・
仏と法と僧の三宝に心から帰依致します。全ての生きとし生けるものたちが、迷い苦しみから離れて、安楽となりますように。全ての生きとし生けるものたちを安楽とするために悟りを目指して精進します。これまでの悪い行いを懺悔します。守るべき戒律・在家五戒(みだりに生き物を殺めない・盗まない・不倫をしない・嘘をつかない・お酒を飲まないの五つ)をできる限り守ります。ちょっと意識して行った善い行い(笑顔で挨拶した、電車で妊婦さんに座席を譲った、コンビニの募金箱にお金を入れたなど)の功徳を、全ての生きとし生けるものたちが、仏の道を進み終えて、悟りへと至れるためにと回向(「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」)すること。
※再追記・・
戒律は、どちらかと言うと、悪い行いを慎むための消極的善い行いであると言えるでしょう。更に十戒やあるいは菩薩戒、三昧耶戒など色々とございます。
これでも分かりにくいかと思いますので、また分からないことは遠慮なくにご質問されて下さいませ。
迷い苦しみ、憂い、不安や恐れを乗り越えていくために、共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
鳳林寺 光禪 様
ご回答、有り難うございます。
私のような者でも、命を繋ぐ事ができました。
4月にご結婚される女性が幸せになられる事を願っていますし、そう思える自分を好きです。
光禪 様がおっしゃるように救いながら救われたんですね。
実はメンタルの病院に月に1度、通っています。最初は不眠で、軽いうつ症状が出始めて、弱い薬を飲んでいます。
ご心配かけて、ごめんなさい。
本当に有り難うございます。
法覚寺 吉武 様
有り難うございます。
明石家さんまさんの御言葉を教えて頂いて「なるほど!」です。そういう見方があるのですね。
今は、いろいろ悩む事もありますが「そんな時もある」
なんとかなります! たぶん。
六萬寺 川口 様
ご回答、有り難うございます。
大変、申し上げにくいのですが、四無量心?在家五戒? 「例えば~」が、お恥ずかしいですが学がないからか意味がよく分かりません。
噛み砕いて教えて頂けませんか?
どうか、お願い致します。
六萬寺 川口 様
度々、有り難うございます。
こういう事ですか?
生きとし生けるものが苦しみから逃れるために在家五戒という五つの約束ごとを、できるだけ守りましょう。功徳を積んで、自分が得た功徳を皆に分けましょう。
なのでしょうか?
六萬寺 川口 様
何度も有り難うございます。
何となく理解できたような気が致しますが難しいです。
六萬寺 川口 様
教えて頂けませんか?
いろんな方のご質問とかご回答を拝見させて頂いて今日、お坊さんから頂いた御言葉を読み返していたら私の頭にクエスチョンです。
三宝(仏法僧)の意味が…。
明るく、正しく、仲良く。
明るく…誰にでも明るく接する