私の中の、ずっと泣いている子ども。
はじめて質問します。よろしくお願いいたします。
比喩的な表現で感傷に浸りたいわけではないのですが、この例えが一番しっくり来るので書かせていただきます。
私の心の底に、小さい子どもがいて、ずっと泣きわめいているような気がします。
その子の存在に気づくと、私も理由もなく涙がでてきて止まらなくなります。
おそらくその子は、私が幼少期に自分でフタをしてしまった寂しさの塊なのではないかと想像します。
私の両親は、私が生まれた年に離婚しました。
父親はひどいロクデナシだと母方の祖母たちから聞かされて育ちましたので、
自分にはロクデナシの血が流れていて、だから自分も半分ロクデナシなのだということ、
父にとって私は最初から要らない子だったことを、幼稚園児の頃から明確に自覚していました。
そのせいか、40歳を目前にした今でも「自分を愛する」という行為がピンときません。
おそらく私はアダルトチルドレンで、インナーチャイルド?を抱きしめてあげることが
自分の心を癒すカギだと本で読んだことがあります。
そう言われても、具体的にどうすれば、あの子が泣き止むのか、さっぱりわかりません。
でも最近、孤独を感じるたびに、あの子のことを意識してしまいます。
自分の人生は、底に穴が空いた鍋に水を注いでいるように感じます。
ずっと孤独で、ずっと愛されたいと泣きわめいていて、でもどうすればいいかわかりません。
「足るを知らないこと」が一番不幸だと聞いたことがあります。本当にその通りだと思います。
五体満足で、仕事があって、毎日苦労なくご飯が食べられる。
それだけできっと十分に幸せであるはずなのに、私は孤独にとらわれてばかりで、
心の中で泣く子を抱きしめてあげる方法を見つけられません。
何か、アドバイスをいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を愛する方法は自分を愛そうとする手間すらなくなること。
衆生という言葉があります。
一般仏教では悩み苦しむ人、困った人、生きとし生けるものと訳されますが、悟った人は面白い捉え方をしています。
衆生、それは自心の衆生である。人が困った時助けてあげたいのは、私の中の泣いている衆生を助けてあげたいという事。
あなたはあなたの自身の衆生を救ってあげたいという大誓願を起こすべきです。
救えます。
まずあなたの間接的な自己否定をやめること。まわりにながされお父さんをロクデナシと言っていますが、それはあなたをこの世に誕生させた存在を打ち消そうとする姿勢。間接的自己否定なのです。それがあなたの中の子供が泣いている理由の一つ。どんな父であっても父は父。そして、仮に理想的な父親ではなかったにせよ、あなたがまず私情を差し挟まず、出離出家の気持ちで、自身の父親に対して高い人間性を要求することを取り下げてみてください。ああ、父は父だったんだ。ああ、父は父でこの世に私を誕生させてくれはしたけど、私の生命とは別存在、別行動、別生命体なのだと。
世間には「自分を愛しなさい」という、今から別の何かひと手間二手間かけて自分を愛そうと努力を促す本ようながありますが、私も色々読んだことはありますが、あまりお勧めできる本はありません。
あなたの中のその泣いている子供はあなたの想念が作りだした架空の子供だからです。
あなたは🌱若葉から成長して今は立派につぼみ、花🌷を咲かせつつある。あなたがもし花が咲けないのであればそれはかつての若葉の自分を振り返っているから。
あなたが見るべき、映すべき、生きるべき時とは、今です。過ぎた過去のことを相手にされる事はたった今目の前に存在していない想念を相手にしているのです。理論上はインナーチャイルドとか、もっともらしい用語を立てて何かどこかに存在するような想念・感覚を生じさせるのですが、それも実は思考上のワナなのです。もちろんそういう分野はそういうメソッドで回復解決を試みる分野でありましょうが、どこまでいっても想念を相手にさせている以上、現実には無いものを相手にさせ続けるので、良法とは言えません。その泣いている子供とやらは本当に何処にいるでしょうか?いいえ。自分に問いかけて自身が想念のカラクリで生じたマボロシであることを見抜いて下さい!マイ想念ではなく今の事実を生きることでおのずからその子は泣き止みましょう。
あなたはあなたで良い
Tamako様
こんにちは。拝見させていただきました。
まず自分の心の奥底の存在・声に気づいたことがすばらしいことだと思います。多くの人はその事に気づかずに、外に向かって承認を求め自分を証明するために苦労し、内に向かえば自分を価値のない人間であると傷つけてしまいます。
お母様はきっと深く傷つきそして不安を抱えている人なのだと思います。だからあなたにお父さんは「悪い人だったのだ」と「言わなければならなかった」そして優しいあなたは母親の価値観を「信じてしまった」のです。
「問題が人を苦しめるのではなく、問題に対する解釈が苦しみを生む」という言葉があります。自分自身の価値観に疑いを持つこと。それがひとつのカギになると思います。まず、内なるあなたに「苦しかったねぇ。でもここまで本当に努力して生きてきたねぇ。つらかったねぇ」と声をかけてあげてください。そして気持ちを聞いてあげることです。「「愛されたかった」「聞いて欲しかった」「信じて欲しかった」「そのままでいいよって言ってほしかった」「一緒に笑いたかった」
ノートに書き連ねるのも効果的です。母親への憎しみが出てくるかもしれません。それも書き殴ってください。憎しみの奥底に「すねてしまった自分」がいます。両親に言いたかったこと書き殴る。書くことは手放すことにつながります。
そして自分にとって大切な人をイメージしてください。その人にかけて欲しかった言葉をイメージしてください「頑張ってきたねぇ少し休んでもいいよ」「一人じゃないよ。ちゃんと見ているよ」「私にとって必要で大切な人だよ」それらの言葉、自分が欲しかった言葉を自分自身に聞かせてあげてください。
散歩しながら風が身体に当たる感じ、食べる時は噛む感触、物を触る感覚、感覚・感触を意識しながら生活をしてみてください。そして当たり前の事「空気が吸える」「ご飯を食べられる」に「ありがとうございます」と声に出してみること。
「足るを知る」とは「求める心に支配されていた自分に気づき」すでに支えられてあることに気づくことです。誰かに植え付けられた「幸せらしきもの、比べることで得るもの」という錯覚に気づくことです。
今日までtamakoさんは本当に努力して来られました。それはあなたの強さです。誇って良いことです。人間は生きているそれだけで十分立派なんです。未来は明るいですよ。合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
何度も読み返しております。
いま、この無性に泣き喚きたい気持ちをどうすればいいのか、正直まだわかりません。
でも頂いた言葉を、もっと時間をかけて、きちんと受け止めたいと思います。
ありがとうございました。
>けんじゅ様
具体的なアドバイスをいただき、ありがとうございます。
「そのままでいいよ」「努力してきたね」と自分に言ってあげたいけれど
何かひとつうまくいかないことがあると、
私なんてまだ足りない、ダメなところばかりだから愛されないんだ、という思考に
今はまだなってしまいます。抜け出さねばと思っています。
ありがとうございました。