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宗派を間違えてしまって

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父が亡くなり葬儀を済ませ、お位牌も手配したのですが、宗派を間違えていたようで、浄土真宗西本願寺派を真言宗と間違えてしまいました。
今後二七日以降と四十九日法要も踏まえどうするのが良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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菩提寺さまにご相談いただくことがよろしいかと思います。

ご参考までに、これは曹洞宗のケースですが、曹洞宗では正しくは「そうとうしゅう」と発音するのですが「そうどうしゅう」と発音される方が多いため葬儀業者さんが「じょうどしゅう」と聞き違えられてお葬式の当日、浄土宗の派遣のお坊さんがやって来てお葬式を済ませてしまったというケースがありました。
そういう場合は、葬儀後もしくは四十九日の法要の際に改めてその宗派の戒名、戒を授かる受戒の儀式を受け直す儀式(改葬)を致します。当然戒名も付け直すわけです。菩提寺さまにその旨をお伝えいただき、改めて菩提寺様のご指導のもと、改葬、法名をお授けいただくのがよろしいかと思われます。菩提寺様の檀信徒となるということは、自分の死後も代々先祖、家を護って下さったそのお寺を護持するという意味でも菩提寺様の元で葬儀をお勤めいただき、お布施を納めるものです。
故人様も生前は菩提寺様にご先祖様やご身内のご供養、葬儀をお願いされていたことでありましょうから、故人様の遺意を受け継がれるという意味でも代々続いてこられてきた宗派を存続されることがよろしいかと存じます。

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墓地がどこにあるかで異なります

浄土真宗の場合は法名、真言宗の場合は戒名ですので、考え方がかなり異なります。ただ、考え方は違いますが、目指すところは一緒だと思います。
まず、真言宗のお寺の墓地に埋葬されるのであれば、そこの住職にご相談ください※。もし私が相談された場合、引導をわたし、戒名を付け直します。

そうでなく、霊園などであればこれも縁です。浄土真宗であっても問題はありません。今後も浄土真宗でご供養なさってください。親の宗派が○○だから、分家に出た次男も○○にしなければいけない、ということは無いからです。一つのお墓や一つの仏壇にいろいろな宗派でご供養された仏や位牌があることは、さほど珍しいことではありません。

※この場合、菩提寺住職に連絡せずに葬儀を行ったことになるので、もしかすると新たな問題ができるかもしれません。

追伸
ちなみに西本願寺を本山とする宗派は、正しくは浄土真宗本願寺派です…

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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浄土真宗と真言宗の相違について

ビビボン様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

先日にはご葬儀において葬儀社が宗派を取り違えたことで、遺族が葬儀社を提訴する事案についての報道もございました。

様々な宗旨宗派がありますが、仏教の目的は、基本的には涅槃・悟りを目指すということに変わりはないものの、釈尊の対機説法・善巧方便に関して、釈尊入滅後、数百年後から始まった仏典編纂の過程において、関わった者による様々な思想・解釈も通じて、涅槃・悟りへ向けた道程についての手段・方法のあり方が色々と出てくることになっていったものであると考えられます。

日本仏教においても、様々な宗旨宗派が成立する中で、浄土真宗の開祖が親鸞聖人、真言宗の開祖が弘法大師空海となります。

それぞれ専門的に扱っているわけではありませんので、詳しくは他の登録の方からも解説・アドバイスが頂けるものとは存じますが、簡単な拙理解と致しましては、浄土真宗の教えは、浄土三部経に由来して、真言宗の教えは、主に密教経典類に由来して成立し、それぞれ依拠する仏典が異なっているため、葬儀のあり方についてもその違いが顕著に表れているところでございます。

浄土真宗の場合、葬儀・供養において、他宗におけるような「授戒」や「引導」などは扱わずに、故人を偲ぶことと共に、仏縁・仏恩への報謝のための仏事としてお勤めされるものとなります。また、初七日から始まる節目のご供養では、真言宗や他宗にて行われる十三仏供養のような形式もありません。

一方で真言宗の場合での葬儀・供養では、密教儀礼・灌頂を基本として、「即身成仏」へと導くためにお勤めされるものとなります。

簡単ながらでも以上のような相違が見受けられますが、どちらも涅槃・悟りを目指すためにおける手段・方法論の違いであるとして、あとは代々・故人における信心・帰依によって、ご判断なさられることが肝要ではないかとは存じております。

何よりも涅槃・悟りを目指しての確かなる仏縁を頂くことが大切なことであります。故人の信心・帰依を尊重してなさられることを第一としてお考え頂きまして、その上で、特には無い、拘らないとなりましたら、ご縁を頂いた仏縁も、これも何かの大切な縁として、その後のご供養をなさられても構わないのではないかとも存じております。

お父様のご冥福を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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