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死にたい。

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夫と子どもと一緒にいる休日が苦痛です。
私のうつ病への理解がない、腫れ物を触るような扱いをする夫に嫌気がします。

死にたい。
消えてなくなりたい。
この世から私という存在を無くしたいです。

死にたい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

うつは心の風邪

深刻にならないで、などと言ってはかえって酷ですね、ごめんなさい。

私はお医者さんではないので、専門的なアドバイスは出来ませんが、色々な方の相談にのる活動を続ける中で、かつて心の病で苦しんだ経験のある方々とお話しさせていただいたりして、最悪な状態からでも立ち直ることはできる、ということを教えていただきました。

先日お亡くなりになった「置かれた場所で咲きなさい」という本で有名な渡辺和子さんも、かつてうつ病で苦しんだ経験があると知って、私はビックリしました。
そうやって苦しんだ経験があるからこそ、人の心を打つ言葉が生まれたのでしょうね。

ももかさんも今は辛いでしょうけれど、どうか早まらないで下さいね。
hasunohaのお坊さん方もみんな、あなたのことを心配しています。

心を楽に保つために、家族に甘えたっていいんじゃない?
ボランティアでも、公共機関でも、利用できるものはなんでも利用しましょうよ。
もちろん、このサイトでも、遠慮無く愚痴や泣き言をアップして下さい。
全部お坊さんが受けとめますので^^

そうやっていつかきっと、今より気持ちが上向きになれる日も来ると思います。
希望はあります、ボチボチいこう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの苦しさや痛みを共に分かち合い、少しでも和らげることができれば幸いです。
自分自身も重度の知的障害児を育てながら家事と仕事で忙しくしています。 外に出ていることも多いので、なかなか時間がとれないかもしれませんが、なるべく時間が許す限りお話を聞きます。

死にたいよねぇ。ちょっと分かります。

私も学生時代に死にたい死にたいいって遺書ばかり書いてました。
起きているのに無呼吸状態でした。
コタツ入ってマルボロといいちことテレビとギターと天下一品だけが友達でした。
そんなどん底から這い上がって丹下だけに、みな様の心のセコンドとして昨年も電話などを通して沢山の死にたい人を死にたくならない様に働きかけていました。
さて、
こう考えましょう。まず。
①「うつの症状」と、②そのうつの症状を毛嫌いする気持ちとは別もんだ、と。 
体も心も病状態になれば、その症状が出るのは致し方なし。
私は今風の前触れか、のどが痛きこと、風邪をひく前の日の如し。
今からハチミツとショウガとレモンと紅茶のみます。
今も席は出るし、喉はイタイのです。おまけに明日も仕事でお通夜もあります。
症状は逃れようもありませんし、あなたが「うつ」になっているのはあなたの「意志」とは無関係である以上、そこには逆らわずに任せてみてください。
今日もうつを患っておられる方から電話がありましたが、嫌なことを考えてしまうことは仕方がないことなのです。
ただし、その思いをよく見極めてみてください。
どんよりとした思いが、生じた時って、その思いが自然に出てきただけで、出てきた時点ではそれに干渉したり、コメントしたり、ツッコミ入れる自分はそこには同時に現われていないのです。
自然に出てくる思いは症状ですから、あなたがやっている訳ではないのです。
だから、出てきた第一次の思いは自然発生なので、そこに二次的、三次的な思いはつけ足さないように心がけてみてください。
ゾワゾワする思いが出ても、足を踏み込まないこと、深入りしないことです。
すると、思いって、車が通り過ぎていくみたいに自然に消えていくのです。
心は悪いことを考えている時しか病みません。
念・想・思いが去れば、あとは静寂な事実があるばかりです。
普段はしらずの内に第一次発生の思いに車間距離を開けずにぶつかってしまっているのです。
「わたくし」に取り込まない様にするように命じてください。
自然発生の思いにツッコミを入れる人が居なくなればコントもネガティブな思いもそこで誰にも拾われず自然に去って行ってくれるのです。
どんな事が考えられてきてもそれは全自動なのです。
ただ、それを善し悪しつけたり、取り扱うことをしないまま過ごしてみてください。少し楽になれるはずです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

心は変わります

拝読させて頂きました。あなたのつらい思いをお察しします。理解されないのは本当につらいことですよね。この世から消えてしまいたいと思うことは確かにあります。
ただその後はどうなるのでしょうか。ご家族の皆様もお気持ちをどうしたらいいのかわからずにいたとしてもあなたを心配なさることに変わりはないように思います。
私も以前だいぶ苦しい思いを致しましたが、それでも気持ちを理解できなくても自分にとって大切な人たちやものごとがあってくれたことで少しずつ気持ちは移り変わりました。今でも心の底にはありますがそれでも付き合いながら生きています。
あまり良い言い方ではありませんが、苦しい思いをなさっていらっしゃる方はあなただけではありません。たくさんの思い悩み苦しむ方々もいらっしゃるのです。その中でたくさんのつながりの中で今生かされていらっしゃることは間違いありません。
あなたは決して独りではありません。たくさんの方々に守られていらっしゃるのです。
ですから少し心を楽に置いといてください。
いずれお気持ちの中で移り変わるところもあるでしょう。人には自浄作用があります。それでも悪い局面に傾くときもありますが、決してあきらめないでくださいね。荒はいずれ過ぎ去ります。そして晴れまも訪れますからね。

人の身を受けて苦しみもあります。が、喜びも楽しみもあります。
それでも人は生きていかねばなりません。

あなたの心がこれから少しずつ不安が消えていき皆様とお健やかに生きていかれます様にと切に願います。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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