人が怖いです
初めまして
元々、顔も頭も性格も悪いのであまり人に近づかないで学生時代を過ごしておりました。
就活やバイトで、まともに他人と話さざるを得なくなりましたが、他人が怖くて話せません。
今のバイトは接客ですが、笑顔が固い、雑談にも加わわらないから仲良くしたくても取りつく島が無いとバイト先で言われました。
正直、仕事以外で他人と話すのも親しくするのも大嫌いです。
しかしそれは治した方がいいと言われ、相談に上がりました。
何卒宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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怖いのは人ではない
相手を本当によく見てみてください。
本当に恐怖心がその相手そのものについているかどうか。
自分が相手に、思いを重ねてみている、という習慣がついているだけであろうと思います。
自分の恐れ、自分の思いに負けているだけであろうと思います。
ですから、自分の思いを重ねずに接する。
これだけで解決です。
その為には自分を見つめてみましょう。
自分がどれほど思いを運んでいるか。
どれほど思いを盛んに働かせているか。
どれほど、事実に対して、思いを混同させているか。
これは万人の古来からの習慣であったのです。
だからこそ、坐禅をするというのは、そういう自己の思いから、離れる周波数を探る心の探求と言ってもいいでしょう。
坐・禅は、座ることではありません。
人と会う時でも、坐・禅の状態が大切です。
坐…外部の環境によって、心が乱されない事。
禅…内部の思いによって、本心が揺るがない事。
このような心のありようの事を坐禅と言います。
多くの人は、坐禅を座ることであると思っておられます。
人と接しながら、自分の思いにだけ向き合ってみてください。
怖いのは、相手ではないということが分かれば、おさめるべきポイントはすぐにわかります。
「人は怖い」は客観的事実です
対人恐怖を何とかしないと、とお思いなのですね。私もそうです。お坊さんなのに、と意外にお思われるでしょうが、事実です。何故かというと、人というのは怖いものだからです。
今朝、たまたまラジオで小学校の先生が、スマホで女子学童の裸を盗撮して検挙されたことを報道していました。聖職者の学校の先生が事件を起こすことはあまりに多く、少し前同じく聖職者とされるお坊さんの浄土真宗寺院住職が殺人事件を起こしました。
そして、こうしたことが報道されたときの世間はどんなとらえ方をするでしょう。また、もう少し広い視野で、「陰口」を例にとると陰で他者をほめることが多いか、けなすことが多いかを考えれば、「人は怖い」という客観的事実に行き当たります。
したがって、まずは人は怖いものだとお考えになり、そのうえで人は単独で生きられないのですから、対人関係を一つの「技術」と捉えてみては如何でしょう。自動車を運転するためには教習所で運転を学び技術を習得する必要がありますね。そんなふうに割り切って考えると楽になりませんか。まず手始めに上記のように考え、対人関係が上手な人はどうしているか観察し真似てみては如何でしょう。大阪ですと、「スクール」などもあるはずです。
人間はみな自己本位に自分の利益のために生きています。それはみな同じであなたも例外ではないはずです。だから他者が怖いのは当たり前なのです。そのうえで相手と上手に接して関係がよくなるとお互いが大事なものとなり、相互に大切にしあえる関係が生じてくるはずです。人との繋がりには悪い面ばかりでなく、たくさんよい面があるはずです。
私もうまくできないことを書いています。対人関係で苦労しない人はいないでしょう。私も偉そうなことはいえません。思い通りに生きられない「娑婆」をともに生きていきましょう。
あなた自身が怖いのでは?
文月さん、はじめまして。
失礼でごめんなさい。
先に謝っておきます。
もしかして文月さんは、人が怖いんじゃなくて、人と接した時の相手の反応や、それを見た時の自分の感情が怖いんじゃないですか?
普通なら「面倒くさい」「ウザい」そんな言葉で逃げるのでしょうが、文月さんはそうではなさそうです。
人が苦手と仰っていますが、本当は、自分に対する他人の反応を見るのも、自分から他人に対して起こる感情を目の当たりにするのも、あなたにとっては、とても醜くて見たくないものなのではないですか?
あなたは優しすぎるのかもしれません。
人にどう見られるだろう?何を言われるだろう…
そうなったらどうしよう、こうなったら困るな…
迷惑かな?どうせなら関わりたくないな…
一人でいた方がずっと楽だ。
文章を読んでいると、どうもそんな事があなたの邪魔をしているように思えて仕方ありません。
あなたが今、接客業をしているならば、昔からよく知っている方々と毎日接しているわけではないようですね。
だとしたら、初めてあなたと会う人は昔のあなたを知りません。
今が、新しい自分を作るいいチャンスだと思います。
今までのあなたを知らない人の前ならば、思い切って「なりたかったはずの自分」を演じられるはずです。
私は中学校までいじめられっ子で、みんなの顔を見るのが嫌でずっと人を避けていました。
でも、高校になって環境が変わった時から「こんな自分でありたかった自分」を演じました。
そのうち周りでなく自分の方が、演じていた自分になれてきました。
元々「こうありたかった自分」を演じているのですから、自分の中に嘘はありません。
自分でも驚くほど、自分のやりたかったこと自分の思っていることを素直に外に出せるようになりました。
周りの環境が変わったからこそ出来たことです。
あなたの周りの環境が昔と違う今だからこそ、そのチャンスを逃してはいけません。
こちらから親しくするのは苦手でも、周りから親しくしてこられることは「嫌なことばかり」ではないはずです。
「治した方がいい」と言われて治そうとしているなら、何を言っても無駄だと思います。
ただ、自分で「治したい」と思っておられるなら、このチャンスを逃さないで下さい。
あなたは自分で思っているほど、人が嫌いではないはずですよ。
自分のルールを真実と思ってはいけない
文月様
初めまして
「元々、顔も頭も性格も悪いのであまり人に近づかないで学生時代を過ごしておりました。」とのことですが、あなたは、顔も頭も性格も悪いとご自分で思ってらっしゃるのでしょうか。そしてご自分でかってに、
顔と頭と性格が悪い=人に近づいてはいけない
と決めつけて苦しい道を選んでしまっているのではないですか。
今の日本は、かわいいだの不細工だの、好き嫌いだの、かっこいいかっこ悪いだの、損だだ徳だのの人間がしかも他人が言い出したことに振り回されそれがあたかもマコトかのようにして振り回されながら生活している人が多すぎます。
ご自分を周りからこのように思われているだろうと決めつけその枠におさまるように生活しては駄目です。
話したいと感じたら話せばいい、人からどう思われても何にも真実は変わりません。堂々と生きればいいのです。
あなたは趣味はありますか。同じ趣味を持つ人となら比較的話も弾むでしょうし、そんな仲間を作ることから慣れていってはどうですか。
顔なんてみんな目は横に鼻は縦についています。そして、頭の良し悪しは学校の成績ではわからない。物覚えが悪い=頭が悪いなんてことは絶対にありません。根拠がないと思います。性格はあなたの理想があるのでしょう。しかし、それと比べていたら誰だって良い性格に人なんて自分のことを言いませんよ。自分でいいと思うことをただ実践していけばいいじゃないですか。
もっと自由に生きてみてはどうですか。
怖いですよね
私も、同じ事を感じ生きていました。医師からある障害を告げられ治療もしました。
あくまで私の場合ですが、その時に出会ったのが、落語でした。
いろいろな人物になる。。。。
あたまを、切り替える。
私は、少し克服する事が出来ました。
あえてスイッチを、入れてみる。事をしました。
職業人の自分、好きなことをする自分、素の自分、だいぶ楽になりました。
それによって自分自身を、客観的に、見ることができました。
あとは、他人の顔を見て、目は額とか、あたまを見るとか、これも少し楽になります。