本を読んでみて
法話集を求めて
近くの書店へ行ったときに、
読んでみたいなぁと思う本がありましたので
購入してさっそく読んだのですが、
書かれている内容は、
なるほどなぁ、ありがたいなぁ、
これからはこういう風に
生きていきたいなぁと前向きになれたり、
仏教についても理解が深まったり、
素敵な本だったのですが、
亡くなった人は仏様になったのだから
食べ物に好き嫌いはありません
故人の好物をそなえるのは
供養とは真逆の行為です、
仏様になったということを
信じていないことになります。
とか
仏様になった故人に、
手紙を書いても声は届かないし読めない
故人との思い出を綴ることは良いが
手紙を書くのはすすめない、
と言う内容のことが書いてありました。
他の内容はとても素敵なのに
自分がしている行動と違うからか、
どうしてもこの2つが気になります。
著者の方の考え方を否定しているわけではありません。
仏教の中で、このように考えるのか、
それとも著者の方が、このように考えておられるのかがわからず、混乱しています。
日本語がおかしいですかね、すみません。
わたしの理解力が足りないのかもしれません、
失礼なことを申し上げているかもしれません。
ですが、このモヤモヤをはっきりさせたいです。何かお言葉をいただけたら、と思います。
未熟ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お坊さんも十人十色です
お医者さんでも強い薬をドンドン出す人もいれば、逆に最低限の薬を処方してできるだけ身体の抵抗力で治そうとするお医者さん、いろいろなお医者さんがいて一人一人個性があります。お坊さんも同じです。いろいろな方針お坊さんがいて、一人一人個性があります。だからあくまでそのお坊さんの診察方針だと思って下さい。
さて、そのお坊さんの言いたいことは分かります。確かに仏さまに好き嫌いはありません。私たちお坊さんも仏さまを供養する時は『自分のやりたい方法ではなく』、『仏さまへの正式な作法』でご供養します。仏さまに手紙を書くくらいなら読経します。
それに、そのお坊さんとしては故人を人として接し続けるのは、未練を引きずることになると考えていらっしゃるかもしれません。
ただ私の知る限りでは、一般の方には故人の好きな物をお供えするのは、素晴らしい事だとお話するお坊さんが多いように思います。どんな物をお供えしたかよりも、その『優しい心が素晴らしいお供えになっている』ことに注目するからです。お手紙にしても試験勉強の時間を削って書いたり、仕事や家事で疲れているのに睡眠時間を削ってまで書くようなのは本末顛倒ですが、たいていのお坊さんは10代の方が一生懸命に書いたお手紙がお仏壇にお供えしてあったら『微笑ましい』とか『立派だ』と受け取ると思いますよ。
この辺は本にどう書いてあるかよりも、なす様の家のお寺さんの方針を参考になさる方が良いのではないかなと思います。お盆のお参りの時や法事の時などにご相談なさってはいかがでしょうか。
「いますが如く」
こんにちは。
本を読んでみたり、hasunohaで相談してみたり、少しずつ前に進むことができるといいですね。でもあわてなくていいですよ。ゆっくりゆっくりです。
ウチのお寺に、以前、ローカルの新聞や雑誌、テレビの取材などの取材来たことがありました。
で、実際にできた記事や放送をみると、私の本当に言いたい事がうまく伝わっていなかったり、間違っていたりって事があるんですよね。前後を省略されちゃうとうまく伝わらない事があります。
ご質問中、読んだ本の中に、「故人の好物を供えるのは供養とは真逆の行為」 「故人に手紙を書いても声は届かないし読めない」と書いてあったとの事、ショックだったでしょう?私も正直「ええ!?何でだ」と反感の気持ちになりました。それだけですと仏教の考えとは違うように思います。一方で、その文章は、長い文章のなかの一部なのでしょう。もしかしたら、話の全体を読む事で腑に落ちるところがあるかもしれません。上記の私の経験からも、前後を省略してそこの部分だけを切り取ってしまうと、作者の本当の言いたい事が見えなくなってしまう可能性もあります。きちんと前後も読み返す事で「ああ、納得」とか「これは自分には当てはまらない例話だった」となるのかもしれません。まあどちらにしてもあなたには受け入れがたい話ですよね。
最後に私の見解を述べます。
供養の心得として「いますが如く」という言葉があります。
供養するときは、ご先祖さま(あなたの場合は彼氏さんですね)が、そこにいるかのように供養しましょう、って事です。
この考えからすれば、好物のものをお供えしたり、交換日記を書いたりすることは、供養の方法としてはこの上なく良い方法だといえます。
また「食香(じきこう)」という言葉があります。これは、亡くなった方は、香りを食べるという考えです。お線香の香りを召し上がったり、食べ物をお供えすると、その香りを召し上がっているという考えです。ですので是非、故人の好きだったものをお供えしましょう。きっと召し上がっていますよ。(お供えしたものは後で食べていいです。味が薄くなっていると感じる方もいるようです)
あなたなりの「いますが如く」でご供養してくださいね。
質問者からのお礼
大慈 様
お忙しいところありがとうございます。
故人を思う気持ちこそが供養になるのですね!
hasunohaでも色々なお坊さんから、
お言葉をいただけるのと同じで、
本を書いておられるお坊さんも
いろいろな考えをもっておられますよね。
もう一度じっくり読むことにします!
ご回答いただきありがとうございました。
光禪 様
度々ご回答いただきありがとうございます。
まずはもう一度本をしっかり読むことですね。
一度読んだだけで本当に伝えたいことが
すぐに見えるとは限らないですよね、
まずは今日もじっくり本を読みます!
「いますが如く」ですか、
初めて耳にする言葉です!勉強になります!
これからも彼を思って、
いますが如く、で供養したいと思います。
お忙しいところ何度もありがとうございます。