皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

どのような時に、悟りを得られましたか?

 初めまして。様々なお悩み、そしてご回答をいつも有り難く拝読しております。

 単刀直入に質問いたしますが、皆様方はどのような場面で悟りを得られたのでしょうか(例えば坐禅を組んでいる時など)。また、修行しなければ得られないものでしょうか。

 私自身は出家するという決意もなく、悟りを得ずとも心の安寧を失わずに過ごせれば良いと思う一方、自分には理解できない「悟り」がどんなものであるのか(伝えられないのも承知しておりますが)、あるいはどうすれば得られるのか、について知りたいと感じています。昔京都のお寺で止観体験をさせて頂き、坐禅の仕方を教わって「5分でも10分でも日常に取り入れると良いですよ」とアドバイスを頂いたので実行しておりますが、こうした日常の中で悟りを得る事もあるのでしょうか。

 不躾な質問、申し訳ございません。

お坊さん
有り難し 18
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

座学と体験の両立こそ近道

若僧で愚僧なゆえ、悟りなど到底おこがましくて語れませんが、、仏教という頂上の見えない大きな山の麓に立てた気がしたのは、座学のみの学生時代と違って、いまは体験と座学を交互にしているからだという気がします。

我々の宗派、真言宗でいえば体験=瞑想となりますね。いわゆる座禅とは少し違った瞑想ですが、詳しくは「阿字観」でググってください。笑

いままで頭に詰め込んでいたものを、今までの偉大な高僧たちが練りに練ったマニュアルに沿った瞑想によってダイレクトに感じることができるわけです。
これは、宗教だけでなく、世の中の様々なことに共通して言える事でしょう。

一つ例を出します。「輪廻」という言葉を知り、死んでも来世がある....と頭ではわかっていても、実際にはどうかわからない。
けれど、瞑想体験によって自分自信の内面に深く入り込むと、また、親から子へと永遠の遺伝子の伝達によって生かされているということに気付かされます。「死んだら終わりじゃない」と直感で気づくのです。
科学がなにかを証明するときに「論理を学び、と実験」をするのと同じです。
座学と体験の両立こそ、悟りへの近道なのです。

これは本当に不思議なもので、実際体験してみないとわからないものです。座学と体験は、互いが互いを照らす光であり、どちらが抜けても本来の姿がつかめません。

日常生活でも、この「座学と体験」を是非意識してみてください。
そして、深く自分と向き合ってみてください。

追記 お礼を読ませていただきました。

「悟りは遠く、難しい」
....そのとおりでございます。
しかし!密教の面白いところは
「悟りを得ずとも、悟りを体験する」
ことを目的にしています。悟り...真理はどこにでもありますし、仏は自分自身の内面にいますから。全てではないにせよ、仏の教えを体験することが大事なんです。それを「即身成仏」といいます。

それと「出家しなければ....」というのは、これは違います!例えば、科学的なアプローチで、いわゆる仏教的な真理に近づいた人はごまんといます。アインシュタイン、ノイマン、南方熊楠....
ようは、科学も宗教も、目指す真理は同じなのです。
富士山に色んな登山道があるように、方法が違うだけです。
文学や芸術でも悟りを得る人はいるでしょう。

なので、あなたはあなたの道で悟りを求めてください!

悟るための因縁について

若里様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「悟り」へと至るためには、当然に悟るための因縁(原因と条件)が必要となります。

その主要な原因としては、まず、悟りを求めるための強い動機としての「菩提心」が大切となり、その主要な条件としては、悟りの障りとなっている二大原因である「煩悩障」と「所知障」を断滅させるための「智慧」(空性の了解)と「福徳」(善徳行・方便行)の二つの資糧を集積していくことが求められるものとなります。

大乗仏教では、その二つの資糧の集積を、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜を行うことにて進めることが大切となります。

ですので、バランス良く二つの資糧を集積していけるように、六波羅蜜の実践をしっかりと調えることをまず目指して、日々の行に努めて参りたいものとなります。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌


質問者からの有り難し - お礼

 恵成様、ご丁寧な回答、本当にありがとうございます。「座学と体験」の喩えはとても分かりやすく、私にとって「体験」が重要である事に気付かされました。阿字観について大雑把に調べてみましたが、私は「座学」についてもまだまだ勉強を積み重ねていかねばと思いました。瞑想というのが先人達の智慧であるというお言葉、身に沁みます。やはり漫然と日常生活を送るのでなく「意識」を大切に過ごし、折に触れてお坊様から瞑想など、学ぶことが出来ればと思いました。 重ねて、お礼申し上げます。

 川口英俊様、詳しく教えて頂き本当にありがとうございます。悟りを得るには六波羅蜜を行うこととの事、今の私に実践できているかと申しますと、出来ていません、反省しきりです。ここで質問し、教えを頂いて自分に欠けている事、様々な事を新たに知りました。

 御二方の回答で、「悟り」がどのようなものなのか今までより知る事が出来、それを得るのはとても難しい事、即ち日々の行や深い瞑想の積み重ねによるものだと感じました。出家して修行に励むのが一番で、それでも時間のかかる事であるのに、在家の私にはとても遠いものではと…。今までは悟りという言葉を軽んじていたのではないかと反省しております。本当に無知な質問を申し訳ございません。六波羅蜜、瞑想、等はこれからの生活において特に心掛けて参ります。
 最後に重ねて感謝申し上げます。合掌

 恵成様、更なるご回答ありがとうございました。本当に有難い限りです。自分の中にあるもの、それに辿り着くには方法は一つではない事。様々な偉人の例を挙げて頂き、特に外国の方など仏教とはあまり縁が無いと思われる方でも、真理を見出しておられると気付かされました事で、悟りや心理とは普遍的であり「自分の中にあるもの」というお言葉も実感いたしました。私には仕事の面で進むべき道がありますが、その道の中で人々の為に尽くす事や研究する事、に励むのもまた重要な「体験」であると心に銘じて精進致します。
 重ね重ね、本当にありがとうございます。

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