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亡くなった人のその後の居場所はどこですか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 78

やっぱり亡くなった人は亡くなればどこにもいなくて、
側で見守っていてくれるというのは、残された人が後追いをしないように、寂しい思いをしないための言葉ですよね。
だって、亡くなった人がこの現実を知るというのは酷だと思うのです。

もし主人がこの現状を見たら、、たぶん怒りと悲しみでもがき苦しむことでしょう。
それとも亡くなればそうした欲はすべてなくなってしまうものということなのでしょうか。
私は、人も植物や虫などと同じで亡くなれば、それで終わりで、魂だって何も残らないと考えてしまいます。

夢の中に出てきてくれても、なぜかいつも亡くなる1日前という設定で私は一人焦るような夢ばかり。

主人がいるのが当たり前で、いないという現実を未だに受け入れられることも出来ずに、それでも日常をこなし、子供たちを育てなくてはならない。
1年たってなんとかやれて来れたと少し自信もついたと思ったのに、最近はどうにもこうにも気持ちが下向きです。今まで自分の悲しみに重い蓋をして過ごしてきてしまったせいか、今になってその蓋が溢れた悲しみで吹き飛ばされそうで、こわいです。
どこかで、主人の今の居場所を肯定したいという気持ちと、ならば自分はこの先どう生きていけばいいのかを知りたいです。

抽象的な文章で、本当に申し訳ありません。
周りの方々には元気でいる姿を見せたくて、こちらでしかお話しできません。私にはありのままの自分が出せるのは、だいぶ努力をして周りに甘えられるようにはなりましたが、今も主人だけなのです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

葉っぱのフレディ

葉っぱのフレディ(レオ・バスカーリア著)という絵本はご存じでしょうか?
もしお読みになっていないのであればオススメ致します。
ざっくりした内要を申しますと
主人公は、大きな木の枝に茂る一枚の葉っぱのフレディ。
春に生まれ、周りの葉っぱ達と共に陽光に照らされ、雨を浴びて生きていました。
しかし秋になると、周りの葉っぱ達は次々に枯れて落ちてしまいます。
不安になったフレディは、一番仲良しの葉っぱに「落ちてしまうと会えなくなって寂しい」と言います。
しかし友達は、「落ちてしまうことは寂しいことじゃない。悲しいけれど、木の根に落ちた葉っぱは土に還り、また木の栄養となって吸い上げられ、同じように木の枝から芽吹く。
姿形は違うけど、ぼくたちは同じ所から生まれまた落ちて、永遠に命を繰り返す。遅いか早いかだけ。またすぐに会えるさ。先に行ってるよ。」と答えます。
友達ははらりと落ちて、そしてすぐにフレディも木の枝から離れはらりはらりと木の根に落ちていきました。

そして春、また枝先からつぼみが芽吹き、新たな葉っぱが光を浴びはじめます・・・

木は大きな生命体=宇宙 を表します。
枝は、地球でしょうか。
私たちの命も、一瞬の現象でしかありません。
しかし、根っこでは全ての命と繋がっているのです。

地球へと還ったあなたの旦那様は、あなたの中に今も生きています。なぜなら、あなた自身がこの地球で地に足を付けて生きているから、そして旦那様のことを思い続けているからです。

これが、輪廻というものです。
一度この絵本を読んでみてはいかがでしょうか。

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おきもち

居場所はあなた

ご相談拝読しました。
最初のご相談からすでに半年ほど経過する様ですが、ずっと浮き沈みを繰り返しながらこれまで過ごしてこられたのですね。私も以前のご質問に一度ご縁をいただいておりましたので、基本的にお答えする内容は以前と変わりません。また、他のご質問におけるお坊様方の回答とあわせて時々読み返してみてくださいね。

さて、今回はそれをふまえた上で「今のゆこ様」と会話をさせていただきたいと思います。

ずっと寂しく苦しい思いをされてきたのですね。「側で見守っていてくれる」という言葉はたしかに残されたものが寂しい思いをしないように周りの人や私たち僧侶がかける気休めの言葉なのかもしれません。
亡くなったご主人が今どうされているか、確かめるすべもないのですから。

ただ、大事にしていただきたいのはその言葉よりも言葉にかけられた「願い」。そしてその言葉として表される「はたらき」です。

「私にはありのままの自分が出せるのは…今も主人だけなのです。」

このゆこ様の言葉によく表れていると思います。ご主人が今実際にはどうなっているかわからなくとも、ゆこ様にとって今もご主人が拠り所(心の中心)としてはたらいていらっしゃることは事実でしょう。

その「事実のはたらき」を私たちは人を超えた「仏様」と称し、讃え、敬っているのです。残された私たちにとってはご主人は仏様の一人(諸仏といいます)なのです。

浮き上がったり、沈み込んだり、元気にふるまおうと無理したり、もうどうしようもなくふさぎ込んだりする私。でも世間は私がそのままの私でいることを許してくれなかったりする。

しかし、仏様としてのご主人の前では「ありのままのゆこ様」なのでしょう。

だから仏様としてのご主人は現状のゆこ様を見て、ゆこ様と一緒に悲しんだり喜んだりするのです。「それはダメだよ」なんて怒りません。それってありのままじゃないでしょう。ご主人のはたらきは「ありのまま」です。

どんな私でも許される「ありのままの拠り所」があるからこそ、私たちは世間でちょっと無理しながら頑張っていけます。いつでも還れる場所があるわけですから。

色んな事を言う人がいます。色んな辛い状況もあります。

でもその「ありのまま」の拠り所を大事にしてください。

仏様としてのご主人はゆこ様がどんな選択をしても怒りません。安心して生きていきましょう。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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悲しみは尽きねども

拝読させて頂きました。ご主人様がお亡くなりになりその悲しみに打ちひしがれていらっしゃるのでしょうか。あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
ご主人様が仏様に導かれて仏様のもとに生まれて心安らかにご成仏なさいます様にとお念仏おとなえさせて頂きご供養させて頂きます。
南無阿弥陀仏
あなたもどうかお念仏おとなえなさってご主人様をご供養なさってくださいね。
仏様は必ずやその願いをお聞き届け頂き、ご主人様は仏様のもとにて安心してご成仏なさいます。
そしてこれからもあなたやお子様達を見守り正しく導いてくださいます。
やるせない日々やつらい日々がまだ続くかもしれませんが、どうかこれからもご主人様を真心込めてご供養なさりながらも、これからの未来に目を向けてくださいね。必ずや明るく開けていく朝は訪れます。そしてあなたやお子様達をたくさんのご縁ある方々が助けてくださり、サポートなさってくださいます。
あなたやお子様達の未来はこれからなのです。どうか少しずつ少しずつ未来に目を向けて頂き、これからの人生を見据えてくださいね。
ご主人様は必ずやあなたやお子様達がこれからの人生を明るく歩んで頂くことを望んでいらっしゃるでしょう。
たくさんの苦難もあるでしょうし、喜びもあります。
私もあなたとお子様達がたくさんの支えを受けて育まれていかれて心も身体も共にお健やかに幸せに生きていかれます様にとお祈りさせて頂きます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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死後の居場所・・

ゆこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後の居場所・・

死後の居場所は、その者の肉体に左右されなくなった微細なる意識の状態(カルマ・業も含めて)に依存していくことになるため、一概にどこで、どうであるとは、なかなか言えないところもございます。

また、例えば、三千大千世界(十億万土)のどこでどんな状態であるのか、どの仏国土でどんな様子なのか、正直、私たち凡夫ではとても計り知れるものでもありません・・

しかし、例えどこにあろうとも、真なる安楽としての、悟り・涅槃へと至らない限りは、迷い苦しみの中を過ごしてしまうことになるため、とにかく、悟り・涅槃へと向けた流れに乗るために、仏教が必要となる次第でございます。

供養とは、「供(とも)に(仏教を)養う」ということで、亡くなられた方と一緒に、仏様の教えを実践していくことで、同じ流れに乗ることにより、やがては悟り・涅槃という目的に共に達することが求められるものとなります。

その流れにあれば、きっとまたご縁あれば出逢えることもあるでしょう。正直なところ、長い長い旅路の今はほんの一瞬でございます。今生だけとか、100年、200年とかではなく、長ければ数億年、いや、更にもっと長いような途方もない中での流れであるかもしれません。

きっとご仏縁を確かにして頂けましたら、同じ仏様の下で仏教に修習することもまたありうるかと。

それまでは、ご主人様との想い出を大切に、ご主人様から頂きました御厚情、御恩情に感謝をして頂きまして、お子様のことと共に、ご家族の幸せにお努めを賜れましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

沢山のお返事、ありがとうございました。

Azuma様、迅速にお返事をしていただき、ありがとうございました。
感謝の気持ちで供養する。少し前までは、素直に出来ていたはずでした。子供たちの未来に目を向けることで、1日1日を感謝の気持ちで過ごせた日々もありました。私もどうしてこうも、読み返せば同じ質問になるのだろうと
考えてしまいます。でも、結局は未来に目を向けることが一番幸せに生きていける方法なんだなと、あらためて考えました。「必ず朝が来る」自分でわかっていても、人に言ってもらいたい時があるのだなと思いました。ありがとうございました。

吉武様。先日のお返事からまた目に止めていただき、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、前に進めては、ふさぎ込み、その繰り返しをしていたところ、今回は立ち上がれずにどうにもこうにも行かずまた来てしまいました。

私が昔も今も主人を気持ちのより所にしていることこそが、主人の居場所なんですね。
そう思えることで、自然と大切にしたい気持ちが芽生えたとき、私はまた以前と変わらず子供たちと4人で歩んで行けるように思えました。
触れることももう出来ませんが、ありのままでいられる人が側にいてくれると私が考えることで、こんなにも満ち足りて、安心できるなら、幸せなのかなと素直に思えます。
ありがとうございました。

恵成様、お返事ありがとうございました。
「葉っぱのフレディー」明日読んでみようと思います。実は、今回のことで、子供たちの幼稚園の先生や友人から絵本を何冊か頂きました。
ひとつは「忘れられないおくりもの」というものです。絵本は素直に気持ちに入りますね。概要を聞きましたが、明日直接読んでみようと思います。ありがとうございました。

川口様、お返事ありがとうございました。
「供養とは共に養う」漢字を見ればそのままその通りなのに、今まで全く気付かなかったです。亡き人が安らかに眠ることを願うことだけだと思ってました。残された私たちに出来ることがわかった気がします。「感謝」することですね。ありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 14
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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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