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相手を思いやるには

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私は自分勝手です。相手のことを思いやれません。自分勝手というのは、自分に自信がないから自分勝手なのだと聞いたことがあります。
では、自分に自信をもつためには何をすれば良いのですか?少しでも、人を思いやられるようにボランティアをしようと思っています。その他に日頃から気をつけることはありますか?教えてください。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分のために

本当に自分のことを自分勝手と思うならば、周りのことをしっかり見て、その都度自分に「勝手なことをしていないか?」と質問すればすむことです。

でも、一々そんなことをしていては、何かする度に大変な時間を費やしてしまいます。

あなたが、自分を勝手だと思うのは、「こうでなければ」と考えた自分が、なかなかそこへたどり着かないからではないですか?

でも、考えてみて下さい。
何事をするにも、最初から「こうでなければいけない」と考えて自分の行動を決めていては、考え方も行動も大きくスポイルされてしまいます。
それでは、本来あなたが持っている実力を発揮することなんて出来ません。

本来「こうでなければいけない」なんてことはないのですが、誰しも自分の中に大なり小なり持っています。

でも、そこで自信がないからと、やる前に考えるのではなく、やった後に自分の行動を見て修正していくことの方がより現実的ではないですか?

自分の思うことをやってみた。
でも、その中に間違いがあった、自分の理想と違った。
ならば、次はこうしてみよう、これがダメならああしてみよう。

そうやって自分の理想にだんだん近づき、その積み重ねが、自分の自信に繋がってゆきます。

私も長年ボランティアをしてきた身として一つお願いがあります。

ボランティアは誰かのためにやらないで下さい。
ボランティアは是非、自分のためにやって欲しいのです。

ボランティアというと、人の役に立つことというイメージが先行してしまいがちですが、ボランティアの現場というところは、決して、そんな美しい場所ではありません。
人の苦悩や、その人の人生をまざまざと見せつけられる、まさに現実の世界なのです。
でも、そういう世界だからこそ、誰かの役に立てた時の喜びは何物にも代えがたいものがあります。

ボランティアをするならば、その方々から色んな姿を見せていただくために、その方々の人生と関わって自分が何かを学ぶために、何かの形で役に立てた時の、相手ではなく自分の笑顔を見るためにやって欲しいと願います。

あなたの行動は誰かのためではありません。
良くも悪くも全ての結果はあなたの中にあります。

そこで得たものは、他の誰にも得られない宝物になるはずです。

あなたが沢山のことを体験し、学んで、素晴らしい女性になってゆくことを、信じて応援していますよ。

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愚かだと受け取れた心が自信ではないかと思います。

まみさん

本当に自分勝手な人間は、自分勝手であることを
自覚出来ないのだと思います。

相手を思いやれないという、いたむ心が、
思いやりに繋がっているのではないでしょうか。

自分に芽生えた心に従って、
人とか関わっていっていきましょう。

そして、もしかしたら、
ボランティアをしている自分を
誇る心がでてくるかも知れません。

そしたら、今度はいい事をして誇っている自分て、
なんなんだろうか、と疑問が出てくるかもしれません。

結局ボランティアを利用して
自分を立てようとしていただけなのではないか。

その自分を掘り下げていく過程が
人間を育ててくれるのではないかと思います。

何かをして自信を得ようとする限り、
それは不安と隣り合わせなのではないかと思います。

どこまでいっても自分て愚かなんだ、
この身このままの自分が生きていくのだと
受け取れた心が自信ではないかと思います。

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毎日早ね早起きをする

自身は後から付いてくるものです。とにかく、継続して何かを実践することだと思います。

毎日早寝早起きを続ける。
いつも部屋が綺麗。
脱いだ靴はいつも整えている。
など簡単なことです。

続けているうちに、あれ?難なく自分やってるなと気づくはずです。
必ず人にはいい所があるはず。自分のいい所を見つけ、育てていってはどうでしょうか。

決して、ひととくらべてはいけませんよ。人は人です。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

自分の弱さを認める

自分の弱さを認めると、自分は赤ちゃんになります。
人間は元々赤ちゃんでちた、ばぶばぶ。
赤ちゃんは、正直でちゅ。
必要としていることを泣く、ことでしかSOSできません。
オトナになっても、ちょれは変わりまちぇん。
ただ、素直でないだけでちゅ。
色んな事を覚えてちまったから、人によってSOSのバブバブが違うのでちゅ、よ、ばぶばぶ。
道元禅師ちょいうお坊ちゃんは
「じねんゆうにょしゃくしのおもいをたくわえてごんごするはあいごなり」と言ってまちゅ。
相手が大人であっても、赤ちゃんに接するが如くに接しなチャイということでちゅ。
みんな赤ちゃんなのでちゅ。
あなたも赤ちゃんなのでちゅ。
どんなイカメシイ顔したおヤクザさんでも顔の怖い、大人の姿をした赤ちゃんなのでちゅ。
それを念頭に持っていればみんな同じでちゅ。
みんな困ることがありまちゅ。
助けてほちいのでちゅ。
たちゅけてあげてくだチャイ。ばぶぶ

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

慈悲心の滋養

まみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

相手を思いやること・・誠に難しいですよね・・

また、自分が良かれと思ってしてあげたことでも、余計なお節介、逆効果になってしまうことだってあります。

拙生の考えでは、真に相手のことを理解できるのは正直なところ、無理だと思っています。あくまでも自分は自分であり、他人は他人であって、自分が他人そのものになれるはずはありません。

ですから、基本的には皆、自分勝手なものであり、自分中心で、自分のことしか考えておらず、所詮は自分の物差しでしか、他の物事を見れないものでございます。

だからといって、何でもかんでも自分勝手、自由気ままにすれば良いということでは、この人間社会で過ごすことはできなくなってしまいます。

そのため、人間社会を過ごすための倫理や道徳、ルール、法律等が定められている次第でございます。

ですから気をつけるとなりましたら、一つには、倫理、道徳、ルールや法律を守るということ、仏教的に申せば戒律(五戒・十善戒など)となりますが、それと併せて、私たちの世界というものは、支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いで成り立っているということを理解して、困っているものや苦しんでいるものがいれば、お互いにできることにて支え、助け合っていけるように調えていくことが大切となります。

また、より具体的に思いやる心を養うとするならば、仏教の「慈悲」について修習なさられるのが良いのではないかと存じます。

「慈悲の瞑想」を毎日、少しずつでも実践していくという方法がありますが、丹下さんの相手を思いやるために、皆が赤ちゃんだと思えるようにすることもその一つですし、同じように、皆がかつての過去世における母であったと思えるようにする方法もございます。

それは、全てのものたち(一切衆生)が、かつての自分の大恩ある母たちであると思うことで、感謝報恩の思いを持って皆と接していけるように調えていくということになります。もちろん、母だけではなくて、父でも祖父母でも先生でも構わないでしょうが、過去世で恩義のあった方たちであると思うことでも良いのではないかと存じます。

川口英俊 合掌

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