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光になるには

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前回のお返事もしていないうちから、質問を立ててすみません。
実はずーっと疑問に思っていたことがあって、上手く説明出来るか自信が無いのですが、もしもご存知でしたら教えてください。
あと、バカバカしいって思われると思います。
私もバカバカしいなと思いつつも、楽しみにしているんです。

私は、死んだら光になって、光の速度で他の光の形を観察したり、宇宙に行って、何億光年も先に存在している星々を観察したいなぁと思っています。
宇宙飛行士や衛星では行けない、宇宙の果てがどうなっているのかとかを自分の目で確かめてみたいと思っているんです。(死んじゃってるんですけど・・・)
死後の楽しみってやつですね。
肉体が滅んで、死後の世界でどんな姿を持ち、どういうものかはもちろん分かりませんが、今生きてるこの瞬間よりかは可能な夢に近づくんじゃないかなーと思っているんです。
仏教の輪廻転生の中に光はあるんでしょうか。
誰かの愛猫にもなってみたいし、光にもなってみたい。
来世に楽しみを持ちすぎだなと苦笑してしまうんですが、どうなんだろうと疑問を持ちました。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

妄想の一秒前一秒後。生きて光を感じる存在であれ。

うーん。妄想ですね。
(^<^)
ステキな妄想です。
宇宙にはロマンがありますね。
ですが、直接それを生きながらに実感しなければとこまで行っても妄想です。
だったらせっかく今は生きているんですから、あまり現実離れをせずに、本当の光になってみてはいかがでしょうか。
禅では無、無心、無我、無常、無私を説きます。
坐禅を通して無我の実践をすると光の戦士フォトンや仮面ライダー空我くらい己が無くなり、マイケルくらいthis is itな❝それ❞になります。
己、我という妄想の親玉を捨て去りさえすればあなたの願う光に生きたままなることが出来ます。
無というのはこちらが無くなった様子なのでイコールすべてと同化できるという事です。
無イコール、オールなのです。
自分が星ではない存在になるから、個が無くなり、全てを実感できるのです。
おススメ法はあなたは作家になると良いでしょう。
妄想は上手に活用すれば第二のディズニーを生みだします。
そして、その妄想力を駆使する前に、一度すべてを手放してみることです。
最初から妄想暴走越しにストーリーが展開しています。
この世に初めは妄想はありませんでした。
本来無一物ビジョンからのスタンスで生きることで、妄想よりも手応えのある真実を相手に生きることが出来ます。
妄想の方に手ごたえを感じておられるという事は、今だ本当に手応えのある真実を手にされたことがないのではないでしょうか。
今あなたの中で光の速さでポジティブ妄想してみてください。
私が思い描いている死後の世界や妄想、ファンタジーは誰がどこで生みだしているのか。
来世に期待し過ぎと自分でも言っているけど、それを想っているのはいつどこの誰の中なのか。
観ている方向、焦点を合わせるべき方角は❝そっち❞ではありません。
生きたまま光を感じてみたければ千葉県から宇宙を目指すのではなくサイタマケンの方角に焦点を当てて、ください。そして、うちの坐禅堂で妄想の方ではなく、リアル、現実、ライトヒアライトなうなあなたの妄想する一秒前の世界の方へ五感で焦点を合わせて感じてみませんか。
その妄想、ペガサスファンタジーよりももっと手応えのあるゴールドセイントな手ごたえを実感できるようになります。
妄想を極めましょう。すべての人間の妄想の始まる一秒前の世界の光を感じなければ私がペガサス流星拳をお見舞いしますよ。☆

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

光明の心

まるりー様

川口英俊でございます。問い拙生のお答えでございます。

「死んだら光になって・・」

当たらずといえども遠からずです。

例えば、チベット仏教では、心の本質は空性なる「光明」であるとして、その「光明」を悟りへと向かうために、いかに仏道修行により資していくべきであるのかが問われて参ります。

といっても、我々凡夫は、その光明を、煩悩、無明(根本的な無知)、悪業などにより、そう簡単に知覚・認識することはできませんが、しっかりと修行することにより、その光明の本質へと近づくことで、それを利用して悟りへと至れるように調えていくことが望まれるものとなります。

このことが体系的に著されているのが、ヤンチェン・ガロ大師の「基本の三身の構造をよく明らかにする燈明」で、その和訳が、平岡宏一先生訳「ゲルク派版 チベット死者の書」(学研文庫)として刊行されていますので、是非、ご興味がありましたら読んで頂ければと存じます。

※「チベット死者の書」には、もう一つチベット仏教・ニンマ派のものもございますので、それと間違えないように注意して下さい。

「肉体が滅んで、死後の世界でどんな姿を持ち、どういうものか・・」

ちなみに死後、肉体が滅んだ後しばらくは、意識により成り立っている身体である「意成身」となって、不安定に彷徨うことになってしまいます。もちろん、大抵の場合は自らでコントロールすることはできず、業・カルマの流れに従って中有(中陰・最長四十九日間)を経て、次の行き先へと赴くことになります。

次の赴き先へと向かう不安定な間に、できれば悟りへと向かう流れにしっかりと乗れるように、仏縁を紡ぐための資糧が生前にも必要となるのでありますし、お葬式や遺族による供養の意義というのも、その資糧の手助けとして重要なものとなるのであります。

とにかく、まずは、死して現れる光明(偽の光明、譬えの光明とも申しますが)を頼りとして、少しでも悟りへと近づけるように調えて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

自由に動ける光になりたいのですか。
残念ながらそのような光にはなりません。

しかし、仏道修行により覚りに至る過程で六神通を得ると言われています。六神通というのは六つの超能力で、その中にはどこにでも現れたり、飛んで行ったりできる能力もあります。
光よりも早いかもしれませんよ。
あなたには覚りを目指してそんな力を手に入れて欲しいと思います。

それに、あなたが覚りに至るよう努力すれば、自然にあなたはあなたの周りの人を照らす光になることは間違いないと思います。

なお、私は覚りには至ってないので、どうすれば至れるのかは分かりませんが、先ずはお釈迦様の言われる通り、貪瞋痴による煩悩をコントロールして、理性で物事を考え、行うことから始めてみましょう。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

質問者からのお礼

御礼を申し上げるのが遅くなり、申し訳ございません。
御三方とも丁寧な回答をありがとうございます。
悟ることを勧められるとは思わなかったので、驚いてしまいました。
自分なりに今生を豊かに過ごす努力をしつつ、やっぱり来世にも期待をしたいと思います。
ありがとうございました。

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