もう一つ質問させて下さい。
死んだら、自分の行いによって、六道のどれかの道を
選ぶことになるのでしょうか。
その中の選択肢に地獄もありますが、自殺した罪で強制的に
送られることはないけど行いによってはそこに行くことに
なる場合もあるのですよね?
どういうことをしたらその地獄へ行くのですか?
地獄にこだわるつもりはありません。しつこく感じられたら
申し訳ありません。今はそんなこと忘れて
生きなさい、と言われるよりこの疑問点を知りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死後の赴きについて
ゆうりん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
残念ながら凡夫においては、死後において自らの意思で次の行き先を選ぶことはできないでしょう・・
やはり、業・カルマ次第となるのではないかと存じます。
仮に自らの意思で選べるようにするには、それなりの修行による心のレベルが求められるものとなるでしょうね・・
自殺が悪業になるのか、ならないのかは、やはり、その動機が無明(根本的な無知)や煩悩によるものかどうかで変わるのではないだろうかと存じます。
地獄(のような心の状態)へと向かうのも、動機と行動による業・カルマ次第となるでしょう。無明・煩悩としての動機が強い行いを積み重ねれば、積み重ねるほどに、その心がやがて受ける苦しみも増大するものとなるのではないかと存じます。
とにかく、できる限り、無明・煩悩を仏教の実践により対治し、悪業をこれ以上は作らず、これまで積みたる悪業は慚愧、懺悔し、更には、仏法に則った善き動機による善き行いによって、善業を積み、悟り・涅槃へと向けたより良き赴きへと参りたいものでございます。
できれば、今世において仏道に精進し、悟り・涅槃へと向けた仏縁は、来世にもしっかりと紡げるように調えておきたいところです。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
地獄の可能性をゼロにするには、自力で悟るか他力で救われるか
来世の決め手は、臨終の最後の瞬間の心の状態なのだそうです。
臨終の心の状態が乱れていれば、地獄に堕ちる可能性があります。
臨終の心が乱れないようにするには、煩悩を減らすのが一番です。
心の変動は、遠い遠い昔からの輪廻転生の繰り返しで蓄積されたものが色んな因縁で影響しあって出てくるものなので、なかなかコントロールは難しいのです。
例えるなら、今夜の睡眠中にどんな夢を見るかをコントロールするようなものです。
眠る前にラーメンのことを必死で考えてから就寝したら、もしかしたらラーメンの夢を見る確率が上がるかもしれません。
しかし、ラーメンと全く関係のない夢を見る可能性はありますよね。
つまり、過去に犯した罪業の余韻みたいなものが心の奥底に蓄積されており、今生でかなり頑張って修行したとしても、過去の罪業が急に地獄となって現れることもあるのです。
なので、輪廻転生する場合、地獄の可能性はなかなかゼロにはなりません。
地獄の可能性をゼロにするには、輪廻転生自体から解脱するしかありません。
その方法は、自力で煩悩を無くして悟るか、もしくは、南無阿弥陀仏と念仏して阿弥陀仏の力(他力、本願力)で極楽浄土に往生するかです。
念仏者の臨終には阿弥陀仏が迎えに来て下さるので、阿弥陀仏の力で心の乱れが防止され、地獄には堕ちず極楽に往生できます。
合掌、十念
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶつ なむあみだぶぅっ。
疑いながらも念仏すれば往生できます。
質問者からのお礼
お二人、ご回答ありがとうございました。
感謝しております。