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もう・・・限界です

回答数回答 4
有り難し有り難し 173

みなさん

これまで本当にありがとうございました。

自殺者には死後の世界でペナルティが課されないというアドバイスを
いろんな方から頂きました。

1日1日、何とかやってきましたが、もう身体がいうことを聞いてくれません。
日々進行してます。
今、生きている事自体が地獄です。
治療も万策つきました。

踏み切る勇気はでないものの
もう、無理です・・・


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの死のう、生きようとする「それ」が苦しみの根源。

「わたしが」やろうとしていませんか。
死のうとすることも、生きようとすることも。「わたし」がやろうと。
「わたし」というものをどこかに立ててしまっているのです。
何となく感じてください。
寝ている時には苦しみはありません。
目覚めてくれるのも、眠りにいざなってくれるのも、「あなた」がやっているのではないという事に気づいてください。
死のうとするのはその生命体の上に乗っかっている「わたし(あなた)」という意識の暴走なのです。
それを今晩、完全敗北で思い切って捨ててみましょう。
分からなければ電話を下さい。
私がかつて死のうと思った時、それはいつも「わたし」を優先させていた時でした。
この身体、この体、この命、この人間とか言うカタマリには、いつの間にかロボットの乗組員のような「わたし」が憑りついて過剰に働く事があるのです。
仏教はこの身心がありながらも、それに乗っかっている操縦士の「わたし」という意識だけを取り除く事を説いています。
取り除いたからって何も無くなることはありません。
私のように普通に活動ができます。
この身心でありながら「私」ということが生じないので、何でもおいしく食べられます。
「わたし」という条件がないので、今も私は病で体調がすぐれませんがそれを病気だ病気だ、と厭い嫌うことが無くなるのです。
「わたしにとって」という条件付けが無くなるので、苦しいということもなくせるのです。もちろん体が痛むという事はありましょう。ですが、心が騒がなくなるのですよ。
死にたくなったら、それは「あなた(わたし)」がやろうとしていることなのです。
誰もあなたを責めちゃいません。
死ぬのはとても大変な労力のいることです。あなたの死体を片付ける人も悲しくなります。
あなたはただ、もっと楽な生き方があることをご存じでないだけなのです。
苦しい、こんなに苦しいなら死んだ方が楽だ、と私も思ったものです。
そんな私でも、安楽な生き方が見つかりました。
そういう生き方のある事をお伝えしたいと思います。
いざ死のうとすることは、本当にとても大変なことです。
それよりは、もう少し…3㎝だけでも死の方に目線を向けずに、安楽に生きられる方法があることを信じてお電話ください。
今までも40件を超える自死志願者の方が死を思いとどまって下さいました。
「わたし意識」から自由になれば苦しみは消えます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ただ「そこ」にいてください

たまこ様

生きていることが地獄・・・生き地獄のなかにいるのですね。
万策つきた・・・やるだけのことはやられのですね。
一生懸命に生きてきたのですね。
闘ってきたのですね。
そして疲れてしまったのですね。
よく頑張りました。

もうがんばらなくていいから
なにもしようとしなくていいから「そこ」にいてください。

地獄には必ず救いの手が差し伸べられます。
だからそこにいてください。
永遠に続くものは何もありません。
何もしなくていいからそこで待っていてください。

限界まできたらその先には救いの光が差し込んできます。
たまこ様のいのちが守れることを信じて
ご祈祷させていただきます。仙如

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有り難し
おきもち

お釈迦様の教えと瞑想法は苦悩の多いこの世を生きるための「船」のようなものです。 人生には穏やかな波の日もあれば嵐のような日もあります。 どんなときでもお釈迦様の言葉を探すと必要な答えを見つけだすことができます たとえ嵐の日であっても波に飲まれないように「お釈迦様の船」に乗って心静かに瞑想しながら船旅を続けるのが仏教徒の生き方です わたくし≪仙如≫も 抵抗して、もがいてもがいて溺れかけて そんなことがようやくわかってきたところです(まだ溺れそうになることもありますけど!) 苦しいときはもがくのをやめて力を抜いてみてください・・・からだは水に浮かんできます。 そして瞑想してこころを静めましょう。そうすれば自分のこころの中に答えがみつかります。お釈迦様は最期に「自分自身をよりどころにしなさい」とおしゃいました。 諦めないで絶望しないで自分を信じて生きていきましょう。

たまこさん、声は出せますか?
小さな声で構いません。
出せるなら一言でもたくさん念仏を唱えてください。
南無阿弥陀仏
なむあみだぶ
なむあみだぶ…
いつでも、どこでも、何度でも、
生きている限り、唱えてください。
阿弥陀仏は、念仏を唱える者がその命尽きる時に極楽浄土から迎えに来てくれます。
どんな小さな声も聞き逃すことはありません。
それを信じて唱えてください。
生きている限り唱えてください。
なむあみだぶ
なむあみだぶ
なむあみだぶ…

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

ただ一向に念仏すべし

拝読させて頂きました。
大変つらく苦しい思いをなさっておられるのですね。
そしてその苦しみはあなたを地獄にいるような思いにさせていらっしゃるのですね。
あなたのその苦しい思いを心よりお察し申し上げます。

私達人間はそれぞれに生命を与えられて生きております。
そしてそれぞれに寿命が与えられています。

私はあなたがその生命を全うなさりこの世を離れるとき必ず仏様にお迎え頂く様にと真心こめてお念仏おとなえして仏様にお願いさせて頂きます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

必ずやあなたがその天寿を全うする時には阿弥陀仏様、観音菩薩様、勢至菩薩様そしてあなたの親しい方々があなたをお迎えにいらしてくださます。

それまでどうかあなたは心を込めてどうか速やかにお迎え頂きます様にとお念仏おとなえなさってくださいね。

心からただただひたすら、ただ一向にお念仏おとなえなさってください。

そのあなたのお念仏の声やあなたの思いは必ずや仏様に届いて参ります。どうかご安心なさってくださいね。

あなたがいづれ導かれます仏様の国、極楽浄土は一切の苦しみのない世界です。全ての人々はその苦しみから解放されて欲や貪りや怒りの愚かな心も消え去ります。そして清らかな心になり仏様のみ教えを伺いながら菩薩そして仏となっていくのです。

仏様はいつ如何なる時もあなたを救ってくださいます。

あなたがお念仏おとなえなさりながらこれから己の生命をまっとうなさること、そして仏様の元に速やかに往生なさいますことを心より仏様にご祈念申し上げます。

南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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