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努力とは

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有り難し有り難し 17

はじめまして。先日、お寺の会に初参加させていただきました。
お経をみなさんと一緒に唱え、その後にお坊さんからのお話をいただきました。

その中で、「今日ここでお経を唱えたからといって、みなさんの悩みや、起こるかもしれない災いなどが無くなるという訳ではありません。仏教の道は厳しいのです。お経を唱えたことで、災いがこのくらいで済んだ、この程度で済んだ、という捉え方をして下さい。あとは努力をする事です。」
とのお話がありました。

仏教の世界でいうところの努力とは、どのような事をすれば良いのでしょうか。
あまりにも幼稚な質問で申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こころを清らかにする道

ロバ美さん

はじめての「お寺の会」でよいお話をいただきましたね。努力とは、自分の行為に因った結果を得るという考えからいえば「善い原因を作る」ことだと思います。善いことをすれば善い結果を得るからです。ところがこんな単純なことがなかなかできません。私たちは三毒(貪り・瞋り・無痴)があり過ちを冒すからです。そのために善い原因をつくるためにはこの三毒から離れる「努力」が必要になるのです。

貪りから離れるためには施しの心をもつように努力します。瞋りから離れるためには慈悲の心をもつように努力します。無痴から離れるためには真理を知るための努力をします。もっと欲しいもっと満たされたい、自分だけが得をしたいという思いから離れ、人に与えることは簡単ではありません。自分に不利益を与えた人への瞋りから離れ、そういう人にも慈しみのの心を持つことは難しいことです。わかっていてもやめられない自分の愚かさを超えることは並大抵のことではありません。

心を清らかにしないとなしえないことです。それが仏教の努力です。だからお経を唱えていも心が貪瞋痴で汚れていれば悩みはおこります。また自然災害は自然界のシステムのなかで起きているのでお経ではなくなりません。

自分をみつめ自分を知り自分の心の汚れを見つめること。それは簡単なことではありません。とても難しいことです。でも欲や怒りを超え心を清らかにするということは人間にしかできない仕事です。人間に生まれてきて仏教に出会えたからその努力ができるのです。このチャンスを逃すことなく仏道修行に励んでいきましょう。拙い説明ですが、今後も「お寺の会」に参加して、このご縁を大切にしていただきたいと思います。仙如

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努力とは修行と考えて良いのでは

そのお坊さまがどんな気持ちで言われたかはわかりませんが、私なりに解釈すると、努力とは修行のことでしょう。
つまり、修行とは、あなたがお経をあげていた時のように、ただ声を出し唱えること。意味を考えたり声の良し悪し、周りの人のことなど考えず、ただただ、声を出しているだけの今の様子に生きることです。そうした様子で24時間生活することが、修行というのでしょう。

目を使いただ見るだけ、善悪、損得も考えずその様子にいること。耳を使いただ聞く、鼻を使いただ香りを感じ、舌を使いただ味を知る、美味しいまずいなどの評価はしない、舌の働きに学ぶのです。体の感覚、触った感覚にいること。

私たちの体の働きは全てその時、その場の様子に触れ、そして綺麗に跡形も残さず消えています。そこに学ぶのです。

やってみてください^ ^

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

邦元様

早速のご回答をありがとうございました。

身体の働き。その時、その場の様子に触れ、そして綺麗に、跡形も残さず消えている。そこに学ぶ。

簡単なようで、とても難しい事だと思いました。どうしても雑念が入りますし。
でも、だからこそ修行であり、そこから学ぶ事がたくさんあるのでしょうね。

実はその会でお経を唱えた時に、突然胸の奥から熱いものが込み上げ、涙が止まらなくなってしまいました。初めての事でびっくりしました。これもやはり、身体の働きですね。

初めから24時間は難しいので、1日の中で、身体の働きに学ぶ時間を設けて、少しずつやってみようと思います。

どうもありがとうございました!

仙如様

ご回答をありがとうございました。

欲や怒りを超えて心を清らかにするということは、人間にしかできない仕事。

スーっと胸の中に入ってきました。
自分を見つめ、自分の心の汚れている部分を知る事は、仙如様が仰るように、とても難しい事だと思います。けれど、良い部分も悪い部分もすべてを受け入れ、そのうえで心を成長させるための努力をすることは、自分を知っているからこそできるのだろう。だとしたら、やるしかないですよね。

せっかく仏教とのご縁をいただく事が出来たので、日々努力をしていきたいと思います。
とても有り難いお話を、どうもありがとうございました!感謝いたします。

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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