死にたいと考えてしまう
ふとしたときに、「あぁ、死にたいなぁ」と考えてしまいます。
生活に今の所大きな不満はないし、やりたいこともできる環境ですし、心を許せる友達も可愛い甥っ子姪っ子たちもいます。
悩みといえば子供の頃からの睡眠障害(少し複雑なものです)と、少し前に発覚したパニック障害(投薬で最近は症状が出ることは殆どありません)で少し大変なときがあるのと、通院が必要なことくらいでしょうか。
楽しいことも、好きな人たちもいますが、わざわざ辛い思いもして生きていたいほどじゃないかもしれないと考えてしまいます。最低ですね、、。
今日例えば事故にあって死んでしまっても、まあいいかな、と考えてしまいます。
目を掛けてくれる人たちや、仲良くしてくれる人たちがいるのに、いけないことだと感じています。
どうしたらこういったことがなくなるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦の現実を見つめることは仏教の入り口
morpho様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
少し希死念慮がおありのようですね・・おつらいことでございます。
希死念慮は、もしか致しますと睡眠障害とパニック障害の薬の長期服用による副作用の可能性もあるかもしれませんね・・
向精神薬には、希死念慮をもたらす副作用があり得ますので、長期間の服用については、少し主治医と相談の上にて注意したいところではございます。可能ならば、副作用のほとんどない食事療法、サプリメントなどを補充しての栄養療法への切り替えも検討する余地があるのではないだろうかと存じます。
とにかく全ては因縁(原因と条件)次第です。
良い因縁により良い結果があり得るものとなります。幸せへ向けてもでございます。良い結果へと向けた良い因縁にできるだけ努めて参りたいものでございます。
もちろん、苦の現実を見つめることは、仏教への入り口としては大切なことでございます。
お釈迦様は、悟りを開かれまして、この苦しみの現実、苦しみの原因と共に苦しみを滅するための道を明らかとなさられておられます。
宜しければ、是非、仏教の学びに関心を持って頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
心の中のバランス
拝読させて頂きました。あなたがお感じなさるようなことつまり「死にたい」と思うことは人にはあるものです。
特になんでという理由もなく、様々な障害や絶望によってそう思うのでもなく感じることはあるのです。
この世に生を享けてそれは有難いご縁です。それでもそう感じてしまうのが生きる人間の性分としてあるのです。ですからなくなることではないと私は思います。
私も日々の生活の中で心身に病を持ちながらもその様な思いと付き合いながら生きています。
日々生きているとたくさんの障害や負担やプレッシャーも増えていきますが、同時に生きていることの有難さやその時その時の生きる意味や回りの方々との絆や仏様・ご先祖様とのご縁を感じます。
あなたもこれから生きていく中でたくさんお感じなさると思います。
ですから「はい、こうです。」とは言い切れない様々な思いの荒波の中で生きているのです。
生きることはそうそう割り切れることでもありませんし、死もそうそう割り切れるものでもありません。相互に心の中でバランスを保っているものです。その様に心の中で感じながら生きることを学んでいくことも仏教の一部だと私は思います。
あなたがこれからの人生の中で生きること死ぬことをについて真摯にお向き合いなさり、健やかにその思いにお付き合いなさっていって頂きます様にと心からお祈り申し上げます。