hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お布施とは?

回答数回答 4
有り難し有り難し 34

お布施については既に回答して頂いている中に見ることできます。また、他のホームページにも沢山書かれいることなのですが、それでも解らない愚か者にご教授をお願い致します。

お布施とは三施のことである、といって間違いないと思います。

お布施は対価として支払うものではなく己の為の修行です、というのは理解できます。

しかし一方で、お布施はお礼ですと多くの方が仰っています。

また、お布施は謝礼ではありませんと仰る方もおられます。

謝礼は対価であるのか対価ではないのかということも、意見の分かれるところだと思います。

教えを説くことや読経も三施の中の法施ですから、見返りを求めないことが大前提でありますので、謝礼を受け取って良いのだろうか? と思います。
謝礼を要求することはしていませんと仰っても、謝礼を受けることはほぼ確実なので未必の故意というものです。

しかし私のような凡夫は、お布施をする時にお礼の気持ちを込めて無いのか?と問われれば、有りますと答えざる負えません。

お布施はお坊様が受け取るのではなくお寺に納めるものですと仰られますが、お坊様がお寺で生活をしたり給与を受けていれば、お布施を受け取っていないとは言えないと思います。

などと言ってますが、お寺やお坊様がお金を必要とすることを否定するつもりでは全く有りません。(重要)
お坊様が畑を耕しているお寺もございますが、お釈迦様はそのようなことを推奨しなかったと信じています。むしろお布施を施したり受けることを積極的に推奨したと思っています。

しかし、新宗教の中には物欲を捨てるためにと言って多額のお布施を求めるものもございます。ここでは是非を問う事ができませんが、その様なことも考慮に入れてのご回答をお願いしたいと思います。

厳しいことを問うているように思われるかも知れませんが、「仏教しっかり頑張れよ!」っていう応援メッセージだと思ってください。

正しい気持ちでお布施できるようにご回答お願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ガチガチに白黒つけて誰か救われるのでしょうか?

減点方式の発想を捨てましょう。仏教はお受験のような合否を問う採点基準ではありません。見返りを求めたら0点!このように敷居を上げれば、一握りの仏教マニアしか着いて行けません。そこには優しさがありません。

その点は上座部の托鉢で顕著です。なぜ人々は毎朝ご飯を供養するか?布施によって功徳を積み、来世でより良い所に生れるためです。民間レベルでは明らかに見返りを求めています。その時点で仏教への入口を狭くするのではなく、仏教に親しむ中でどう学んでいくかが大切だからです。

減点式で間違い探しをする発想ではなく、加点式で布施が布施になったら共に喜ぶ発想に切り替えましょう。間違い探しをし合う人が増えれば増えた分だけ、社会に諍いが増え、暮らしにくくなります。それは悪因悪果です。そこで大切なのはバランスですが、今の日本社会はあまりにも病的です。
0か100かで考えると身動きが取れません。肩の力を抜きましょう。二重カッコで強調して繰り返します。『0か100かで考えれば誰のためにもなりません』
実際に信徒さんのお宅にお呼ばれしてご馳走になり、お坊さんが法話をする法事は原始教団の時点で確認できています。

さて、「布施とは」で検索してみましたが、私のタブレットが表示する範囲でヤフーの一覧に見える説明は、上から順に施し、施し、親切、施し、施し(お礼も含む)、対価ではない、修行法の1つ、対価ではない、地名、あまねくほどこす、やさしい言葉(心がけでできる布施)となっています。グーグルでもほぼ同じ結果です。一例だけお礼と言い切る説明がありますが、終活業者による説明です。私にはどう見ても対価ではないという立場が圧倒的多数に見えます(全てを変えるのは望みすぎです)。

また、前回の私へのご返信に「自浄作用が無ければ、人々の信仰心が薄れるのは仕方がない」とおっしゃっています。しかし「宗教離れは団塊の世代に最も顕著で、若くなるにつれ宗教に関心のある割合は増えている」ことがNHKの調査で分かっています。メディアの扱いも一昔前とは劇的に変化しました。これらは自浄作用の成果ではないでしょうか。

日本仏教の未来のために厳しいこと申し上げます。このような固定観念が『仏教は胡散臭い』というイメージのカサブタ『の1つ』と私は痛感しています。チヤホヤして欲しいとは思いませんが、今を固定観念抜きで見ていただければ幸いです

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
このお坊さんを応援する

三輪清浄

こんにちは。

「三輪清浄」という言葉があります。
施す人、受け取る人、施す物がいずれも清浄でなければならない、というものです。
まず、施す人が見返りを期待してはいけない。
次に、受け取る人が欲望にとらわれていてはいけない。
最後に、施す物が盗んだ物や、邪な物であってはいけません。
これが「三輪清浄」です。お布施は「三輪清浄」でなくてはいけません。

 お布施についてお釈迦さまは『涅槃経』の中で、「布施をした人、布施を受けた人、施した物、その三つを瞬時にお互いが忘れることが最上の布施である」と説かれています。布施をした人が、「出し過ぎてしまった。無駄なことをした」とか「少なすぎて世間体が悪いな」「少なすぎたがお坊さん怒ってないかな」とか「これには一体どんな意味があるんだ?」とか「どんな気持ちで受け取ったんだ?」などと思っていたのではお布施としては正しくないということになります。私たち受け取る側も頂いたものに対し「たくさん頂いたなぁ」とか「すくないぞケチ」などと思ってしまうと布施として正しくありませんので、そのような気持ちはおこしません。お経をするときもそのような気持ちではおこないません。

 また財産でも財産でなくても、お坊さんじゃない人に対してでも、何かしてあげるのが「布施」です。
 他人に対する親切も「布施」の一種だよ、って事です。
 あなたは親切な言葉をかけてもらったり、って事がありますか?きっとあると思います。あなたは布施を受け取ったということです。
 またここhasunohaも、私たち僧侶から質問者のみなさまへの布施行為ともいえます。
 あなたも様々な形で「布施」を行い、様々な形で「布施」を頂いているのです。あなたはそれをどのような気持ちで行い、また受け取りますか?

{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
このお坊さんを応援する

お布施は人それぞれ無理のない範囲でいいですよ。
昔々、インドで大金持ちの人が町中の人々に多額の施しをして、その果報として天人に生まれました。また同じ頃、貧しい人が自分が食すのを我慢してひと匙のスープを仏道修行中の長老に差し上げ、その果報として天人に生まれました。しかも、後者の人が前者の人より位の高い天人に生まれたのでした。
このような逸話もありますからね。

また、現代の日本ではお布施にお礼の気持ちを込めてもいいと思います。ご自由になさってください。私としてはお布施を受け取ったら、「ありがとうございます」、と言いますし、受布施偈を唱えます。「財法ニ施 功徳無量 檀波羅蜜 具足円満 乃至法界 平等利益」(財施と法施の功徳は計り知れません。仏道修行の1つの布施波羅蜜が十分に満たされ、全世界の生きとし生けるものへの平等の利益になりますように。)
これを書きながら、最近手抜きして最初の二句しか唱えていない事に気がつきました。お恥ずかしい限りです。反省します。今後は六句までしっかり唱えます。気づかせてくれてありがとうございます。

また、物欲を捨てる為に多額のお布施をしろという話ですが、物欲を捨てる為なら、その教団に出さなくても、他の所に寄付という形で布施してもいいはずですよね。もしそれを咎めるような教団なら物欲を捨てる為という事も偽りだということだと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

尊いもの、聖なるものとしてお受けできるように・・

キムコ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

応援、誠にありがとうございます。

確かに対価、御礼と捉えられても仕方がない現実があるかと存じます。

去年一年間受講致しました「未来の住職塾」にて、学びの成果として拙生が作成致しました「寺業計画書」における「お寺のビジョン」の一節には、下記のように書かせて頂きました。

「・・仏教・仏法を確かに扱い実践しているお寺・僧侶であるということにより、真に人々への救いや癒し、幸せ、安心のお役に立てることができている、尊いもの、聖なるものということによって、お布施や寄付を、自然に快くに頂けるようになり、人々がこれからも存続を願って、恭敬と応援の思いをもって、協力、支援、感謝をして頂けるようなお寺にしていきたい。・・」

このようになれますように、日々精進して参りたいと存じます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

「お布施について」問答一覧

お葬式で渡す、お寺様への金額について

よろしくお願い致します。 先日祖父が亡くなりました。 葬儀の手続き等をしていくうちにお寺さんへお渡しするお金(戒名料や読経料等全て含む)についてのお話しになりました。 正直、お寺さんにお支払いする金額は気持ちとしてこちらが決めた額をお渡しするものだと思っていたのですが、不安だった部分もあり直接菩提寺(曹洞宗でお墓の数は300~400基くらいのお寺)に問い合わせた所、100万円という答えが返ってきました。 金額の高さにも驚いたのですが、まさかお坊さんから具体的な数字が返ってくるとは思いませんでした。 正直、そういった部分は「お気持ちで」等の返事が来ると思ったからです。 以前からその菩提寺は事ある事に改修をし、それ必要?と思うようなもの「ゴジラの大きい石像や、キャラクターの石像」を建て、 法要で家にお越しいただいた際は仏様のお話しをする前に寄付のお話しばかりされる方で、正直不信感をもち、苦手意識がありました。 そういった経緯もあり高いと感じてしまっているのかもしれませんが、この金額は妥当なのでしょうか? そして、戒名にもランク?があり、院をつけたりすると高くなると伺ったのですが、院とつけることで亡くなった祖父には何か良いことがあるのでしょうか? 教えていただければ幸いです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

お布施が上がるのはよくあることですか

先日母を亡くし、10年前に亡くなった父と同じお寺にお世話になりました。 うちはそのお寺の檀家ではありませんが、父の本家が檀家になっており、本家の叔父からお寺へ繫いで貰いました。 父の時の記録を基にお布施など心積りしておりましたが、母の葬儀をお願いした時に改めてお布施の金額をお伺いしたところ、10万円も上がっていて少し驚きました。 父の時から10年も経ち、物価も値上りしているので、驚きはしたもののそういうものかと思い言われた額をお包みしました。 父の時は母の希望で葬儀後も三七日・五七日・七七日(四十九日)・百箇日・一周忌と続けて法要を行いましたので、同じ様に供養すべく先程三七日法要のお願いをしたのですが、今度はお布施が父の時の倍額を提示されて戸惑っています。 父と同じ様に母を供養したいと思っているのですが、この先四十九日・百箇日・一周忌は更に父の時の倍額以上は提示されるものと予想しています。 お恥ずかしながら、私は独身かつ長らく病気で働けていない為、それ程経済的にゆとりがない状況です。 父の時の記録を基に心積りしていたのが良くなかったのでしょうか。 父の時の金額は、一般的な相場と言われているよりは安く提示されていたようです。 ただ、数年でお布施の金額が変わるのはよくあることなのでしょうか。。 こちらからお伺いして金額を提示して頂いた以上、それよりも少ない金額をお包みするのはやはり失礼にあたるでしょうか。 母の葬儀は父よりも小規模にしたものの、お布施は父より高くなってしまうことが気掛かりです。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

お布施の記録はどのようになさいますか

実家の菩提寺に、お盆のお布施を送金しました。おととしまでは行事に参加していたのですが、コロナのため、遠方からの参加は見合わせてほしいということになり、昨年からそうしています。寺域にお墓のある人は、行事終了後、それぞれの墓地にお坊様が卒塔婆を持って行ってくださることになっていました。お供物(お菓子など)は後日郵送してくださるのですが、今回、卒塔婆も一緒に郵送されてきてしまいました。電話してみましたら、電話に出た方が「寺にお墓はありますか?」と。寺域の外にある場合は卒塔婆は自分で供えることになっているのでそう言われたのですが、毎年のことなのに、なぜ今年はそのような行き違いが起きたのだろうと疑問に思いました。あとから住職さんが電話口に出てこられ、「名簿にお墓の番号が振ってなかったのでそうなりました」とのこと。父が亡くなり、そのあと母が亡くなってからすでに8年が経ち、今まで毎年お布施等、欠かしたこともなかったのに、なぜそういうことになったのだろうと。お墓は弟が代表で跡を継いでおり、そちらのほうは番号が振ってあったようです。嫁いで姓も変わった人間は、実家の墓など構わなくてよいのだと言われたように感じ、とても寂しく思いました。お墓参りはしたいと思いますが、彼岸のお布施等、もう、よしましょうか・・・という気持ちにもなりました。卒塔婆は向こうで新しく作って供えてくださることになりましたが、電話の最後、向こうから叩き切るような切り方で、後味が悪いです。代替わりのときの儀式費用も、戒名のランクに合わせた金額を、弟も出しましたが私も出しております。もしかしたら、跡継ぎの弟だけが出せばよかったのかもしれない、と思ってしまいました。 お寺様では、お布施の記録というのはどのようにされているものなのでしょうか。 また、嫁いで姓の変わった人間は、実家のお寺とのお付き合いはどの程度するものなのでしょうか。 お考えをお聞かせいただけたら幸いです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

お布施の額について

このたび家族が亡くなり菩提寺ができました。本家からのご縁のあるお寺さんで、宗派は真言宗です。 お墓を建てた際にお祓いにきていただきましたがそれ以降は法事もなく、檀家にはまだ入っておりませんでしたので深いお付き合いとなるのは今回が初めてです。 昨今の時代もあるのでしょう、お葬式の際はそれぞれのはっきりした金額をお寺さんよりご提示いただきました。お布施のみお気持ちでとのことでしたが、初めてのことでわからなかったため正直に相場をお伺いしました。 必ずその金額でなくともいいですよとのことでしたのでご提示の相場より少々落とした金額でお包みする予定でしたが、私共の故人を供養してあげたい気持ちが強く、お布施をけちけちしてしまうことは故人への供養の気持ちを自ら汚しているような気がして気が晴れず最終的にお寺さんがご提示された相場の金額でお包みさせていただきました。 しかし近所の檀家さんは「あのお寺は何かにつけてお布施の要請があり、それも高額なのでお金がかかって困っている」と仰っておられ、これから長い間お付き合いをさせていただくのに少々不安が残ります。 やはりお布施は私たちにとっては高額で経済的に痛手ともなりますので、できることなら身の丈に合う金額でお願いしたい。しかし小さな集落でとにかく右に倣えの風習があり、本来他の檀家さんと同じようにしておくのが間違いないところを相場以下または大きく下回る金額ですとお寺さんの印象もよくなくなり故人の供養、今後お世話になる後続の家族の供養に差し障りがあるのではと悩ましく思っております。 お布施の額で対応が変わったり、故人の供養に影響したり、また今後私共がお世話になる際にあの家はたいしてお布施をくれないから手を抜こうなどと思われたりされないでしょうか。 どこに相談すればよいのかわからずただ悩んでおりましたため、こちらでお教えいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

何故お布施の額は寺院により違うのですか?

よろしくお願い申し上げます。 先日、父親の葬儀を無事終えました。 浄土真宗です。 いくつか疑問に思ったので質問致します。私の勉強不足で失礼な物言いになってしまっていましたら申し訳ありません。 葬儀の打ち合わせをした際、直接お寺さんにお布施をどれくらいにするかをお聞きしました。 お車代1万(片道車で30分)精進落としは辞退(つまりお膳代1万) 法名付けて30万で結構ですよ。 と仰いました。 結構ですよという文言が気になりました。 お布施は阿弥陀仏に捧げるものなので、金額に不満ということではありません。 全国のお寺さんは集めたお布施をどのくらいご自身の生活に使われて、どのくらいを修繕維持費や拡張費、又は広告費や檀家接待費に割り当てているのでしょうか?それはお寺によりまちまちですという回答はお控えください。どうあるべきかを教えてください。 私個人としてはお布施に各寺院による金額差が出ている時点でおかしいと思っています。 例えば30万のうち20万はどこのお寺さんでも阿弥陀仏に必ずこの額のお気持ちを捧げますという意味で本山などへ送金し、残った10万はお経、説法の勤めと維持費に使いますという約束が欲しいのです。 先日では通夜葬儀含め1時間もいらっしゃったかどうか。荼毘に伏す前にお帰りでした。 葬儀社の方もそれが一般的と仰っておりました。一般的ってなんなのでしょう。 葬儀に伴い、初七日を式の日に合わせて行うことが多いそうですが、言い方がわるいですが、いい加減だなあという印象です。 どうしても仕事が外せないとか、遠方で行けないとかということで日にちを改める事を遺族から伝えることは致し方ないことと思いますが、葬儀社やお寺さんがまとめて法要をすることを勧めたりというのは如何なことなのでしょうか? 不勉強ですが私は霊的にちゃんと日を数えることに意味があると思うのですが、大事なことはそこではないのでしょうか。 四十九日がお盆になるということでその日はずらしましょうと言われました。 宗教は眼に見えず、なかなか体験し難く、自分なりの解釈を得るまでむずかしいですね。 私は無宗派ですが、神仏を習慣ではなくて本質的に大事にしたいと思っておりますので、尚更疑問に思っております。システム化して商売っ気を持ち込んで来ているように思えるお寺さんに対し虚しくなります。 皆様どうお考えですか?

有り難し有り難し 46
回答数回答 4

お布施をお渡しする気持ちがわきません

先日、祖母が亡くなりました。 葬儀会社は決まっていたので葬儀の予定は滞りなく決まったのですが、菩提寺にお渡しするお布施が高く、どうしたらいいのかと悩んでいます。 自宅は千葉、お寺は東京にあるので、電話でお話をしました。 失礼かと思いましたがどのくらいお布施をお渡ししたらよいか分からなかったのでお伺いしたところ135万円と言われました。 思っていた金額よりかなり上でした。 こちらに余裕がある生活をしていればご縁もあってのことですしそのままお願いするかもしれませんが、お恥ずかしい話そのような経済状況ではないもので、そのむね事情を伝えさせて頂き、一括でのお支払はできませんが何度かに分けてなどはできないものかとご相談もしたのですが、今まで分割で支払いをうけたこともないしこれが最低ラインです、と。 どうぞ135万円お包み頂いてお越し下さい、と言われました。 それくらいだすのが当然ですよと、言わんばかりの雰囲気でした。 高額なのとお寺の電話での話ぶりと、気持ちがつりあわなくて、こんなことを思う私が悪いのか、でもどうにも金額が高いのではないのかと、そんなことばかり考えてしまって元々の祖母をきちんと送りだしたい気持ちよりお金の事が頭をしめてしまっています。 ちなみにもし自宅の方で火葬まですませて、戒名だけとなったらいかがでしょうかと尋ねたら、それでも同じ金額です、とおっしゃっていました。 なんとかその金額を準備しても、葬儀代も納骨もまだいろいろあります。正直生活がままならなくなってしまいます。 お布施とはそんな気持ちで納めるものなのかと。 なにもお渡ししないまま戒名をつけて頂きたいなんてそんな事は思ってはいません。できるところまでは感謝の気持ちでお布施できればと考えています。 ですがご提示の金額は高すぎるのではないかと。 その金額は相談できないものなのでしょうか? 戒名だけつけて頂くのも同じ金額とは、そのようなものなのでしょうか? わざわざ東京から来て頂いかなくてよい分お布施の金額をおさえてお渡しすることは失礼でしょうか?それはこちらの勝手な言い分なのでしょうか? 長文、乱文で申し訳ありません。 ですが、どこで、どなたに相談したらよいものかもわからずネットで検索していたところこちらを見つけて、もうここしかないと… よろしくお願いします。

有り難し有り難し 143
回答数回答 6

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ