お経を途中で間違えたらどうしますか
お坊さんでもお経を間違うことはあるのですか?
プロの歌手でも歌詞を間違えることがあると思いますが、お経を間違ったり、噛んだりして変なふうによんでしまったことはありますか?
そういうときはどう取り繕いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
kyosukeさん
kyosukeさん
お経本をみて上げているので間違えません!!
と言えたらかっこいいのですが、音程を間違えてしまうことも、濁音を間違えてしまうこともあります。
私の場合、ご門徒さんは「若いからねー」と言って下さいますが・・・
いつまでもその言葉に甘えているわけにもいきませんので習礼もします。
ただ、のどは完璧な状態でお参りできるようにうがいなどの日々のケアは怠れません。
お経や歌を間違えることより、本道を外れないこと。
もし、間違えたら素直に、少し前からやり直します、ね。
私のトリッキーな弊師(師匠)はお経の中で音の響きが二通りに取れるような箇所、たとえば
・フジサンキタカイ〈不自賛毀他戒〉・オンナヲホウシャスベシ〈恩、尚報謝すべし〉、
・テンゴクノシンワ〈諂曲の心は〉など、音の響きで誤解されやすかったり、意味が伝わりづらいところなどは勝手にアレンジしてしまう方(笑)なのでお経がズレることはしょっちゅうでした。(´・Д・)」アワワワ。
最初のうちはお寺でお経をあげている時などは経本通り読んでるとズレるので困っていたものですが、お経の真意を理解した上であれば聞いて下さる方に真意が伝わるように現代調で読んでいくことも大事であるから、とあまり気にしなくなりました。
歌でも、意味をきちんと理解した上でハートを込めて歌えば、心と体と、気持ち、表情までもが重なるので自然にノッて間違いは自然に減るものです。
お笑いやトークもそうでしょうが、法話も現場の雰囲気、空気によって内容を若干変えていった方が活きた言葉となる為、原稿に頼っていられないこともあります。
プロの歌手ならば、たとえ歌詞を間違えたとしても、そこに情念、情熱、ハートがあれば、メロディー、声に乱れはありません。かえってアドリブだってこなせるでしょうし、その会場で思いついた、そこから沸き起こる歌詞が歌えたならばそれはもはや間違いではありません。
いわゆるミス、失敗した時こそ、取り繕って体裁をととのえる、ということに心血を注ぐよりも、そこでいかに心を乱さずに冷静に処して、一番そこで提供すべきことをきちんと提供できるかどうか。
失敗しても落ち込むばかりではなくそれを、どう次に活かしてゆくか、そういう対処姿勢もプロとして問われるところでしょう。
たとえ同じ曲を演奏しても二度と同じ演奏はできないのだ、という一期一会の理解が深まれば、小さなミスをとやかくいうことよりももっと大きな本道、本筋が見えてきて、自ずからミスが減ってくると思います。
心より念仏申す 気持ちが 何より大切です◎
お経は「教え」そのもの。一言一句間違えないように、と叩き込まれていますので大丈夫です◎
と言いたいところですが……人間ですので、喉をつまらせたりして、テンポがズレたり、ミスもあるかと思いますね。そこは、しっかりカバーしながら、最後まで乱さず勤めるようにしています。
もちろん、皆さんが日常にお勤めされる時は、音が外れる、リズムがとれない等、あまり気になさらずに、心より念仏申す気持ちが 何より大切です◎
お念仏は、いつもあなたのそばにいますよと、仏様からの喚び声です。
そもそもお経は経本を見て……
kyosukeさん。おはようございます。
私たちも在家の方々と全く変わりません。間違えることもあります。間違えたら、少し戻ってお唱えしるようにしています。
当院で、お生まれになっている覚鑁(かくばん)聖人が、密厳院発露懺悔文の中で、「お経を間違える事も懺悔しなければならない」と説かれています。
よって、私は、覚えているお経でも、お経を唱える時は間違えないように経本を見て唱えるようにしています。
kyosukeさん、こんにちは。
人間ですので間違えることもあるでしょう。
「やべっ間違った!」と気付くこともあれば、一心不乱によんでいて間違えることもあります。
前者はお経に没入していないことを恥じ、後者は覚醒していないことを恥じます。
懺悔し、初めからやりなおす。
・・ただ、初めからやりなおすのが相応しくないと判断された場合、そのままスルーします。「お坊さん自身が格好悪いと思われるから」ではなく、その状況の変化を心配してです。
”どう取り繕いますか?”という質問文で、「お坊さんも同じ人間なんだろうな」という気持ちが潜在意識にふくまれているぞーヨシヨシ・・と合点しております。
kyosukeさんもぜひ読経してみてください。写経もよさそうですね。
世の中、成功しか見てない。
私はついお経を間違えてしまいます。経本を読んでいても、次のページをめくるのが遅れて詰まることもしばしば。その時は正直、「ごにょごにょ・・・」とごまかして、さも失敗してないように進めていきます。お経が止まることよりも進めることの方が安心感を与えるからです。でも、終わった後には佛様に合掌一礼して懺悔(懺謝)します。「あーやってしまった。佛様、観音様、失礼しました。」これに関して、一つ名言があります。
黒田官兵衛(来年の大河ドラマの主役)が「神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下の罰おそるべし。そのゆえは神の罰は祈りてもまぬるべし。主君の罰は詫言して謝すべし。ただ臣下百姓にうとまれては必ず国を失う。ゆえに祈りても詫言してもその罰はまぬかれがたし。ゆえに神の罰、主君の罰より臣下万民の罰はもっとも恐れるべし。」という戒めを息子たちに残しています。
僧侶も同じで本当に大切にしなくてはならないのは、人の気持ちだと思います。時には失敗もありますがどのような思いでお経を読むかいつも考えております。
はい、まちがえることもあります!
正直間違えます
kyosuke様へ
お坊さんも人間であります。
特に私はまだまだ修行の身でありますので
正直間違えることがあるのは事実です。
その場合、戻ってもう一度読経させていただきます。
そして、心の中で謝るようにしております。
合掌
kyosuke様。
我々真言宗僧侶は、山口 光玄 師も仰る様に、お経は経本を観て…と習い、
平生も其の様にして読経しています。
しかしながら、間違ってしまったら最初から唱え直していますよ。
気持ちが伝われば・・・
簡単な間違えならそのまま流れで次の所を読みます。
大きな間違いなら戻って読むこともあります。
細かい事に惑わされず、大きな意味が伝わればと思って読んでいます。
人間ですから多少の間違いはあります。