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お経を途中で間違えたらどうしますか

回答数回答 10
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お坊さんでもお経を間違うことはあるのですか?
プロの歌手でも歌詞を間違えることがあると思いますが、お経を間違ったり、噛んだりして変なふうによんでしまったことはありますか?
そういうときはどう取り繕いますか?


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お坊さんからの回答 10件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

kyosukeさん

kyosukeさん

お経本をみて上げているので間違えません!!

と言えたらかっこいいのですが、音程を間違えてしまうことも、濁音を間違えてしまうこともあります。
私の場合、ご門徒さんは「若いからねー」と言って下さいますが・・・
いつまでもその言葉に甘えているわけにもいきませんので習礼もします。

ただ、のどは完璧な状態でお参りできるようにうがいなどの日々のケアは怠れません。

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皆さまより経験も少ない私ですが、お育て頂けたらなと思っております。
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お経や歌を間違えることより、本道を外れないこと。

もし、間違えたら素直に、少し前からやり直します、ね。
私のトリッキーな弊師(師匠)はお経の中で音の響きが二通りに取れるような箇所、たとえば
・フジサンキタカイ〈不自賛毀他戒〉・オンナヲホウシャスベシ〈恩、尚報謝すべし〉、
・テンゴクノシンワ〈諂曲の心は〉など、音の響きで誤解されやすかったり、意味が伝わりづらいところなどは勝手にアレンジしてしまう方(笑)なのでお経がズレることはしょっちゅうでした。(´・Д・)」アワワワ。
最初のうちはお寺でお経をあげている時などは経本通り読んでるとズレるので困っていたものですが、お経の真意を理解した上であれば聞いて下さる方に真意が伝わるように現代調で読んでいくことも大事であるから、とあまり気にしなくなりました。
歌でも、意味をきちんと理解した上でハートを込めて歌えば、心と体と、気持ち、表情までもが重なるので自然にノッて間違いは自然に減るものです。
お笑いやトークもそうでしょうが、法話も現場の雰囲気、空気によって内容を若干変えていった方が活きた言葉となる為、原稿に頼っていられないこともあります。
プロの歌手ならば、たとえ歌詞を間違えたとしても、そこに情念、情熱、ハートがあれば、メロディー、声に乱れはありません。かえってアドリブだってこなせるでしょうし、その会場で思いついた、そこから沸き起こる歌詞が歌えたならばそれはもはや間違いではありません。
いわゆるミス、失敗した時こそ、取り繕って体裁をととのえる、ということに心血を注ぐよりも、そこでいかに心を乱さずに冷静に処して、一番そこで提供すべきことをきちんと提供できるかどうか。
失敗しても落ち込むばかりではなくそれを、どう次に活かしてゆくか、そういう対処姿勢もプロとして問われるところでしょう。
たとえ同じ曲を演奏しても二度と同じ演奏はできないのだ、という一期一会の理解が深まれば、小さなミスをとやかくいうことよりももっと大きな本道、本筋が見えてきて、自ずからミスが減ってくると思います。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の法話  自己を明らかにするために絶対に必要なこと 「非思量」 ...
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心より念仏申す 気持ちが 何より大切です◎

お経は「教え」そのもの。一言一句間違えないように、と叩き込まれていますので大丈夫です◎

と言いたいところですが……人間ですので、喉をつまらせたりして、テンポがズレたり、ミスもあるかと思いますね。そこは、しっかりカバーしながら、最後まで乱さず勤めるようにしています。
もちろん、皆さんが日常にお勤めされる時は、音が外れる、リズムがとれない等、あまり気になさらずに、心より念仏申す気持ちが 何より大切です◎

お念仏は、いつもあなたのそばにいますよと、仏様からの喚び声です。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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そもそもお経は経本を見て……

kyosukeさん。おはようございます。
私たちも在家の方々と全く変わりません。間違えることもあります。間違えたら、少し戻ってお唱えしるようにしています。
当院で、お生まれになっている覚鑁(かくばん)聖人が、密厳院発露懺悔文の中で、「お経を間違える事も懺悔しなければならない」と説かれています。
よって、私は、覚えているお経でも、お経を唱える時は間違えないように経本を見て唱えるようにしています。

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山口光玄
昭和39年9月14日生 新義真言宗大本山誕生院執事 社会福祉法人覚鑁会...
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kyosukeさん、こんにちは。

人間ですので間違えることもあるでしょう。
「やべっ間違った!」と気付くこともあれば、一心不乱によんでいて間違えることもあります。

前者はお経に没入していないことを恥じ、後者は覚醒していないことを恥じます。
懺悔し、初めからやりなおす。

・・ただ、初めからやりなおすのが相応しくないと判断された場合、そのままスルーします。「お坊さん自身が格好悪いと思われるから」ではなく、その状況の変化を心配してです。

”どう取り繕いますか?”という質問文で、「お坊さんも同じ人間なんだろうな」という気持ちが潜在意識にふくまれているぞーヨシヨシ・・と合点しております。
kyosukeさんもぜひ読経してみてください。写経もよさそうですね。

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「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...
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はい、まちがえることもあります!

人間である以上読み間違え、唱え間違いはあります。時々緊張してアタマ真っ白になることもあります。
間違えた処を一呼吸してもう一度お唱えしています。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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世の中、成功しか見てない。

 私はついお経を間違えてしまいます。経本を読んでいても、次のページをめくるのが遅れて詰まることもしばしば。その時は正直、「ごにょごにょ・・・」とごまかして、さも失敗してないように進めていきます。お経が止まることよりも進めることの方が安心感を与えるからです。でも、終わった後には佛様に合掌一礼して懺悔(懺謝)します。「あーやってしまった。佛様、観音様、失礼しました。」これに関して、一つ名言があります。
 黒田官兵衛(来年の大河ドラマの主役)が「神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下の罰おそるべし。そのゆえは神の罰は祈りてもまぬるべし。主君の罰は詫言して謝すべし。ただ臣下百姓にうとまれては必ず国を失う。ゆえに祈りても詫言してもその罰はまぬかれがたし。ゆえに神の罰、主君の罰より臣下万民の罰はもっとも恐れるべし。」という戒めを息子たちに残しています。
 僧侶も同じで本当に大切にしなくてはならないのは、人の気持ちだと思います。時には失敗もありますがどのような思いでお経を読むかいつも考えております。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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正直間違えます

kyosuke様へ

お坊さんも人間であります。
特に私はまだまだ修行の身でありますので
正直間違えることがあるのは事実です。

その場合、戻ってもう一度読経させていただきます。
そして、心の中で謝るようにしております。
          合掌

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鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
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kyosuke様。

我々真言宗僧侶は、山口 光玄 師も仰る様に、お経は経本を観て…と習い、
平生も其の様にして読経しています。
しかしながら、間違ってしまったら最初から唱え直していますよ。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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気持ちが伝われば・・・

簡単な間違えならそのまま流れで次の所を読みます。
大きな間違いなら戻って読むこともあります。
細かい事に惑わされず、大きな意味が伝わればと思って読んでいます。
人間ですから多少の間違いはあります。

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50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
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「お経・経典の種類、意味、唱え方」問答一覧

生老病死

 数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。  ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。  そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。  般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。  生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。  「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。  即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。  従って仏教の救いは死後にあることになります。  しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。  それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。  そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略

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