今の自分が嫌いです。
私は無職です。
人の視線が気になり、どうしても一人で外に出れません。
家族や友達と一緒でも、見られてる気がして怖くて不安になります。
自分の行動や発言、一挙手一投足に注目されている気がして、息苦しくてたまりません。
こんな自分が大嫌いです。
精神科に行きたい気持ちはあるのですが、母は私が精神的な病であると信じたくないらしく、育て方が悪かったのだと自分を責めます。
それを見ているのも苦しくて、私がいなければ、生まれて来なければよかったのにと毎日辛くてたまりません。
正直、思い残すことはないんです。役立たずな自分なんて死んでしまえと何度も思っていますが、自分で死ぬこともできません。
どうしたらここから抜け出せるんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ここから抜け出すべき「ここ」とは、心のなかのこと。
自分が自分のマイワールドで自分をいじめる設定をしている「アタマの中」から出てみましょう。
人間は自分の頭の中で考えたことは残念ながら自己責任。
考えたくないことでも考えてしまえば、それに頭が染まっていく。
わたしも修行道場時代、ずっと頭の中に志村けんと研ナオコがでてきて45分間志村&ケンまみれになったことがあります。
太宰治の人間失格を読んだ時「ワザワザ」のシーンで凍り付き、自意識過剰を自覚した時期もありました。
ですが、ある時「人の目を気にするというのは、自分の事なんてそんな細かーいところまで誰もゼンッゼン気にしていないのに、自分だけが❝あの人わたしの事を見ているんじゃないか❞と思ってるだけじゃないか。」ときづきました。
これを「あの人が気にしているんじゃないかという自分の思い」に悩んだ自分と致しましょう。
ここを煮詰めていきます。
すると「ああ、人というものは、こちらも相手のことがさほど細かいことが気にならないということは他人さまもこちらのことなんてさほど気にしてないんだ」ということがわかり、丹下のように頭にハエがたかっていようが、肩に鳥のフンがついていようが、背中にセミの抜けがらがついていようが、顔にご飯つぶがへばりついていようが、気にならなくなるものです。
「ああ、本当だ。誰もそんなふうに見ちゃいないんだなぁ」と分かります。
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追伸:
精神科医にかかりますと、保険などキャリアに傷がついてしまうことがありますので、一度坐禅会にお越しいただくか、お電話ください。
こだわり、考えを捨てる道
人って不思議なんですよね。
人に見られてると思うと身動きが鈍くなるんですよね。何ででしょう。
こんなことしていいのか不安になったり逆に自信があるときはみんなが自分を見ていると思い込みさらに自信過剰なほどになったりしてしまうのですよね。
しかも、犬や猫、赤ちゃんに見られていても、問題にならないのに、何が違うのでしょうかねー。
人にどうこう思われても一切傷つくこともないのが現実なんです。そこを冷静に捉えることができるかどうかで、仏道を歩めるのか、悩みの道を進むのかが決まります。
あなたが本当に変わりたいなら、真理、真実を知るべきです。
考え方や思いを手放し事実に生きる道を学ぶ必要があるのです。
是非、禅を学んでいただきたいです。丹下さんが言われているように、実際にお話を聞いてみる必要があると思いますよ。
質問者からのお礼
早速のご回答、ありがとうございます。
やはり自意識過剰なだけなのでしょうか…。
ですが確かに自分は他人の事をそこまで気にしたことはないなと思いました。
すぐには無理でしょうが、今一度考え直してみます。
目下の目標は精神科に行くことですね。
お話聞いていただいて本当にありがとうございました。