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気づく力、情報をキャッチする力が弱いと感じています。

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私は、「自分の役に立つ情報」を手に入れるのが人と比べて遅いということに悩み、かつ(そのような自分に対して)憤っています。

具体的に申しますと、自分の興味のある、将来に役立つであろう講義やセミナーなどを、見つけたときには時既に遅し、ということです。

親からはいつも、「アンテナを張り巡らせ」と言われているのですが、全く改善しません。そもそもアンテナの受信強度(と言うべきでしょうか)をどうやって強めればいいのかさえ見当がつきません。

どうすれば、情報のキャッチ能力を高めて、あとで悔いることのないようにできるでしょうか。
もちろん人間ですから、100%全て受信なんて無理だということは、承知しております。それでも、人並みに「気づけ」るようになるにはどうするのが良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それが別に悪いことではないとキャッチする

人間は本来の様子「元々の様子」でいる時は何も拾い上げをしません。
何かに関心を寄せ始めた時から、その事に関する情報をキャッチするようになります。
わたしも情報のキャッチ力はありません。
自分の関心を寄せること以外何も拾い上げません。
ハードオフのジャンクコーナーで売っているポンコツマイク位、音も情報も拾えません。
ですが、あなたの力は、まず良いチカラと捉えてよいものです。
仏教では、人間の本来の「はからいのない」働き・チカラは般若といいます。
「自分が無い」ことで「拾い上げの無いこと」です。
拾い上げても残らないのです。
自分が無い=自分の利欲心としてのエゴ意識や、自我意識が立ち上がっていないから、自分の定めるルールがありません。
反対に「アンテナを張り巡らす」というのは、何かを「しよう」という心です。
何かに関するジャンルの情報を本当にその気になって集めようとすれば「自然に」集まります。脳が集めてくれるのです。これも人間の天然の働きなのです。
たまたま、良い情報が期限切れになっていたというのは別問題です。
その気になれば今後の為になる講座を自ら検索してメール登録でもすればいいのです。
※高額のセミナーは人のコンプレックスを利用して内容としては数千円が妥当であるものを勿体つけて高く売りつけるものですから注意が必要です。
自分が一定のものをのぞむと、脳はそれに関する物事に焦点が合わされるものです。
それを引き寄せの法則と世間では名づける場合もあります。
人間がそれを求めれば自然に集まってくるのです。
人間の脳は、元々の様子は「なにかをしよう」としていないので、構え事もはからいもありません。
だからと言って決して何も拾い上げないわけでもなく、そのチカラを活用すれば何でもサーチ、拾い上げができます。
庭の小石の中でネジを捜索していた時に感じたことですが(笑)、何かを集めようとすると、沢山の砂利の中にあるネジを探そうと、脳がそれに似たものだけに焦点を合わせてくれるものです。
必要とするものの焦点を絞ってみてください。
必ずそれはあなたの手元に集まります。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

こんにちは

 不思議なもので普段から「こういう事を学びたい」「こういう人に会いたい」と思っていると、自然とその機会に恵まれるものです。知りたい情報ばかりではなく、様々な事に興味を持ち、積極的に参加する事を持続的に行う事で、思いもよらない所から情報が入るものです。

 また、行けなかった講義やセミナーは、あなたにはご縁がなかったと思いましょう。私も情報の取り損ないや病気などで行けなかった講座やセミナーがありましたが、後から思うとあまり自分向けではなかったなぁ、あれは。と思う事がありますよ。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

情報に触れる機会を増やす

情報を知ったときは既に遅しという経験は誰にでもあります。そういうことが何回かあると、情報に見放されているのではと思いがちですが、実際はそんなことはありません。興味があるから目につくだけです。急いでいるときほど信号が赤になるという経験があると思います。その結果が強く印象付けられているだけで、全体の件数から見れば赤も青も同程度です。
興味のある情報や役に立つ情報を手に入れ易くする方法はあります。同じ趣味を持つグループや自分の役に立つセミナーなどを紹介するSNSに加わることです。わたしも趣味や実益のSNSにいくつか入っていますが、毎日のように情報が入って来ます。ありすぎて迷うほどです。そのグループに入っている限り、一般の方より情報が遅いということはありません。
あなたの場合、情報のキャッチ能力を高めるというより、情報に触れる機会を増やすということが必要なのだと思います。そこからスタートし、その次に取捨選択する能力を磨いて下さい。

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おきもち

個別相談可能
鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て2008年より専従住職をしています。金融・保険、ホテル、冠婚葬祭互助会などの勤務経験があります。営業、広告宣伝、総務、経理、ITなどの職種を経験しています。今年73歳になる年男ですが、比較的若い回答僧侶が多い中、老僧としてhasunohaにかかわりたいと思っています。
基本的に午前中はお受け出来ません。午後2時から午後8時に対応させていただきます。お寺ですので、急な法務が入りお約束の時間を変更させていただく場合がありますことをご了解下さい。

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