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何してきたんだろう

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有り難し有り難し 24

お願いします。
 社会につまずいています。働かないといけないと感じてはいるのですが考えたこと、言われたことを忠実にしても空回りすることが多く情けなく感じます。人は向いていない仕事でも平均には出来ると考えていますが私はそれが出来ないと感じてしまいます。
 生きていく上で働くことは大事であると考えますが何をしても人並みにこなせない、将来は虚しく終わるのではないかと考えてしまいます。努力が結果に結び付かないことが多く、今まで何してきたんだろうと考えが回ります。それでも立ち上がらないとという思いがあります。甘えてる、もっと努力しろと言われるかもしれません。けど、自分自身が何も学ぶことなく生きてきたのではないかと考えてしまい辛いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今、何もしてなくても、それをしてる。

引用問答にて
Q社会につまずいています。
A(´Д`)みんな、最初はそうっすよ。
Q働かないといけないと~多く情けなく感じます。
A(´Д`)わたしもそうでしたよ。そこで停滞だけしない様にすればいいのです。
仕事とかって、構えずに「ただこいつを使って、見ることを見る、聞くことを聞く、やることをやる。」と単純に考えると良いですよ。
Q人は向いていない仕事でも~私はそれが出来ないと感じてしまいます。
Aうん。できない。私は数字が弱いので会計とか超ムリっす。むしろやってみたい仕事ってないですか。私は魚の解体ができたらいいなと思うので、角上とかスーパーの魚キッチンで働いてみたいっす。だから、出来ないことはやらない方がいいです。やりたいことを探しましょう。
Q生きていく上で働くことは大事であると~しまいます。
Aまぁ、そう考えちゃうことってあるよね。でも、まだそうなった訳じゃないし。その暗い考え方を直せばいいと思うよ。
Q努力が結果に結び付かない~が回ります。
A結果って、チョトずつでも出てるモンです。種まいてりゃ花はすぐに咲かなくても、鳥がつんつんしにきたりとか、芽になったりしてます。それも結果なのです。
Qそれでも立ち上がらないとという思いがあります。
Aたて、立つんだジョー。(丹下だけにね)
Q甘えてる、もっと努力しろと言われるかもしれません。
A3日間、寝て暮らしたら?さすがにヤベーとか思うよ。
Qけど、自分自身が何も学ぶことなく生きてきたのではないかと考えてしまい辛いです。
A学ぶって一生ですよ。私だってあなたとのやり取りが学びです。
学びの為にこそ、人は生きて仕事して、何かするんじゃないかな。
この自分を自分でどんどんこの世で快適に過ごせるための方法をさがして、カスタマイズしていけばいいのですよ。何もしてないようでも、この文字を読めば何かが脳内で起こる。
だれかが有り難しであなたの背中を押してくれる。何をまなぶかじゃない。脳内で「どう」学ばせるか。「どう」機能させるか。
あなたの失敗は失敗のままにさせなくていい。
今から肥やしにして、自分の花を咲かせる材料にすれば、完全に自己肯定ができる。
あなたが今相手にしているのは思い・想いでしょ。
そっちは放っておいて、今日起こっている事を相手にすることです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ネット、人…何でも頼りましょうよ!

 あなたにとって定職に就くことが目標でしょうけれども、まずはボランティア団体での仕事のお手伝いを探す、また各地で開かれている安価または無料の自己研鑽的なワークショップに参加されるなどの方法は如何でしょうか。
 そういったところで人と触れ合うことで学べることは多いと思います。
 「人並みにこなせない」と一口におっしゃいますが、人並みなんて無いんですよ。プロ野球の世界…営業社員の世界…プログラマーの世界…とにかく皆それぞれ「全く違う」存在なんです。人を十把一絡げに見るのは、、人をしっかり見ていないことと同じかと思いますが…。
 あなたは人並みでない、「あなたの人生」を生きるのです。生きるべきというより、あなたの人生を生きていくしか他に道はありません。
 誰も代わってくれませんし、一度きりの人生を人に生きてもらったなら、もったいなさ過ぎです。
 結論的にはあなたが決めてあなたの人生を生きていくのです。
 人生の時間は限られています…だから今すぐ行動開始! が理想ですが、まず自分に出来る事を「必死に」探しましょう。ネットでも知り合いでも何でも頼りましょう、使いましょう。
 春ですし、さあ『ミツバチ探しに行き』ましょう!

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

ありがとうございます。色々とやってみます

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ