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死にたい願望が絶えません

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有り難し有り難し 30

真言宗の信者です。新興宗教は全く信じないものです。死ぬ、これは誰にも与えられたものですが、親よりも先に逝こうと考えてます。仕事の事とか、経営している店の事とかで、もう、手一杯でにっちもさっちも行かない状態で。死ねば楽になる、なんて思っても見たりしてます。小さい頃から仏教には興味があり普通の人には地獄、天国など信じ難いものかも知れませんが結構、気にして生きて来ました。今では般若心経、幾多のお経も唱えられます。自分が死ぬ事(自死)にあたり、お経を唱えながら死ねば極楽浄土と言いませんが、成仏出来るのでしょうか。若い頃は霊感とかもありましたが、歳を取るごとに全く無くなって来ました。今ではあの霊的出来事も嘘の世界とか思ってもみたりします。誰しもが、死んだ後はどうなるか、なんて具体的に答えられる方は誰一人いません。こうやって書いて自分を慰める事自体、自慰行為の何者でもない事は分かっています。ついでかどうかはわかりませんが、鬱病で大学病院に通院してます。鬱の薬は自分では麻薬の様なもの、と思っています。家内が薬の量を調節してくれて、今ではかなりの量を減らす事が出来ました。それまでは手のひら一杯、ラムネの如くてんこ盛りで飲んでいた時期がありました。病気と自殺願望は切っても切れないものと思います。やはり自分の意思が弱いのでしょうか。それともわたしの意としていない、何か(誰か霊的な物)がそうさせているのでしょうか。就寝前には大体、毎日とは言えませんが般若心経、一通りのお経を唱えて寝てます。勿論、先祖供養とかその他の供養とかですが。私自身、信心深いと言えばそうかも知れませんが、神、仏、信じられない時があります。何故、ここまで試練を与えられるのか、とか。私自身、家内を2度(二人)も自死で亡くしております。普通にこんな苦しい思いをしてる人って居ませんよね。どうか、助けて下さい。お願いします。

2017年4月6日 3:55

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の身体を殺すより、心を騒がせる自我意識を黙らせる。

本当に大変でしたねぇ。
私も昔死のうと思いましたから死にたい気持ち、よく分かります。まず深呼吸を。
自殺しても自分の意志で死ねませんよ。
自殺は❝できる❞と思われるでしょう。
南スーダンで国境なき医師団として活動していた知人医師は食用ヤギを殺す所を目の前で見ていたそうです。血を抜く為に逆さづりで安楽死であちこち切る。それでもヤギもすぐに死なない。「死ねない」のだそうです。
「死ぬってねぇ、なかなか死にたくても死ねないんだよ…」
( ..)φ (゜Α゜;)
  🐐
牛や鳥の屠殺もみたことがありますが生命はすぐには死んでいません。
自分の意志で動けなくなっただけ。
この生命活動を最後の最期で停止してくれるのは、私どもの身体の主人公「お命」の為すこと。
さっと一思いに死にたい、殺してくれと思っても、声が出なくなったいうだけで本当はとても苦しい状態が続いているだけで「生きてしまっている」のだそうです。苦しくても声も上げられない苦しい状態。これはあまり知られていません。
だから、あまりお勧めできません、自殺は。
それより良い自殺の方法があります。
私もこっちなら経験があります。
「死にたい」という気持ちが強く働いてしまうこの騒がしい「わたくし(自我)」の活動を休ませる方法です。
大死一番。生まれ変わる方法です。
人間は「自我意識過剰」という状態があります。オレオレした「自我意識」が盛んな状態。仏教的には五蘊盛苦といいます。
「ああ、オレの中のオレが騒がしい…!」状態です。
私も自殺しようとしたとき、それを感じました。
あなたの苦しさは「オレ」が過剰なのです。
そうでないと人間は「自分で」死のうなんてしません。
過剰に「自分・オレ」を握ってしまって離せんのです。
神仏に背く行為とは厳密には真の人間性(いのち)の安楽な有り方から背く「私」という心が過剰なあり方を言います。
あなたが自殺した後、具体的にどうなるかだって分かるでしょう。あなたの知人や私ども沢山の人たちを暗い気持ちにさせるという具体的な現実が待ち受けています。
私はこのワタシが自殺したがっていた時、それは自分が恰好つけている姿と知りました。
本当に私を捨てるとは、完全敗北。自殺したい自分も捨ててしまうこと。
単純にこの騒がしい踊り狂う「おのれ」を鎮める工夫をしてみませんか。
人が坐禅をするのはその為でもあります。禅。

2017年4月6日 16:38
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

儚い人生だからこそ

拝読させて頂きました。今までそして今もあなたが大変つらい立場に追い込まれておられることを読ませて頂きました。あなたのそのつらい思いを心よりお察し申し上げます。
あなたのおっしゃる通り生きること、人生は大変つらいことです。気がつくと自分が追い込まれて囲まれて八方ふさがりな様に感じます。知らず知らずに苦しい方に差し向けられてしまう様にも思います。
例え眠っていても何かに追い込まれ苛まれてしまう様にも感じます。
この世は濁り汚れた世界でもあるのです。
そう思ってしまうそもそもの原因は私達自身が何もわからない愚かな存在だということです。ものごとやこの世のあり様を正しく見ることできずに我欲や偏見や差別意識でしかものごとをとらえることができないこと、そしてとらわれてしまい執着してしまうことが苦しみの原因であることをお釈迦様は教えて頂いたのです。
そうは言っても、はい、そうですね!迷いや執着心をあっさり捨てることができないのが私達です。
あなたがおっしゃる通り自死することにてこの苦しみから離れることもあるのかもしれません。
自死自殺したとしても仏様は何ら差別することなく仏様の極楽浄土に生まれ変わらせてくださいます。
私はただ今の自分達にはそれぞれにやるべきことや本当に学ぶべきことや他者に対して役に立つべきことがある様に思います。
私達の生命は皆儚いものです。吹けば飛ぶような小さなものです。それでも様々なつながりのなかで生まれ生かされていると思います。
この一生の中で少しでも何かを得ていきたいと思います。そしていつの日にか本当の苦しみや辛さから開放されていきたいと思います。
あなたにもどうかあなたの人生を生かして少しずつ何かを得ていかれて苦しみから解放されて頂きたいと切に願います。
人の一生とは本当に儚いものです。だからこそ大切に毎日毎日を生きていかれてほしいと願います。
あなたの人生がこれから少しずつ方向が変わり開かれていかれて心も身体も豊かに解放されていかれて実りある毎日となられます様にと切にお祈り申し上げます。

2017年4月6日 14:03
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして8年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

「死にたい・死にたいほどつらい」問答一覧

辛くて死にたい。

 タイトル通り心身の不調が続く日が多くなってきており、死ぬことを考え始めています。  今まで頑張ればいつか良くなると信じて色々と頑張ってきました。しかし、あまり改善はしません。そんな状況に疲れました。そして、最近「そもそも死ねば苦痛から解放されるし、生きることをやめた方が良いのでは?」と強く感じます。  もちろん、私が死ねば残された人は苦しむかもしれませんがそれもその人にいつかは訪れる死が救ってくれると思うのです。亡くなった父も死によって救われたでしょうから苦痛に対する根本的解決を目指すなら生きることをやめる以外の方法はあるのでしょうか?  また、私は家族以外に心を許せる人が現在居ませんし結婚もしていません。年々段々と年老いていく家族を見て恐怖を感じています。このまま生き続ければ私は本当に一人ぼっちになって今よりもっともっと辛い苦痛が待ち受けていることが確定していると感じます。もうあんな辛い喪失体験をこれ以上重ねられる自信もないし、そんな未来に耐えられないと思います。 それならばまだ自由に身体が動く今の内に決着をつけてしまった方がまだ良い選択な気がするのです。  また、こちらのサイトでこういった死にたいという考えをお持ちの他の方の質問も拝見しました。その際に、「家族が悲しむ」や「様々なものによって生かされている命だから」という回答を拝見するのですが、そういった正論を見ても考えを変えることができない自分の器の狭さにも絶望しています。とにかく自分がもう楽になりたいという気持ちで頭がいっぱいです。また、ただ「死にたい」という漠然とした気持ちではなく、明確な悩みがある状態での死を希望する気持ちがありますので、心の病気ともちょっと違う気がするのです。この悩みを解消するには時間が必要なこともわかっています。でも、もう頑張りたくない。自分が怠け者で最低だと思います。病院にも行っていますが、症状を誤魔化しているだけで解決には至らないのも辛いです。本当に辛い時に誰にも相談出来ない状況なのも苦しくなってきました。  色々なことに苦痛を感じている自分を誤魔化すことに疲れてしまいました。もう苦痛から解放されても良いでしょうか。

有り難し有り難し 30
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転職で死にたくなるほど不安になる時

8月に8年間勤めていた会社を辞め、9月より転職します。 転職理由は、スタッフと人間関係で誤解がある事を上に伝えても聞き入れてもらえず異動になってしまい、収入減になり体調を悪くしてしまい、会社に不信感を持ち転職に踏み切りました。 一応、今より条件の良い転職先が決まり、後は9月入社するだけなのですが、 ①また人間関係でつまづいてしまうのではないか ②しっかりと家族を養っていけるのか(8月に2人目の子供が生まれます) ③転職をした自分はまた何か悩みが出てきたら転職を考えてしまうのではないか この上記の不安が頭の中につきまとい、前を向かなきゃと思う反面死にたいという思いがよぎり頭が痛くなる時があります。 もちろん家族の大黒柱として次は何があっても辞めず、定年まで勤め上げようと思っております。 しかし、ふとした時に周りの同世代と比べ、転職をした事への劣等感から弱い気持ちが出て来出てしまいます。 2人子供がいる身として、このような弱い気持ちではいけないと思うのですが、このような気持ちを断ち切り、前を向く為にはどのような心構えで過ごせば良いのでしょうか。 死にたいと思うのはいけない事だと重々承知しております。 この不安を拭い去りたいです。

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芸術家になれないなら死にたいです

3歳の頃からピアノを習っていました。その頃からいつだって私の一番は音楽でした。 しかし、同じ時から「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから(私はそうではないから)」と自分と家族に言い続けていました。ピアノ教室にはその後十数年間は通いましたがプロを目指そうとしたことはありませんでした。どういう理由でそんなことを言い始めたのか自分でもわかりません。ただ時々、音楽家になれない自分の苦しみを家族のせいにしたくなった時は、「幼いながらに家庭の経済事情を慮ったからではないか」と考えます。 映画と美術品と文学も好きです。そして、それらを創作する人々にどうしようもなく憧れています。 この質問のタイトルの「芸術家」について、「創作活動と表現活動が生活の一番大きな部分を占める人」と私なりに定義してこの名称を使いました。私はそのような人ではありません。今は大学の勉強、卒業すれば(今のままならおそらく)会社勤めを中心とした生活を送り、趣味で芸術に触るだけの人になるのでしょう。 「音楽だけで食べていける人なんて一握りだから」という呪いを無意識に自分にかけ続けてきた。それが呪いだということにも今更気がついて、残っているのは後悔だけ。 そして現在は、「音楽だけでは食べてはいけていない人」を見つけては自分を慰めています。自分からその人たち世界に飛び込むこともしない。私は醜いです。 音楽を、映画・美術・文学に置き換えても同じです。毎日、毎分毎秒、芸術を追いかけて、新たな芸術に出会うたびにそれを愛して、同時に「自分には創り出せる代物じゃない」と泣き喚く。 悲しくて悔しくて恥ずかしくて苦しいです。しかし芸術への執着に折り合いをつけたい訳でもありません。 ただ、こんな無様でみっともない人生ならさっさと幕を下ろしたいです。 この質問を書き込んで、これからも芸術を一番に愛します。芸術家になりたいなりたい、なれないなれないとどうしようもない事柄を嘆き続けます。自殺に失敗するようなリスクは取れない臆病者のまま生きていきます。

有り難し有り難し 24
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満たされているのに早く死にたい

人生においては満たされています。波はあれど幸せな部類に入るよう努力してきました。 もうずっと昔から「死んだら今世クリアだから、早く死にたい」という気持ちがあり、困っています。 仏教や精神世界について学ぶことが好きで、自殺することが業と繋がることは理解しており、能動的に自殺を考えることはありません。 ただ、人生をゲームのように捉えており、「今世の課題をクリアするために、生かされてるうちは面倒だけどとりあえず無理のない範囲で善行を重ねて心を豊かにして生きていれば、そのうち死ねるからそれで今世はゲームクリア!肉体脱出できるのが楽しみ!」みたいな感じの認識です。 無意識的に強くそう思い込んでいるようで、日常生活に支障が出ることがあります。 例えばですが、物質的な執着心がなく、親しい人にお金をあげるように貸してしまったり、何かにつけ問題が多く振り回されるような相手を恋人にしてしまい(振り回されているようで、それを望んで楽しんでいると思います)悲しい思いをしたりしています。 それでも私は懲りずに、死ねないならせめて日常がぐちゃぐちゃに壊されてしまうことを望んでいるようです。 本当に生活に不満はありません。収入も働き方も望んだとおりになっていますし、物質的にも満たされており、問題はあれど愛している恋人もいます。所謂、雑誌の中のような暮らしです。ですが、私はこの生活を今すぐ全て捨ててもいいと思うくらい物質や社会的地位に執着がありません。恋人や人間関係のことはまだ学びが残っている気がするうちは捨てられないのですが、基本的に天国に持っていけないものにそれほど執着できないのです。 一番問題に感じていることは、この生きることをゲームのように認識していることが根深く、そのため自分も他人も特に幸せになれないような、そして自分には損になるような選択を無意識にしがちなことです。私が楽しんでいるときはだいたい破滅に向かっています。 これは何が原因と推測され、どんな解決法や考え方があるのでしょうか。また、多くの人は生きることをどういった認識で暮らしておられるのでしょうか。 長くなりましたか、読んでくださってありがとうございます。 もし何か思うところがありましたら、ぜひご返答がいただければ幸いです。

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