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死にたい願望が絶えません

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有り難し有り難し 33

真言宗の信者です。新興宗教は全く信じないものです。死ぬ、これは誰にも与えられたものですが、親よりも先に逝こうと考えてます。仕事の事とか、経営している店の事とかで、もう、手一杯でにっちもさっちも行かない状態で。死ねば楽になる、なんて思っても見たりしてます。小さい頃から仏教には興味があり普通の人には地獄、天国など信じ難いものかも知れませんが結構、気にして生きて来ました。今では般若心経、幾多のお経も唱えられます。自分が死ぬ事(自死)にあたり、お経を唱えながら死ねば極楽浄土と言いませんが、成仏出来るのでしょうか。若い頃は霊感とかもありましたが、歳を取るごとに全く無くなって来ました。今ではあの霊的出来事も嘘の世界とか思ってもみたりします。誰しもが、死んだ後はどうなるか、なんて具体的に答えられる方は誰一人いません。こうやって書いて自分を慰める事自体、自慰行為の何者でもない事は分かっています。ついでかどうかはわかりませんが、鬱病で大学病院に通院してます。鬱の薬は自分では麻薬の様なもの、と思っています。家内が薬の量を調節してくれて、今ではかなりの量を減らす事が出来ました。それまでは手のひら一杯、ラムネの如くてんこ盛りで飲んでいた時期がありました。病気と自殺願望は切っても切れないものと思います。やはり自分の意思が弱いのでしょうか。それともわたしの意としていない、何か(誰か霊的な物)がそうさせているのでしょうか。就寝前には大体、毎日とは言えませんが般若心経、一通りのお経を唱えて寝てます。勿論、先祖供養とかその他の供養とかですが。私自身、信心深いと言えばそうかも知れませんが、神、仏、信じられない時があります。何故、ここまで試練を与えられるのか、とか。私自身、家内を2度(二人)も自死で亡くしております。普通にこんな苦しい思いをしてる人って居ませんよね。どうか、助けて下さい。お願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の身体を殺すより、心を騒がせる自我意識を黙らせる。

本当に大変でしたねぇ。
私も昔死のうと思いましたから死にたい気持ち、よく分かります。まず深呼吸を。
自殺しても自分の意志で死ねませんよ。
自殺は❝できる❞と思われるでしょう。
南スーダンで国境なき医師団として活動していた知人医師は食用ヤギを殺す所を目の前で見ていたそうです。血を抜く為に逆さづりで安楽死であちこち切る。それでもヤギもすぐに死なない。「死ねない」のだそうです。
「死ぬってねぇ、なかなか死にたくても死ねないんだよ…」
( ..)φ (゜Α゜;)
  🐐
牛や鳥の屠殺もみたことがありますが生命はすぐには死んでいません。
自分の意志で動けなくなっただけ。
この生命活動を最後の最期で停止してくれるのは、私どもの身体の主人公「お命」の為すこと。
さっと一思いに死にたい、殺してくれと思っても、声が出なくなったいうだけで本当はとても苦しい状態が続いているだけで「生きてしまっている」のだそうです。苦しくても声も上げられない苦しい状態。これはあまり知られていません。
だから、あまりお勧めできません、自殺は。
それより良い自殺の方法があります。
私もこっちなら経験があります。
「死にたい」という気持ちが強く働いてしまうこの騒がしい「わたくし(自我)」の活動を休ませる方法です。
大死一番。生まれ変わる方法です。
人間は「自我意識過剰」という状態があります。オレオレした「自我意識」が盛んな状態。仏教的には五蘊盛苦といいます。
「ああ、オレの中のオレが騒がしい…!」状態です。
私も自殺しようとしたとき、それを感じました。
あなたの苦しさは「オレ」が過剰なのです。
そうでないと人間は「自分で」死のうなんてしません。
過剰に「自分・オレ」を握ってしまって離せんのです。
神仏に背く行為とは厳密には真の人間性(いのち)の安楽な有り方から背く「私」という心が過剰なあり方を言います。
あなたが自殺した後、具体的にどうなるかだって分かるでしょう。あなたの知人や私ども沢山の人たちを暗い気持ちにさせるという具体的な現実が待ち受けています。
私はこのワタシが自殺したがっていた時、それは自分が恰好つけている姿と知りました。
本当に私を捨てるとは、完全敗北。自殺したい自分も捨ててしまうこと。
単純にこの騒がしい踊り狂う「おのれ」を鎮める工夫をしてみませんか。
人が坐禅をするのはその為でもあります。禅。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

儚い人生だからこそ

拝読させて頂きました。今までそして今もあなたが大変つらい立場に追い込まれておられることを読ませて頂きました。あなたのそのつらい思いを心よりお察し申し上げます。
あなたのおっしゃる通り生きること、人生は大変つらいことです。気がつくと自分が追い込まれて囲まれて八方ふさがりな様に感じます。知らず知らずに苦しい方に差し向けられてしまう様にも思います。
例え眠っていても何かに追い込まれ苛まれてしまう様にも感じます。
この世は濁り汚れた世界でもあるのです。
そう思ってしまうそもそもの原因は私達自身が何もわからない愚かな存在だということです。ものごとやこの世のあり様を正しく見ることできずに我欲や偏見や差別意識でしかものごとをとらえることができないこと、そしてとらわれてしまい執着してしまうことが苦しみの原因であることをお釈迦様は教えて頂いたのです。
そうは言っても、はい、そうですね!迷いや執着心をあっさり捨てることができないのが私達です。
あなたがおっしゃる通り自死することにてこの苦しみから離れることもあるのかもしれません。
自死自殺したとしても仏様は何ら差別することなく仏様の極楽浄土に生まれ変わらせてくださいます。
私はただ今の自分達にはそれぞれにやるべきことや本当に学ぶべきことや他者に対して役に立つべきことがある様に思います。
私達の生命は皆儚いものです。吹けば飛ぶような小さなものです。それでも様々なつながりのなかで生まれ生かされていると思います。
この一生の中で少しでも何かを得ていきたいと思います。そしていつの日にか本当の苦しみや辛さから開放されていきたいと思います。
あなたにもどうかあなたの人生を生かして少しずつ何かを得ていかれて苦しみから解放されて頂きたいと切に願います。
人の一生とは本当に儚いものです。だからこそ大切に毎日毎日を生きていかれてほしいと願います。
あなたの人生がこれから少しずつ方向が変わり開かれていかれて心も身体も豊かに解放されていかれて実りある毎日となられます様にと切にお祈り申し上げます。

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個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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