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母親との距離の取り方について

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私の母は、愛情深くやさしい頑張り屋さんです。
しかし、あれやこれやと口出しが多く、なんだか辟易しています。

いわゆる『毒親』まで身勝手な親でないですが、
『自分が一番正しくちょっとした未来もわかるから、私のアドバイスに従っていれば娘のあなたは安全で快適な生活が出来る』というスタンスで、少し煩わしい時があります。

確かに年の功で、7~8割がたはアドバイス通りにしてよかったと思うことが多いです。
ただ、よくない結果になったとき、『○○すればよかったのに』と言われたりして『お母さんが言うからこうしたんだよ』と言ったら、『私のせいにしないで』と言われます。

何かの書物で中国の逸話?を読みました。
とある息子が、母に身の回りの世話を何もかもさせている。
気付いた人が、年老いた母を働かせてとんでもない親不孝だと叱る。
息子は、母がしたがるからさせているのです、母の望みを叶えることこそが親孝行ではないのでしょうか。と言ったそうです。

母が口出しやらアドバイスやらしたいのなら、好きなようにさせて反抗しないのが親孝行なのでしょうか?
いずれ先に母の寿命が尽きた時、自分で何も決められない一人の老女が出来上がっているのではないか、と最近考えます。

以前、『失敗してもいいから自分で決めたい。先回りして決めつけたり口出ししないでほしい』という事を母に伝えました。『あなたはひねくれてるから私に逆らう』という内容のことを母は言います。

私は、母ととても似ています。体質・肌質・性質・考え方・好み・・・
分かり合えるし、コピーのような私だからこそ、母ときちんと対峙する必要があるように思います。

これからは、母に自分の気持ちや感情をきちんと言葉にして伝えていくつもりです。あくまで母がアドバイスしたとして、最終的に決めるのは私です。従うにしても従わないにしても。

どう思われますか?
客観的なご意見を伺いたいです。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは一人の人です。

お母様との意見が合うように感じていらっしゃるようですが、そこに違和感を感じご相談されているのでしょうか。

人は親子であろうと一人一人で生きています。決断に困ったときに相談できる人が近くにいるのはとても、心強いことです。しかし、自立しなければいけません。ご自分で決断し、時として、失敗したと思うこともあるかもしれませんが、それでもいいじゃないですか。

ご自分で考え行動し、後悔のない人生を歩んでください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

享受すべし 母ちゃんは好きでやっているだけ

近所に住んでいる山田トメコさん(仮名)は、あれよカレコレ良かれと私に色々してくださいます。ああどうも、ありがとさん。あれ良よかれこれ良かれ。あれ良かれこれ良かれ。
トメコさんはあれ良かれこれ良かれとお布施のように色々してくださるのですが、そのお坊さん(こいつ)はいつもナイススルーを為されます。
ですが、そのお坊さんはちゃんと享受しているのです。
享受とは、反発がそこにありません。
その通りに頂いているのです。
「ああ、ありがとさん。(^<^)」この気持ちで、今日から既読スルー的に受け取ってみてください。
あなたの母ちゃんはそうするのが母親の役目だから好きなのです。
妖怪ウォッチであたりを見回してみてください。
きっと妖怪世話焼きバーさんか、あれよかれこれよかれバーさんが憑いているのだと思います。うちの2歳の娘はすでに取りつかれています。
妖怪世話焼きバーさんは実は、言い方を変えると「天然布施行」なのです。
これを取り上げちゃうと百丈禅師みたいに小屋から出てこなくなってしまいます。
ありがとう、と言って享受してみてください。
ああ、なんだ、母ちゃんはこうするのが本当に好きなんだな、とあなた自身がお母さんを享受することができます。
ちなみに人の寿命を享年といいます。
反発なく、その通りに頂いているのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

邦元様、丹下様お二人ともご回答ありがとうございます。正直、『もっと母親を大事にしなさい』的なことを言われるのかな~とドキドキしてました。ご回答を拝見して、妙にムキになってた自分に気付かされました。考えてみれば、私はもうすでに一人の大人になっていました。ぼんやりしてて、あれこれ世話を焼かないといけない幼い私はもういません。母と私はその幻を介して接していたのかもしれません。これからは大人と大人の付き合いです。母は私にこれまで通りあれこれ良かれと世話を焼くでしょう。私は、思春期時代の『もう、わかったってば!』的な対応はもうしません。これからは『分かった、ありがとう。』ときちんとお礼を言ったり、『これはこういう理由でやってるから心配いらないよ』と説明したり、気持ちを言葉で伝えようと思いました。ただ煩わしげに無下にするのではなく。丁寧に接することによって、母に安心感を与えらる人間になりたいです。どうも、ありがとうございました。

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