死 って悪い事ですか?
こんにちは。
一年半ほど前愛猫を病気で亡くした際、こちらでお言葉をいただき、大変感謝しております。
実はもう一匹猫がおりまして、亡くなった子の姉妹なのですが、この子も9歳になりまして
猫の初老にさしかかっております。今は特に問題なく元気にやっております。
ですが、そう遠くないうちに別れの日がまたやってくるかと思うと、辛くて涙が出てきます。
うちには子供がおりませんので、子供の代わりとは言いませんが、多分愛しすぎて愚かになっているのだと思うのです。
執着しすぎる事はよくない、と頭ではわかっているつもりですが、気持ちがついていかないのです。
もしくは、猫を失った後辛い思いをする自分が可愛いだけなのでしょう。
先に自分が死んでしまいたいとすらおもいます。
もっと冷静に、理性のある人間になりたいのですが、どういう心構えで〔死〕を受け止めればいいのでしょうか。
〔死〕は悪い事、よくない事と考えるのがいけないのでしょうか?
まとまりのない文章失礼いたしました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いずれ必ず来る死別を想うと悲しくなりますよね。
もし「死」が悪いことなら、
人間はじめ生き物全ての一生は、
悪いことで終わることになります。
それでは空し過ぎます。
お釈迦様は、
人生の苦を四苦八苦と申して、
生・老・病・死・
愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦・
に分けましたが、
それらを「悪」とは仰いませんでした。
「死」は辛く悲しいことではありますが、
決して悪いことではありません。
死はその苦痛すら開放する あなたからも ネコ本人からも
こんニャちは。🐱
幼少期から寺でネコを飼っているのにネコアレルギー、
ネコアレルギーなのに現在もお寺で猫を飼っている寺務モリソン丹下です。
今日も沢山の猫や人の死のドア―ズが開かれています。
ですが、そのドアの先は終局と同時に始まり・継続のドアーズ🚪も開かれています。
隣のドアも開けてみれば違った角度で世界が新たに開かれるものです。
悲しいですが、いつかネコもあなたも死にます。
ですが、本当は死は悲しいことではありません。
死は「苦痛からの解放」という一面もあります。
それは詩人、哲学者の世界観かもしれませんが、仏教的見地、仏陀のまなざしでモノをみつめていけば死には「善し悪し」すらないことを悟り(理解し、応用され、その通りになり)苦しみにすらなりません。
ものの本当の有りよう(法相)をみる目が開かれれば心は善悪・苦楽に支配されないのです。
それが俗にいう悟りが開かれたという事です。
それは思考を通した眺めではなく、事実をダイレクトに眺めた視線です。
感受を大事・大切にしていて、想念をそこに添加しない眺めなのです。
ァーストフードにトッピングをしないで食べるようになれると言った方が分かりやすいかもしれません。
そこで起こっている事をその通りに授かるという事を、人類はこの体で誰の命令も無しにやっています。
ところが、人間は人知で命令違反が生じるのです。
有る通りのことをそのまますれば何の害も起こらないのに、命令違反でアダムのリンゴを勝手にかじって知恵の眺めでものをみるようになるのです。その方が刺激的でドラマチックだからでしょう。
何でもない名画を傷つけるのは何者でしょうか。
お寺に油をひっかけて人を不快な思いにさせるのは「誰」でしょうか。
そういう心は「何」によって生じるのでしょうか。
それが人間の中の「にんげん」です。その「にんげん」とは「エゴ・自利・我」。
「にんげんだもの」という言い訳すら成り立たない万人が向き合わなければいけない、世界中の人間を苦しめる「にんが(人我)」の見解です。
それを外せば、ものをその通りに眺めるようになり、思考を付随させず、自分を思考によって苦しめない有り方「さとり」が得られるのです。
死のみならず、全ての物事に「善し悪し」がないと悟るのが仏教です。
あなたのその考えも。
誰がその考えを作り出して、是非をジャッジしているのですか?
この世からの「卒業」だから「おめでとう」で
死は必ず起きるライフイベントです。
必ず起きるライフイベントの際は、「おめでとう」とお祝いすればよいのです。
入学も「おめでとう」、卒業も「おめでとう」
就職も「おめでとう」、退職も「おめでとう」
。
出生も誕生日も毎回「おめでとう」。
だったら、亡くなるときも「おめでとう」と言って、この世からの卒業を祝ってあげるほうが素敵ではないでしょうか。
卒業は別れだから淋しさもありますが、しかし、悲しむ(嫌がる)よりもお祝いして送り出す方が良いでしょう。
死は一時の別れ
拝読させて頂きました。大切なものとの別れは本当に辛いですよね。その悲しみに心は閉ざされてしまいそうになりますよね。あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
それでもあなたはあなたの生命が全うされるときに必ず仏様のもとにて愛する家族やその猫ちゃんたちと再びめぐり会います。
仏様は全てのひとや生き物を正しく仏様の極楽へと導いてくださいます。
死は一時の別れです。必ずや仏様が導いてくださり再会させてくださります。
どうぞあなたは再会の日を待ちながらこれからお念仏おとなえなさってその子たちが仏様に導かれます様にとそしてあなたが仏様のもとでそのこたちと再会できます様にと心からお念仏おとなえなさりお願いなさってくださいね。
南無阿弥陀仏
あなたとそのこたちのご縁はこれからもずーーーっと続きますからね。
質問者からのお礼
丹下様、和田様、願誉様、kousyo Kuuyo Azuma様
ご回答本当にありがとうございます。
一言一言噛み締めながら読ませていただきました。
少し心が軽くなりました。