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生きることを諦めた人間は何を考えて生きれば良いのでしょうか

回答数回答 3
有り難し有り難し 157

夢や希望を昔は信じていました。
自分は人とは違う人間だと感じながら他人を見下して生きていました。
今も、そうです。
他人を見下すことが自分の常であって、そう思ってやっと今日まで生きて来れました。
自分自身弱い人間だと思います。
いずれ死ぬまでの人生という長旅を彩ることしか人生は出来ないのだという事実や、この世の無常さがあまりにも酷いと感じていて、人生がとても疲れるもののように感じます。
自分の思い通りに生きていけないのが今で、あと数年間努力すれば楽に生きれるようになるよと、周りから言われたり、我侭だ、我が強いと言われる日々に疲れました。
けれど、そうして努力しないと自分はすぐにでも死んでしまうと感じているんです。
何を思って日々を努力すれば良いのでしょうか。
家族や、友人を信用しておらず周りに迷惑をかけたり、自分自身がいかに酷い人間かを知っている自分からしたら、自分自身を許せず、世界が憎く、何も無い場所にまるで意味があるかのように走り続けることに疲れてしまいました。

すいませんわけがわからない文章で。
でも、本当に何を思って日々をすごせば良いのか分かりません。
この事実から目をそらして仕事に集中するということも逃げや逃避のように感じてしまいます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏道を考えて生きろ

ワタシャさとり世代ではありませんが、夢や希望は信じません。ンな教育するからみ〜んな「自分の望んだ職に就いたハズなのに、こんなハズじゃなかった!」とか言って仕事やめちゃうんです。バブル期の価値観で教育し、期待させ、社会に出たら失われた20年が待ち受けている…とんだパリ症候群ですわ。そんな教育は実用的じゃない。

辛抱して努力すれば幸せになるよ〜なんてウソウソ。そりゃバブル期は社会全体の成長が右肩上がりで、会社も常に成長し続ける…その中で年功序列で出世させてもらえたんだから、数年辛抱すれば楽になりましたよ。
でも今は違う。ちゃんと楽になる路線に自分を乗せて、正しく努力しないと報われません。

あなたのように考える人たちは、時代の変化の犠牲者だと私は思ってます。だからと言って自分を卑下してくださいねとか、他人を恨みましょうねという話ではありません。サッサと楽になる路線に自分を乗せ替えないと、いつまでたってもモヤモヤし続けますよという話です。

じゃあどこにそんな路線があるか?お釈迦さまだ。お釈迦さまは苦行を6年して気付いた。「あぁ、自分を高めたり自分をいじめても、心の平穏には繋がらないんだな」と。んで、苦行を止めて食うモン食って健康な身体を取り戻し、坐禅をした。7日間坐禅をして、悟った。
「あらゆることには原因と結果がある。この世界は原因と結果の網の目のような繋がりによって成り立っており、人もまた、その網の目の1つ。だったら、自分に繋がる原因1つ1つを大切にすることでしか、自分を大切にすることは出来ないんだな…」

そういうトコですよ。他人を見下したり、酷いことをすると結局、自分に繋がる原因を1つ1つ悪くしてしまう…だから結果的に疲れるべくして疲れる。世界が生き辛いんじゃない。あなたが生き辛い生き方をするから、生き辛いんです。その認識を改めましょう。

お釈迦さまは「この世は無常だから切ないね」なんて平家物語みたいなこと言ってません。「この世は無常だから、あなたは変われるんです。昨日までのあなたと訣別して良いんですよ」と、こう言うておられる。それが事実。

何を思って生きれば良いか?目の前の他者への親切心を大切にしましょう。あなたという人間は無常です。親切にして良いんです。しなきゃ世界の道理から逃げることになる。仕事に集中することもまた、親切心の実践です。頑張ろー

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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生きることを明らめてみませんか。

質問ありがとうございます。
湯院さんはご自分のことを「生きることを諦めた人間」と思っておいでのようですね。

仏教では、「諦める」というのは、「明らかにする」という意味でもあります。
人生に意味が無いというのは本当でしょうか?
そこまで明らかにしてきましたか?

そうなってないのであれば、「あきらめ」方が足りないのかもしれません。

もっと人生を、人間を、そして生きることをあき(明)らめてみませんか?

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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努力することが目的化してしまっている

湯印様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「努力しないと自分はすぐにでも死んでしまうと感じている」・・

ここですよね・・努力することが目的化してしまって、ではいったい何のために努力しているのかを忘れてしまう・・何かに努力することが、何かに張ることが大切、みたいな風潮・・これは正直、良くないと存じております。とにかく、努力し続けないと、とにかく、頑張り続けないと認められない・・それでは疲れるのも当然です。

このことに関して、拙生のFBFの熊谷真士氏が下記のコラムで面白いことを言われていました。

ドヤ顔で言おう。「学生時代に頑張ったことは何もない」と
https://www.onecareer.jp/articles/782

「“頑張る”というのは、ある種、無条件で報酬を得られる最も簡易な手段として脳の中にインプットされるわけです。頑張ることと、褒められること。この2つが極めて強い相関関係にあると、脳が無意識に認識しているのです。すると人は、頑張らなくても良い環境に放り込まれても、頑張ろうとします。頑張ることは報酬に繋がる筈だと本能的に感じているからです。むしろ、何かを頑張っていないと不安にすらなってしまいます。」

「これは“頑張る”というプロセスを褒められ続けた結果、頑張ること自体がいつからか目的化してしまった状態です。本来は目的があって、その達成の手段として頑張るが存在しているはずですが、“頑張る”ことを報酬と強く結びつけたことで、このような歪な事態に陥ってしまいます。」

・・

「何を思って日々を努力すれば良いのでしょうか。」 ・・

とにかく目的化した努力や頑張りは捨てて、人生の目的を今一度見直してみましょう。

そして、私たちは独りで生きていけるような強い存在ではなく、皆それぞれ弱い存在です。でも、何とか生きていけるのは、色々と皆に支えてもらって、助けられているからこそとなります。

是非、この支え合い、助け合いで生きているありようをしっかりと理解して頂きまして、お互い様の気持ち、感謝と謙虚を心掛けて、今一度見直した人生の目的へと向かって参りたいものでございます。

まあ、あまり気張らず、気負わずにぼちぼちに進みましょう。。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

色々な返信ありがとうございました。
諦め切れてない、と言われたのでお聞きしたいのですが本当に『諦める』とは
どういう意味でしょうか。
自分は、うつ病になって、仕事を辞めて、自殺を3回しました。
全部、未遂で終わりましたが。
未遂、というのは途中まで行為を行って辞めた事で、リストカットをして風呂につかることを
3回したのですが全部気づいたら浴槽から上半身を出していて、しに切れませんでした。
何時、死んでも良い、どう死んでも良い、ただもう苦しみたくないだけです。
仏陀やキリストと言った人の考えを書物やネットを通じて読んだりもしましたが、
結局仏陀もキリストも最期は解脱というなの自殺行為を行っているとしか自分は感じ取れませんでした。
そこが自分にとっての介錯の今の限界で、もう何を考えて生きれば良いのか分からずここで質問した次第です。
諦め、がどこにあるものなのか、もう自分には分かりません
返信ありがとうございました

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