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周りも私も、私のことが大嫌いです。幼い頃からです。

回答数回答 3
有り難し有り難し 35

物心ついた頃より、周囲に一人の人間として扱われたことが殆どありません。
幼稚園から、小学校、中学校、高校、大学、現在まで、全てにおいてです。

誰でもいじめることが出来る便利な存在だったり、ストレス発散のサンドバッグだったり、面倒なことを押し付けたり欲望を満たしたりするための都合の良い存在だったり、他にも様々です。
(プロフィールや過去の質問で、一部の内容に触れています。)

助けを求めても、誰一人相手にしてくれませんでした。
その度に、ますます自分には価値がないと思うようになってしまいました。

また、自分の名前や容姿等も好きになれません。

病気になり、働くどころか まともに動けない自分も、嫌で嫌で仕方がありません。
それが10年以上治らず、これから治らない自分も もう散々です。

「一人ひとりの命は全て大切」「上も下もなく、人はみな平等」「粗末にしてはならない」
等と今まで散々教えられたり見聞きしてきましたが、結局のところ私のような例外もいる訳ですよね。

病院にも行政にも見放され、もう吹っ切れました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無阿弥陀仏

そうやって自分でも自分のことを苛め抜いていては負の感情の連鎖から抜け出せません。執着は断ち切らねばなりません。
人類みな平等とは言ったものの、実際この世は全然平等じゃありません。長寿の人がいれば短命の人も、運動ができる人もいればできない人も、金持ちもいれば貧乏もいます。

それでも仏陀釈尊が平等だと見抜いたいのちはなんなのか。それは

縁において生まれ、縁において去っていく

というこの一点のみです。

あとはてんでんばらばらご縁次第です。あれ嫌だこれ嫌だ言うててもいただいたご縁は100%引き受けなければいけません。娑婆の相続とは違うのです。世間の相続は財産だけもらって借金はいらないというわけにはいきません。それでも全部いらないという放棄はできます。
しかしこのいのちは放棄できないのです。かならず全部もらわないといけません。私たちに与えられた自由は「いただいたご縁に私がどういう態度をとるか」というものです。

嫌々言うて沈んでいくも、ナニクソとあらがっていくも自由なのです。その態度次第で「これから」は変わっていくのではないでしょうか。

仏教の救いは私が嫌なところを好きになって救われるのではありません。価値のないものが価値があるようになって救われるのでもありません。相手にされなかったものが仲間に恵まれてすくわれるのではありません。

そのまま、足りないまま、至らないまま救われるのです。足りないと思っていたことに気づかされるのです。足りなければいけないという迷いが知らされるのです。足りないのは嫌だなあという気持ちはこれっぽっちも変わらなくても、足りないままでもいいか、これが私だ!とボチボチ歩いて行ける救いです。嫌なものはなくならなくても、嫌なものすら引き受けていける空しくない人生です。

それを気づかせる呼び声が私の宗派では「南無阿弥陀仏」のお念仏です。
となえたら阿弥陀様が目の前にあらわれてそうしてくれるのではありません。私が私の姿に気づくはたらきを「南無阿弥陀仏」というのです。阿弥陀様は私に私の事実の姿を見せて、その上で私をそのまま救うと誓われた仏様です。その物語に私が苦を周りのせいにして生きる有様を言い当てられた時、そんな私をそのまま救うとの誓いに私のいのちの奥底にある願いが呼び覚まされるのです。

私も本当は精一杯生きたいのだ!私のいのちに満足したいのだ!と。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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ありのままの自分で生きていきます…私は…。

 『もう吹っ切れました』とおっしゃるなら、生きていきましょうよ。
 そこで、「このまま生きるか」、または「自身が変わって向上して生きるか」ですね。大事なところです…。
 結論から言えば、このまま生きていきます。このままの自分でしかいられない、このままの自分でしか生きられないからです。
 「このままでなんか嫌だ、このままで良いわけない!」とおっしゃるかも知れませんね。
 でも、浄土真宗の仏様は「あなたに変わりなさい、もっと良い人間になりなさい」とはおっしゃらないのです。でも「あなたはそのままで良いよ」ともおっしゃいません。皆人間はこのままで良いわけないのですし、「私はこのままじゃ嫌なんだ」と皆が主張することを見抜いておられるからです。
 だから、仏様がおっしゃるのは「あなたはそのままで良い」ではなく、「あなたをそのまますくう」ということです。
 そのすくいとは「あなたのその命終わりて後におさとりの仏、永遠の仏になること」です。
 有り難いですか…有り難いとは思えないのが本音でしょう。
 でも、仏様の私に対するおすくいが 命終わりた後の仏になることである…これは「あなたもそう、私もそう、死ぬまで煩悩抱えて苦しむしかない」人間の本質を明かしておられるのです。
 何ともなりません…変わりようありません。
 あなたの周囲の方は皆幸せだと思いますか? あなたの思い込みではありませんか? 私は幸せです…とおっしゃるお方は「今、幸せです」ということで、将来はわからないということです。これは世の全ての人間に当てはまることです…全ては移ろいゆくのですから…今のままではいられないということです。
 「あなたが世間の例外」なのではなく、「『世間からすれば例外だと思い込んでいるあなた』が存在している」のが事実です。
 こうなりたい、これ欲しい、アイツ嫌いだ…愚痴と言います。
 私自身も身長160センチは欲しかったと言い続けるなら、それは愚痴であり、『まあ今更ムリだし…』とあきらめるところには愚痴は生まれません。
 こうなりたい…しかしながら成れない自分を目指すのではなく、今の自分をしっかり見据え、自分を受容していく…それ以外に苦悩から解放される道はありません。
 これが仏法の説くところの人間の求めるべき「生き方」です…。

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有り難し
おきもち

仏道修行は誰にでもできる娯楽

お仕事をするために頑張っておられるが、結果が出ないようですね。
それはそれでおいといて、
日常生活の中で何か楽しみをみつけましょう。
意外に思われるかもしれませんが、仏教を学んだり、仏教の修行をすることは、とても楽しいものです。
また、自分のペースで、いつでもどこででも実践可能な修行もあるので、手ぶらで出掛けたとしても退屈はしません。
心も落ち着くし、悩み苦しみから解き放たれるアイデアも湧きます。
是非、娯楽として、気がるな気持ちで仏教を学んでみてください。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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