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貴方が「この教えは現代に合わない」と思った事を教えて下さい

回答数回答 6
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最近仏教関連の事柄を勉強しています。

大抵のことには首肯でき、今までの自分にない発想に心が洗われるような気持ちになりますが、イマイチ納得出来ない部分もあります。
それについてはまた別の質問で書かせていただきたいと思いますが、今回は、ここにいらっしゃるお坊さん達が、仏教の教えの中で、今の世相に合わないのではないかと思った部分、疑問を持っている部分などについて聞かせていただきたいと思います。

なぜこのような質問をしたいかと言いますと、例えばイスラム教では豚肉を食べてはいけないという教えがありますが、由来としては「乾燥した地域で、牧草でなく穀物を食べてしまう豚が忌避されたから」「伝染病の蔓延や寄生虫による被害の元になるから」などの説があり、この教えは現代ではほとんど有用性がないといえます。このような、現代社会に合わない教えというものが仏教にもあるのではないかと思ったからです。

なんだか衝突を巻き起こしそうな質問で申し訳ありません。
「ない」という回答でも結構です。

よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人気作品の映画化の際には必ず変な脚色が加わるように

(^。^)思いつく限りですが、たとえば
・死後の世界、あの世論…このご時世に於いてもはや根拠がないことをいうべきではない。子供にさとし聞かせるための方便の一つであって、大人向きではないからです。
・極楽 浄土 彼岸… 死後の世界の事ではなく、生きている人が目指すべき理想の精神状態と解釈するべきである。
・六道輪廻…生まれ変わり論ではなく、精神状態の浮き沈みと解釈するべきである。
・ほとけさま…曖昧すぎて意味が通じない、というか現代では西欧の「神様」的な使われ方をされていることすらあって多くの誤解を生みだしているから。

・その他、奇跡を起こした、空を飛んだ、神通力で…した的なことは、後世の人間が脚色したものでありましょう。

では、何故摩訶不思議、意味不明なお話が経典や仏教説話にはたくさん登場するのか。
あなたの好きな小説や漫画がアニメ化された時にがっかりしたようなことはありませんでしたか?
声優が不適切だとか、原作にこんなシーンはなかったぞとか、むしろアニメ化、映画化しない方が良かったというような経験はありませんでしたか?
私はドラえもんやサザエさんを観ていると、観ていられなくなります。
あまりにも私が育った慣れ親しんだ原作からかけ離れ過ぎているからです。
アニメや映画のエンドロールをご覧になるとおわかりいただけますように、一つの作品を大作に手がける際にはたくさんのスタッフが必要なのです。
多くの人の手が加わると新しい解釈やいろんな脚色が生まれ同時にだんだん原作から遠のいていってしまったり、作品が一人歩きしてしまったり、ということが起こるわけですね。(^。^)b
そういうものなんだ、と大人目線で見られるようになると、謎の脚色ごとに眩まされず核心のみを追えるようになれますよ(^。^)

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

常に合うから法と呼ぶんです

t_lav95さんへ

教えが現代に合わないということはありません、水上様が仰せのように教えが偽物であるなら消滅してゆくものです。

仏教というのは、仏法という真理(今は人間の道理や物事の道理と理解してください)をお釈迦様が発見したのです、ニュートンがりんごの木で重力を発見したようなものです(重力は時代によって変わっていくものでしょうか?)

そして仏法をほかの人に理解できるように言葉で表現されたり、生活や修行の中で行動をもって教えられたんですね、それを仏の教えとして今に伝わっているわけです。

お釈迦様の時代のインドでは輪廻転生などが信じられていました。六つの世界を生まれ変わるというものです。

人は自分の信じていることを否定されると強烈は反発感情が起こります、反対に「君の信じていること私もわかるよー」って感じで接してもらうと親近感が湧き話を聞いてみようかな、って感じる生き物なんですね。

お釈迦様は相手の信じていることを批判しないように相手の信じていることを話題に入れながら、今の生き方を改善してほしいと考えたのなら「今のままでは地獄に落ちますよ、見直したらどうですか」というように相手の理解しやすいようにお話なさっているのです、つまり方便ですね。

「女性は8つの穴から汗や糞尿が出てくる汚いものだ」などの表現もありますが、これも男性修行者が女性に気を取られて修行に集中できないため方便として表現されたのだと思います。

しかし方便というものは、時代の移り変わりで理解しがたい表現になっているとも感じています、ですから少し乱暴ではありますが「方便が時代に合わなくなっているのであって、仏法と仏教は普遍だ」というのが私の答えになります

t_lav95さんが例に出されている「豚肉を食べてはいけない」のような例でしたら、仏教では「肉を食べてはいけない」のようなことでしょうか、これはわざわざ食べるために殺してはならないということだと私は理解しています。よく肉を食べるのは「なまぐさ坊主」などと言われますが、それはお釈迦様が長々と否定されています。詳細は省きますが、私は浄土真宗の僧侶なので肉食は禁止されていませんが「肉を食べてはいけない」は正確にはお釈迦様がお決めになったルールではないのではないかと考えています。ですから元より教えではないという解釈です。

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私達は本当に悩んでいる事は、なかなか相談する事ができませんよね、私も10年...

逆に原点に返って欲しい。

 私は今の仏教用語をふんだんに使ったり、仏様のために・・・ということを説明する仏教関係の本に感心はしても人生の参考にはしていません。私のために書いた本ではないので当然ですが・・・。
 戒律も結局、今の僧侶は守っていない。守っていては、やっていけない回答のほうが正解かもしれません。
 お釈迦様は悩んでいる人に対機説法を行いました。要はその人に合った回答を示すのです。ですから、教えはあってないような、教えにそぐわないからといって罰せられることは無いと言っても過言ではない。
 悩んでいる人に対し安心を得ることが第一なのです。だから、仏教には『聖書』が存在しない。多くの経典、祖録が存在する。しかも、すべて正解なのである。白黒はっきりしないようでしている。いわゆる、グレーゾーン的なものであります。ですから、あなた自身で正解を見つけられますし、他人の回答も否定はできないと思います。
 イスラム教でなぜ豚肉を食べてはいけないか。科学的な部分しか根拠を示せないのは宗教を安く見ているのではないでしょうか。サラディーンがどれだけ十字軍の捕虜を教えに基づいて保護したか。トルコがなぜ親日なのか。考えた方がよっぽど慈悲に溢れた人間になれると思います。

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

時間を超えても本当に正しいものなら

仏教に限らず他の宗教でも、その時代にしか
合わないようなものなら消滅してしまうでしょう。
しかし二千年以上もこうやって続いているのには
それなりの理由があるからと思います。
今の世相に合わないというものは、後々に誰かが
宗教を絶対のもとするために脚色したものではないでしょうか?
宗教も政治と絡んで至りもしています。
しかし本当の真理は時代を超えても受け継がれていくでしょう。
なぜならそれが正しいからと思います。
正しいと思う人が多いからこそ続くもので
怪しいと思う人が増えてくれば廃れていくでしょう。
t_lav95さんも現代でも合う教え、合わない教え
など勉強して貰いたいです。

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50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...

t_lav95様へ

「仏教の教えの中で、今の世相に合わないのではないかと思った部分は…」との事ですが、

当方のお答えは唯一つ「そのようなものは一切有りません。」
仏教の教えは不変であります。
但し後世に於いて、仏教らしいものの教えには、色々と合わないものが出て来ている事は否めませんが…
然りとて、一々取り上げれば切りが有りませんので、此処では申し上げません。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...

批判的・合理的検証の必要性について

t_lav95様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

仏教を学んでおられまして、誠に尊いことでございます。是非、学問としてだけではなく実際の修習(禅定行や善徳行・慈悲利他行など)も進められて参りますことをお勧め申し上げる次第でございます。

個別具体的なお答えとはなっておりませんので申し訳ございませんが、何事においても批判的・合理的に検証していくことは大切であると存じております。下記問いの拙回答においても少し述べさせて頂いております。

問い「師を探すには」
http://hasunoha.jp/questions/136

『・・チベット仏教における教えの中に、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」とありますように、例え師の教えであろうとも、批判的、合理的に検証を繰り返して、しっかりと納得した上にてその教えを修習することが大切なことになって参ります。・・』

疑問・懐疑的なまま、あるいは納得できないままにおいて実践をしていくことは、当然に継続も難しくなるでしょうし、良い結果も望めないことにも繋がってしまいかねない恐れがあります。

もちろん、「理論→実践」と、「実践→理論」を必要に応じてバランス良く行っていくことも必要であるかとは存じております。

仏教思想・哲学における理論に関しまして、拙生は一から仏教の学び直しを経て10年ほどが過ぎましたが、総合的に鑑みさせて頂きまして、以下において述べさせて頂いております拙考え方を前提として批判的、合理的に検証を行うようには致しております。もちろんこの拙考え方でさえも、まだまだ不十分であると存じておりまして、批判的、合理的に検証を繰り返していかなければならないと考えております。

「拙回答の基本的な前提となる考え方について」
http://www.hide.vc/h1.html

これからも理論を考究していくことと共に、実践にもしっかりと取り組んで参りたいと存じております。

この「hasunoha」にてご回答をさせて頂けますことも、一つの実践であるとして真摯に精進努力して取り組んで参りたいと存じております。

川口英俊 合掌

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「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

女子高生コンクリート殺人事件犯人への罰

以前、女子高生コンクリート詰め殺人事件という悲惨な事件がありました。 この事件を知り私は、本当にこの事件の犯人が許せず『司法は少年法で犯人たちを庇ったが、神仏は必ず彼らを罰してくれるはずだ』『因果応報があるのなら、この犯人たちは地獄に落ちるだろう』と願いました。 しかし、事件から数十年経過し、数年前、この事件の犯人がまた別の事件で逮捕されたそうです。 聞けば犯人の一部には妻や子供もいて、しかも『俺は人を殺したことあるんだぞ』と、件のコンクリート詰め殺人事件の話をネタに別の人を脅して再逮捕されたそうですね。 これを聞いて、私は絶望しました。 全く反省していないどころか、むしろあの事件のことを新しい犯罪を犯すためのネタにしていたなんてあり得ないです。 コンクリート詰め殺人事件の被害者の女の子は何の落ち度もないのに凄惨な殺され方をされ未来を断たれたのにも関わらず、犯人には家庭もありのうのうと生きています。さらに反省せず再犯を犯してます。 神仏は彼らを罰してくれないのでしょうか? それから、インターネットを見る限り多くの人たちが犯人に怒りを感じ、掲示板に『死ね』などと発言していましたが、犯人たちは一向に元気です。よく『言葉には言霊の力がある』と言われますが、あれだけ恨まれ『死ね』と言われているにも関わらず『言霊の力』は彼らに届いていないのではないか、と思いました。 『言霊の力』だけでなく『生霊』や『念の力』に対しても疑いを感じはじめました。あれだけの人が怒りを感じているのだから誰か一人くらい『生霊』や『念』を無意識にでも意識的にでも飛ばしていてもおかしくないはずなのに、犯人はのうのうとしているみたいだからです。 これでは、犯人に殺された被害者が浮かばれません。 神仏の罰はないのでしょうか。因果応報はないのでしょうか。言霊の力や念の力、生霊なども全部存在しないのでしょうか。

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この世の残酷な事について

質問の前に一つお坊さんの皆さまに感謝を申し上げます。 自分はここ数年の間、生きる目的を見失い、心の中でずっと死を望みました。時には誰かを傷つけたいと思いました。そこで何度かここにお邪魔して、お坊さんの皆さまに質問をしました。皆さまのアドバイスを何回も見返して、何度も自分で考えました。 自分の周りと自分自身の変化、そしてお坊さんのお言葉もあり、完全ではありませんが今はとても精神的に楽な気持ちになり、他人に対しての優しさを取り戻せました。 ここで感謝を申し上げます。ありがとうございます。 しかし、また自分の力だけでは拭えない悩みが出てきました。また皆さまの御力をお借りしたいです。 では本題に入ります。 様々な人間の残酷な事についてです。 動物、女性、幼児虐待。誘拐、人身売買など、自分の価値観や考え方では到底許せない事がこの世の中に溢れかえっています。 今までは自分は意識しないで生活をしてきました。しかし、あるニュースを見てしまいました。 数年前に誘拐された少女が現代まで生きていた。が、その少女だった女性は山に裸で捨てられて死んでいたという事件でした。 自分にとってとても衝撃的なニュースでした。 特に誘拐された女性の両親の絶望、それを考えてしまうと自分も身内になったかのように非常に悲しみ、怒りを感じてしまいます。 そしてそのニュースを見て以来、こんな事をずっと考えています。 こうやって自分が今、平穏の中で暮らしている間、常人では考えられない程の苦しみを味わっている人がいるのではないか。 この考えがずっと心の中をモワモワして漂っています。時にはそれが大きくなって眠れなくなったりしました。 その事に対して自分でできる事はあまりにも無力。その事から外にいる人間。しかし、無力だからと言って今にとても苦しんでいる人を助けたい。けど助けられないという、一瞬の思考のループができてしまいました。 そこで2つ質問です。 この世の中で起きている残酷な事に対しての心構え、見解。そしてこの世での救いはあるのか。 またお坊さんの御力が必要になりました。 どうか皆さんの意見を自分にお聞かせください。

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ターミネーターか人間のどっちかなのか

死刑制度についての質問をさせていただきます。 僕は死刑制度に賛成です。理由は一つで、犯罪への抑止力となっていることと、今までそれで社会が成り立っていたのだから急に廃止することで世の中が混乱するからです。 でも、このままでいいとは思っていません。僕が思う死刑によるデメリットは、 1.刑務官(死刑執行人)への精神的ダメージ(たぶん) 2.死ねば更生するチャンスは二度とない 3.死刑制度は国民の国家に対する甘え 4.死刑囚の国(?)への恨みは他の誰かが相続すること、 つまり殺意は死なないということ →3国家に対する甘えについては、国民が国家に殺してもらうだけでは誰も成長しないのではないかと思ったからです。結局は現状維持で、また同じ苦しみが繰り返されるから、殺人者に共感する能力が育たないまま。 そこで、死刑制度を新しくすることを考えてみました。2と4は変えられないので1と3について解決策を考察しました。 それは、「刑務官(死刑執行人)の仕事が減り、遺族または志願した者が死刑執行代理人となり国の代わりに死刑執行のボタンを押す。代理人は遺族を最優先とすること。死刑執行の一週間前までに5人を死刑執行代理人と決定し、決定してから覆せない」というものです。 つまり、『明らかな人の殺意によって死刑を執行する』という案です。 こう考えた理由は、 A.国に殺人を止める力は無いから。死刑制度は抑止力としてもう限界まで来ていると思う。 B.死刑囚は遺族の悔しさ、怒り、憎しみ、恨み、殺意を真正面から受け取るべきだと思ったからです。(理由は、なにより殺して欲しいと望んでいるのは遺族だから、その殺意が伝わればいずれ更生するための種になるかもしれないから。そもそも国に殺意は無いから。) 前回の問答の後、他の国と比べてみて考え 、死刑が無くても穏やかな国になるが一番いいのではないかと考えました。それに、今ある社会正義は必ず崩れ去るものだと思っています。 でもそんなこと出来やしないので、死刑囚の殺され方なら変えられるのではないかと思いました。僕はターミネーターか人間に殺されるなら人間を選びたいです。(笑) もう何が正しいのか分かりません。 いろいろ間違っているところもありますが、ご回答頂けたら幸いです。

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理不尽だらけの世の中で大人になるのが怖い

私は幼い頃から何か違和感があります。 小学校1年生のとき、クラスメイトの一人が宿題を忘れて教壇の前で先生に怒られていました。皆は自分の席に座りその光景を見ていました。勿論わたしも。 すると先生が私の名前を呼び、「〇〇君は悪い事をしたよね?」と聞いてきました。 私は、目の前でまるで晒し物みたいにされているクラスメイトを見て、違和感を覚えました。確かに宿題は先生との約束だけど、一方的な約束だし、わざわざ皆の前で叱り、恥ずかしい思いをさせなくてもいいのではないか、そして、普通は先生という子どもにとって学校での絶対権力者に「悪いことよね?」と言われて首を横に振ることなんてできません。でも私は最期、先生の怒りが落ちる間際まで首を縦に振ることが出来ませんでした。それが小さな抵抗でした。 それからは、なぜ私は生まれてきたのか。 なぜ学校に行かなければいけないのか。 先生が言うことに皆当たり前の様な顔をして従い、疑問を持たないのか。 大人の言うことは絶対に正しいのか。 校則には厳しいのにいじめは見て見ぬふりのか なぜ動物は殺しても罪に問われないのに、人は殺してはいけないのか 心と肉体は殺すのはどっちの方が悪いのか いじめで自殺に追い込まれても何故罪にならないのか 沢山考えるようになりました 私は自分に正直に生きたいと思うのですが、自分がやりたくないことを美化して言っているだけだと言われます。 それはワガママだと言われます。 私は悪口は言いたくないし、したくないことはしたくありません。私の正直に生きるとは、人に対して誠実であり、理解すること、愛をもつことです。 傷つけてはいないだろうか?ちゃんと向き合うことが出来ているだろうか? 気をつけてはいるのですが、確かに私は自分の意見を押し付け自分の型にはめてしまったり、自分の意見に執着してしまうことがあります。大人になるということは自分が折れることが出来るということだと思います。 でも、ねじ伏せられて皆同じ、個性がないとも思ってしまいます。出る釘は打たれるのだと感じます。 理想と現実の狭間で辛さを感じます。 勉強よりももっと大事な事があるのではないかと思ってしまいます。 思春期だからと言われますが、関係なしに私はやっぱり自由や愛に憧れを感じます。 でも、人に言っちゃいけないことだと言うこともわかっています。 なので、相談できずに苦しいです。

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