義理母との接し方に困っています
拙い文章ですがご相談があります。
先日義理父側の親戚の結婚式がありました。
式の前日、終了後に親戚一同集まったのですが、義理母はなかなか輪の中に入りません。輪の中から外れてポツンと無表情で立っていたり台所で洗い物したり。促されて渋々座るように見えました。
今回だけでなく、集まりがある時はいつもそんな感じです。義理父側の親戚なので距離を感じているのかもしれません。義理父は他界されています。
おめでたい席でしたが、義理父の兄弟同士で言い合いが始まりました。私達は最後までいなかったので、次の日義理母に聞いてみると、それはわたしのせいだと。私がおめでたい場をしらけさせているというのです。そんなこと誰も言ってないし、昨日のやりとりでも私はそうはみえませんでした。
親戚は私のいないところで今頃、私のことを話題にしているよと言っていました…
あなたは元気で明るくていいね。私は生い立ちのせいで口下手だし。美人だし細いしいいね。私は背が低くて。あなたは仕事もしてるし話上手でいいね。私は膝が痛くて。という調子で、誰と話していても自己卑下が酷く話していると疲れます。みんな見えないところで悩みはあるし、見えるところだけを評価したがる義理母が分かりません。
後から夫に聞くと、親戚で集まると原因は分からないけど声が出なくなるほど極度に緊張するんだそうです。昔から、あんな調子だと。夫はもう見て見ぬ振りです。もう諦めてると。
義理母からは、あんな醜態見せてしまってごめんね。でもこれがうちの本性だから。と言われました。
私にはもうすぐ2歳になる娘がいます。義理母の家には夫と月1は子供の顔を見せに行っているのですが、会話するとどうしても気分が下がってしまい1人で行けずにいます。
夫は2年後には単身赴任が決まっていて、最低6年帰ってこれない予定です。1人っ子なので、私が義理母をみることになります。以前、同居の話も出ていてそのストレスで円形脱毛症になりました。私の器が小さいのは分かっているんですが、こういうタイプの方にはどう接して行けばいいでしょうか?私が上手く聞き流せればいいのですが…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そういう人なんだと納得し、程良い距離感をみつけよう
人付き合いが「苦手」「下手」な方は少なからず居ます。義母さんはそういうタイプの方なんでしょう。
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義理母からは、あんな醜態見せてしまってごめんね。でもこれがうちの本性だから。
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義母は自分の性格や行動パターンを自覚しつつも、自分自身を変える気はさらさら無い。むしろ自分のことを棚に上げて、「それはわたしのせいだと。私がおめでたい場をしらけさせているというのです。」という形に責任転嫁して自分自身をかばっているんです。自己防衛しているんです。前後の状況を見ている親戚や近隣の方々も「この人は無茶苦茶なことを言っている。」ということは十分認識している筈です。十分認識しているけど、義母さんがコントロール不可能な人であるとわかっているから、敢えて面倒なことには踏み込まないで好き勝手言わせているんです。
ちょっと仏教の専門用語を解説させていただきますが、仏教で説く煩悩の種類の一つに「慢」というものがあります。更にこの「慢」のコンテンツとして「我慢」「邪慢」「増上慢」という言葉があります。そして、義母さんのような行動言動を示す言葉として「卑下慢」があります。
卑下慢とは
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相手に対して「私は至らない人間です。何も出来ません。」と言うように謙虚な人間を装いながら、心の中では「自分はこんなに相手をたてて、謙虚に振舞ってます。」と装うことで自分の欠点を正当化し、さも謙虚であること以て自分飾ろうとする。
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と言うことです。
義母さんは一見反省していようなことを言っているようで、実は反省していません。「自分をこういう人間なんだ。」という謙虚さを装って「自分の身勝手さ」を押し付けています。
残念ながら、こういう人間に対する特効薬は有りません。上手く義母をたてながら、上手く距離を置き、親戚や近隣住民に悪口に取られないように気を付けながら、「義母が困ったちゃんである。」ことをやんわりと理解してもらうようにすることだと思います。そのためには、もう少しきちんと旦那さんにも動いてもらわなければなりません。妻と子供を決死の覚悟で守ってもらわなければ困ります。「昔から、あんな調子だ。」と言って見て見ぬ振りしてたんじゃ、妻も子供も守れません。この辺は、御夫婦でしっかり話し合って下さい。
質問者からのお礼
お返事遅くなりました。
吉田様回答頂きありがとうございます。
仏教用語もご丁寧に解説頂き、誰にも相談できずモヤモヤしていたものがスッキリしました。
卑下慢という考え方は自分にはない分、目からウロコでした…義理母の心も理解はできたように思います。
時々吉田様の言葉を読み返し、程よい距離感を探してみます。私の心を救ってくださり感謝致します。