応量器(持鉢)が木製ではいけないわけ
以前の質問とはうって変わった内容で失礼いたします。
禅宗のお坊様方の中で、ご存知の方がおられましたらお教えください。
Wikipediaの「応量器」の項目に、こんな記述があります。
材質は鉄または土が本則とされ木製は禁じられているが、漆をかけたものは鉄製とみなすとして一般には黒塗りの漆器である
ここで疑問に思ったのですが、なぜ木製が禁じられているのでしょうか?
器の腐敗を防ぐため、あるいは木片(ささくれ)がのどに刺さることを防ぐためなのかとも思いましたが、鉄製であれば錆もでましょうし、それがのどに悪影響を与えることもありましょう。
にもかかわらず、なぜあえて木製の器のみを指定して禁じたのか、その経緯をご存知であれば、お教えください。
また、昨今はプラスチックの器が増えておりますが、漆器ではなくプラスチック製を応量器(持鉢)に用いているということは無いのでしょうか?こちらも、お教えいただけましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
簡単に調べただけですのであまり信じすぎないでください
ほうほう、知りませんでした。ちょっと興味が湧いたので斜め読みですが軽く調べてみました。
時代を逆登っていきます。
1.現在の日本の曹洞宗ではほぼ全て漆器です。
2.道元禅師は中国禅の鉄・石(瓦)・土に限るという決まりを激しく批判しています。理由は後述します。
3.中国禅の中でも古い記述に、お釈迦さまから代々伝わってきたとされる応量器が鉄だった説、石だった説、土だった説の3つがあったようです。
ここで応量器は師から弟子へと法を嗣いだ証の1つです。そのシンボル的な意味からお釈迦さまが使っていた器と同じ材質である必要があったのでしょう。
それに対して道元禅師は「仏法は五蘊皆空なのだから、変に材質にこだわるのはかえってお釈迦さまの悟りから離れる。」と批判します。
4.複数の器を用いる形の応量器は少なくとも説一切有部までさかのぼれると聞いたことがあります。説一切有部は今でも上座部の最大部派です。ということは中国禅で鉄・石・土を規定したのではなく、南伝の律蔵に由来するかもしれません。そう考えてみると確かに仏教に限らず一般社会でも南方にはあまり木の器のイメージがありません。インドにせよ東南アジアにせよです。
そこでググってみましたらどうも衛生管理の問題のようですね。むしろこんなに日常的に木製食器を使って衛生的な問題が無い日本の方が異常なようです。
特にお坊さんは遊行しながら托鉢し、毎日綺麗な水で洗えるとも限らなかったでしょうから、雑菌の繁殖は死活問題だったでしょう。時には火で浄めることもあったかもしれません。
漆器ならオッケーなのは衛生的に問題がないことを鉄にこじつけたのだろうと思います。
なお、ダッチオーブンをググっていただくと分かりますが、錆にも良い錆と悪い錆があります。良い錆でコーティングすることによって鉄に害のある錆がつかないよう育てます。
一般家庭のお仏壇の御霊膳の応量器はプラスチックが主流になっています。禅僧が安居生活に使う応量器は本山が漆器を指定しています。おそらく統一する目的と世論の問題だと思います。プラスチックのモダンなゴミ箱を置いているだけで苦言を呈されることもある世界ですので(苦笑)
地方に帰ってから個人的に使うにはその限りではありません。でも買い換えること自体がほぼありませんので。
ぜいたく品を使わないという事だと思います
こんばんは。
興味深いご質問だったので、少し調べてみました。
應量器は、pātra(鉢多羅)の別名で「鉢(はつ)」ともいいます。本来は厚い物を薄く治した器を使うそうです。ですから土や鉄を使うのですね。
「四分律」というおぼうさんとしてのきまり事の第52に「佛言はく、木鉢を蓄ふべからず、これ外道の方なり」とあります。また「十誦律」第56には、使ってはいけない鉢として木製と並んで「金鉢、銀鉢、瑠璃鉢、銅鉢」などが挙げられていました。インドでは木製の器(鉢)は金銀と並びぜいたく品だったようですね。(日本の感覚とはちょっと違いますね)。
僧侶が身につけているお袈裟(けさ)も「糞掃衣(ふんぞうえ)」といって、使い道のないはぎれを使うのが本来とされます。今のお袈裟も、よく見ますと、小さな布をパッチワークしたものであることがわかります。
ぜいたく品を使わない、という意味で木製の器を禁じていたのではないでしょうか。
一方でわが国では、鉄や土(陶磁器)の方がぜいたく品ですからね。漆も今はぜいたく品ですが、少し前までは普通のものでした。そういう事だと思います。
私たち僧侶もその精神を受け継ぎ、質素な生活をしていきたいものです。
質問者からのお礼
大慈様
わざわざお調べいただき、ありがとうございました。
なるほど、「師から正しく法を受け継ぐのと同じく、作法や身の回り品も同じものを受け継ぐ」という考え方ですね。また、「日常的に木製食器を使って衛生的な問題が無い日本の方が異常」「毎日綺麗な水で洗えるとも限らず、火であぶって消毒することもあっただろう」というのは盲点でした。感謝しもうしあげます。合掌。
光禪様
お教えいただきましてありがとうございます。
「インドでは木製の器(鉢)は金銀と並びぜいたく品だった」「一方でわが国では、鉄や土(陶磁器)の方がぜいたく品」とのこと、納得いたしました。粗衣粗食を旨とする教義が原始仏教のころからあったことは存じておりましたが、現代の僧衣にもまたその精神が見られるとは知りませんでした。機会があれば、菩提寺の住職にお願いして袈裟を見せていただこうと思いました。御礼申し上げます。合掌。