hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

マイナス思考をなんとかしたい。

回答数回答 3
有り難し有り難し 25

こんにちは。よろしくお願い致します。
以前も相談に乗って戴き、有難うございました。

ある人が昔私に言った言葉が時々頭から離れなくなります。
それは  “おまえは幸せにはなれない”  そう言われました。
そのある人とは、以前に相談した相手でありまして、もう一切連絡を絶っている状況です。
(連絡を取れない状態でもあり、住所も知らないので会えません)
その言葉が、私が毎日生活が上手くいっている時はかき消されるのですが、時々マイナス思考に陥っている時は、頭から離れなくなり、本当に幸せになれないんじゃないか・・・と絶望してしまうのです。
そうなると、あの時こうすれば良かった、ああすれば良かった・・・等考え、
挙句、その相手から報復を受けるんでは無いか、と毎日(無駄に)ビクビク怯えてしまうんです。
バカみたいだと思います。自分でもそう思います。
(ちなみに今は上手くいっているので、頭には少ししか残っていません。それでも少しです。完全に消去できていないです。)
これでは、相手の思うつぼだし、負けるもんか!とも思います。
私は絶対幸せになれるし、絶対幸せになるんだ!
そう思って自分を鼓舞していますが、時々その言われた言葉に負けてしまいそうになる事があります。

言われた言葉を忘れられる考え方、
なんでもいいので、なにかヒントを下さい。乱文で申し訳ありませんが、
よろしくお願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

頭に残っているのではない、思い出しているだけです

あなたは幸せになれます。間違えなく救われます。

今のあなたは過去の記憶を思い出し、うまくいかないときに、その記憶と結びつけているだけです。誰のせいでもなくあなた自身がそうはさた問題にしているこたに気づいてください。

過去の記憶は過去であり、現在のリアルではありません。思い出す必要もなく、結びつける根拠もありません。
今、私はあなたに幸せになれる。救われるとお伝えしました。
これも一つの記憶として刻んでおいてください。

あなたにとって問題とは、ご自分の理想通りに行かないことでしょう。しかし、それも思いの世界にすぎません。あなたが問題にしているだけです。

現在、目の前の有り様だけをみてください。何にも不幸なんて付け加えられていない、現実リアル世界が広がっているはずです。

そこに意識を向けてください。目の前の事実のみをたよりに、思いに引きずられない生き方を実践すれば必ず救われるはずです。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

そもそも「幸せ」とは?

呪いの言葉、言葉のマジックにかかっているようですね。
仏教では、生きることはすべて苦しみだと考えます。
今・この瞬間にも、大小の差はあれ、苦が発生しています。
例えば、息をしないと苦しいから、絶えず呼吸しているのです。
食べないと死にますから、明日も何か食べないといけない、また次の日も食べないといけない。忙しくて苦しくて、もしかして不幸?ああ、食べなくても永遠に死なない肉体を手に入れないと不幸だああああっっ!私は不幸だ不幸にちがいない幸せになれないんだあああああっっ!
(ママ、あのひと、どぉちてないてるの?かなちいの?)(見ちゃだめ、こっち来なさい。お兄ちゃんも、石投げないの!)
えー、とにかく、幸せも、不幸も、ただ頭がつくりだした概念、言葉にすぎません。
現実は、ただただ、苦痛の刺激があるだけです。
しかし、どうせ頭が概念を作るんだったら、積極的に幸せを造っちゃいましょう。
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏をとなえられていれば、その人生はオッケー合格人生です。
今・ここで南無阿弥陀仏と言えるなら、幸せだと思えばよいのです。
法然上人はトイレでも念仏してたそうです。トイレでも幸せだったにちがいありません。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

言霊呪縛からの解除方法

結論:「あなたはセカンドで苦しんでいる。」
この意味は、まだこの時点では意味不明であろうと思います。
後でちゃんとわかります。
昔の忍者は言霊と言って、人を暗示に欠けたり催眠状態に導いたそうです。
あなたも、ある言葉に引っかかっている。
ですが、その言葉自体は、決して悪くありません。
その音声が流れただけなのです。
そこに、自分の思いを重ねちゃったのです。
つけ足しちゃったのです。
ネガティブイメージをオプションとして付随させてしまったのです。
「あなたはしあわせになれない」
という言葉自体には、ファースト時点では罪はありません。
その直後人間は、二次的に、セカンド時点で、自分の中でセルフイメージを添えるのです。
「ああ、私は、そうだ、しあわせになれないんだ。」
それが、あなたは向き合えていない処だ。
だから私はそれw解除するために言おう。
「あなたは、しあわせになれない。このファースト時点での言葉に、あなたがセカンド時点で悪い意味を自分の中で添えてしまったことのからくりを見破らない限り」と。
馬と鹿という言葉は、うまであり、角の生えた鹿です。
ところが「バカ」「馬鹿」というと、人によっては悪口になる。
愛する人から言われれば目を覚ます言葉ともなる。
ファースト時点ではなんに悪い意味もついていない。
セカンド時点で意味の善し悪しをつけ足すから、言葉が意味をなして、あなたの中で暴れるだけです。
「あなたはもう大丈夫。」

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

有難うございました。
どうしても自分の一方向からの見方しか出来なくて、もっと多視点から物事を見たかったので
とても励みになりましたし、勉強になりました。
頑張ります。

煩悩スッキリコラムまとめ