マイナス思考をなんとかしたい。
こんにちは。よろしくお願い致します。
以前も相談に乗って戴き、有難うございました。
ある人が昔私に言った言葉が時々頭から離れなくなります。
それは “おまえは幸せにはなれない” そう言われました。
そのある人とは、以前に相談した相手でありまして、もう一切連絡を絶っている状況です。
(連絡を取れない状態でもあり、住所も知らないので会えません)
その言葉が、私が毎日生活が上手くいっている時はかき消されるのですが、時々マイナス思考に陥っている時は、頭から離れなくなり、本当に幸せになれないんじゃないか・・・と絶望してしまうのです。
そうなると、あの時こうすれば良かった、ああすれば良かった・・・等考え、
挙句、その相手から報復を受けるんでは無いか、と毎日(無駄に)ビクビク怯えてしまうんです。
バカみたいだと思います。自分でもそう思います。
(ちなみに今は上手くいっているので、頭には少ししか残っていません。それでも少しです。完全に消去できていないです。)
これでは、相手の思うつぼだし、負けるもんか!とも思います。
私は絶対幸せになれるし、絶対幸せになるんだ!
そう思って自分を鼓舞していますが、時々その言われた言葉に負けてしまいそうになる事があります。
言われた言葉を忘れられる考え方、
なんでもいいので、なにかヒントを下さい。乱文で申し訳ありませんが、
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頭に残っているのではない、思い出しているだけです
あなたは幸せになれます。間違えなく救われます。
今のあなたは過去の記憶を思い出し、うまくいかないときに、その記憶と結びつけているだけです。誰のせいでもなくあなた自身がそうはさた問題にしているこたに気づいてください。
過去の記憶は過去であり、現在のリアルではありません。思い出す必要もなく、結びつける根拠もありません。
今、私はあなたに幸せになれる。救われるとお伝えしました。
これも一つの記憶として刻んでおいてください。
あなたにとって問題とは、ご自分の理想通りに行かないことでしょう。しかし、それも思いの世界にすぎません。あなたが問題にしているだけです。
現在、目の前の有り様だけをみてください。何にも不幸なんて付け加えられていない、現実リアル世界が広がっているはずです。
そこに意識を向けてください。目の前の事実のみをたよりに、思いに引きずられない生き方を実践すれば必ず救われるはずです。
そもそも「幸せ」とは?
呪いの言葉、言葉のマジックにかかっているようですね。
仏教では、生きることはすべて苦しみだと考えます。
今・この瞬間にも、大小の差はあれ、苦が発生しています。
例えば、息をしないと苦しいから、絶えず呼吸しているのです。
食べないと死にますから、明日も何か食べないといけない、また次の日も食べないといけない。忙しくて苦しくて、もしかして不幸?ああ、食べなくても永遠に死なない肉体を手に入れないと不幸だああああっっ!私は不幸だ不幸にちがいない幸せになれないんだあああああっっ!
(ママ、あのひと、どぉちてないてるの?かなちいの?)(見ちゃだめ、こっち来なさい。お兄ちゃんも、石投げないの!)
えー、とにかく、幸せも、不幸も、ただ頭がつくりだした概念、言葉にすぎません。
現実は、ただただ、苦痛の刺激があるだけです。
しかし、どうせ頭が概念を作るんだったら、積極的に幸せを造っちゃいましょう。
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏をとなえられていれば、その人生はオッケー合格人生です。
今・ここで南無阿弥陀仏と言えるなら、幸せだと思えばよいのです。
法然上人はトイレでも念仏してたそうです。トイレでも幸せだったにちがいありません。
言霊呪縛からの解除方法
結論:「あなたはセカンドで苦しんでいる。」
この意味は、まだこの時点では意味不明であろうと思います。
後でちゃんとわかります。
昔の忍者は言霊と言って、人を暗示に欠けたり催眠状態に導いたそうです。
あなたも、ある言葉に引っかかっている。
ですが、その言葉自体は、決して悪くありません。
その音声が流れただけなのです。
そこに、自分の思いを重ねちゃったのです。
つけ足しちゃったのです。
ネガティブイメージをオプションとして付随させてしまったのです。
「あなたはしあわせになれない」
という言葉自体には、ファースト時点では罪はありません。
その直後人間は、二次的に、セカンド時点で、自分の中でセルフイメージを添えるのです。
「ああ、私は、そうだ、しあわせになれないんだ。」
それが、あなたは向き合えていない処だ。
だから私はそれw解除するために言おう。
「あなたは、しあわせになれない。このファースト時点での言葉に、あなたがセカンド時点で悪い意味を自分の中で添えてしまったことのからくりを見破らない限り」と。
馬と鹿という言葉は、うまであり、角の生えた鹿です。
ところが「バカ」「馬鹿」というと、人によっては悪口になる。
愛する人から言われれば目を覚ます言葉ともなる。
ファースト時点ではなんに悪い意味もついていない。
セカンド時点で意味の善し悪しをつけ足すから、言葉が意味をなして、あなたの中で暴れるだけです。
「あなたはもう大丈夫。」
質問者からのお礼
有難うございました。
どうしても自分の一方向からの見方しか出来なくて、もっと多視点から物事を見たかったので
とても励みになりましたし、勉強になりました。
頑張ります。