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還りたいです

回答数回答 3
有り難し有り難し 46

元来たところへ還りたいです。

20代後半くらいからふと
あまり生きることには
執着がないと感じます。

ある意味もうある程度生きてきて
幸せも感じ人生に満足してしまったのかもしれません。

自分はなんのために生きているのか
ただ生かされているだけだ思うのです。
諸行無常で現状がずっと続くわけではないと頭では分かっていますが生きることも考えることも悲しい辛いと感じることにも疲れ果ててしまいました。

感情を捨てられたら良いのですが
人間そんな簡単に感情を
捨てられるわけもなく
どうして神様はこんなに感情を与えたのか
人生は修行だと思っていますが
もう辞めたいのです。

死にたいとゆうより
生きることを止めたい。
ただ、ただ元来たところへ還りたい
とゆう気持ちが強いです。
もし生かされるなら人間以外の物でありたい。
無機質な物でありたい。
自分には人間に生まれてくるのが早かったのではないかと思います。
自分には自分であることが
人間でいることが辛くしんどいです。

早く人間を辞めたい還りたいと思います。
痛いことが嫌だと思うだけで
死ぬことも恐ろしくないのです。
自分の中で死ぬことは解放だと思っています。

こういった思考からなのか
自分の価値も見出せません。
自分を幸せに出来ない人間が周りを幸せにできるわけがないと思います。

還りたいと思うことは
おかしいのでしょうか?
人生とゆう修行から逃げることは
いけないのことなのでしょうか?
修行に疲れ果ても
耐え忍ぶしかないのでしょうか?
ただ流れに任せて生きていくことすら苦痛です。

支離滅裂な内容かも知れませんが
お答え頂けると幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私も還りたい願望ありますよ。

曖昧さん、こんにちは。

自分で生きる価値を見出せないのですね。でも仏教では生まれたきた時点で生きる価値を持って生まれてきたといいます。人生はその意味を探す旅だともいえます。

そして生きている中で無気力になることはたくさんあります。青年期に特に著しいです。そこで
死んでしまったらもともこもないので、そこで初めて人生とは何かを考えます。結果だけはあるのです。あなたが生きているということです。死ぬのはある意味簡単です。でも死んで本当に根本の命に還れるのかはわからない。少なくとも今までの宗教や哲学は否定してきました。

そして生きることに悩める人は神や仏の愛や慈悲を探し求めたわけです。そこへの行動表現としてアートが生まれてきました。曖昧さんも生に悩んだ私と同じように絵を描いてみてはどうですか。時間をかけて描く絵画は一つの座禅に等しいと思います。そこから気づくことがたくさんあります。

そこであなたが求めている答えのかけらを見つけられるかも知れませんよ。是非自分の命の価値を見つけてください。生まれたからには必ず「生き役」があると教えてもらったのは、私の師匠にもなった腕一本以外の全身が障害麻痺でまともに動かなかったI居士でした。自分の人生を恨んだが腕一本で文章ライターとして生きた人でした。「腕一本だからこそ文章を書く道が開かれた。それを見つける命だったのだ」と教えてもらいました。私もまた1300年続いたのに廃寺寸前になってしまったお寺を復興する人生だとわかり貧乏しながら生きています。曖昧さんも必ずあるはずです。それを見つける前に還ってしまうのはもったいないですよ。曖昧さんも私も生きるものは、必ずあの世には還れるのですから、急ぐ必要はありません。

一緒に元気に生きましょう。いつでもハスノハ・メールでご相談ください。合掌

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善い結果へ向けて

曖昧様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し虚無主義に陥っておられるご様子・・

求めるものを求めても得られない苦しみを「求不得苦」(ぐふとっく)と申しますが、その中でも最たるが、この迷い苦しみの輪廻から逃れたい、逃れるための悟り・涅槃を得たいと思うものの、なかなか逃れられずに輪廻してしまうというものがございます・・

まだまだ、輪廻する因縁(原因と条件)が無くなっていなければ、やはり「死ぬことは解放」にもならない可能性が高くございます・・

仏教では、「人間という得難い稀有貴重なる有暇具足を無駄にせずに、仏道に努め励みたいものである」と申しますが、それも今の貴女様におきましては虚しく聞こえるだけかもしれません。

しかし、善い結果(悟り・涅槃、あるいは善き転生)のためには、そのための善き因縁(原因と条件)は欠かせないものとなります。もちろん、世俗的な幸せという結果にだって、そのための因縁も必要となります。因縁無くして結果無しです。

釈尊は、善い結果へと至るための善い因縁となる方法をたくさんお説きになられておられます。

是非、ここで諦めてしまわれずに、確実な善い結果へと向けて、仏教を頼りとされて頂けましたら、誠に有り難いことでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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おっしゃることよくわかります

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃることなんとなくわかります。
生きることに疲れ果てていらっしゃっるのかと感じます。私もそう思うことはありますからね。
沢山様々なこと良いこと悪いこと含めて経験していくと心も身体もくたくたになって疲れ果ててしまいます。もう生きていること自体どうでもよくなってしまうこともあるでしょう。
あなたのお気持ちをお察しします。

とはいえ私達は両親から生命を頂き様々な方々から育てられ、毎日沢山の生命を頂き生きております。そして人の身を与えられて生かされております。
それは得難いことです。とても有難きご縁を頂いていることです。
まして私達には本当に無数のご先祖様のつながりの中で生命を与えられていますから今生きていること自体当然、当たり前ではありません。

先ずはあなたはしっかりと心も身体も休めてくださいね。そして疲れを癒してください。様々な方法があるでしょうし、あなたにとって今心身ともにリフレッシュできることもあると思います。
温泉にゆっくりとつかりゆっくりと睡眠とっても良いですし、サウナや岩盤浴やアロママッサージを受けることも良いかもしれません。また菩提寺様や様々な神社仏閣をお参りなさることも良いかもしれませんし、大自然の中に身を置いてじっくりと山河を見渡すことも良いかもしれません、また海外を旅してそこに暮らす人々を見ることも良いかもしれません。

自ずとそうしているうちに新たな発見や自分を見つめ直すことにもなると思います。

あなたや私が考えるよりも世界は広く知らないことばかりです。そこにはあまたの生命が生きており生きることの意味を私達に教えてくださると思います。

あなたがゆっくりと心身共に癒やされてこれからの毎日を心も身体も健やかに成長なさっていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。

あなただけではありませんよ。どうかしっかりと休んでくださいね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
自分の「生き役」が見つからずもがいておりますが…開けない夜はないと信じてもう少し歩んでみたいと思います。いつか皆様に心から感謝できる日を夢見て。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ