自分をいつも恥じてしまう
再び質問させていただきます。
前回は自分の考えを深めるきっかけをいただき、本当にありがとうございました。
私は最近、突然過去の過ちを思い出して、羞恥心や罪悪感に取りつかれてしまうことがよくあります。
中学のときのいじめとか、友人関係が崩れてしまったとか、すごくブルーになって何も手に付かなくなります。
どうしてこんな気持ちが悪い私が生きていていいのだろうと考えてしまいます。
やるべきことがあるのに苦しくて何も出来なくなって、とても弱い人間です。
もっとポジティブに考えようとしてみても、喜怒哀楽が激しくて、すぐに沈んでしまいます。
そのせいで周りの人を信用できなくて、彼(彼女)も私なんて消えた方がいいと思ってるのかなと感じて、
なかなか深い人間関係を築くことができません。
うざったらしい文章ですみません。
私はこういう面倒くさい人間ですが、周囲にはそれを知られまいとして隠してきました。
どうしたら、もう少し前向きな自分になれますか?
私でも前向きになっていいと思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を独立させる
人は人との関係の中にありながらも本当はそれぞれ独立した存在。
別箇、個別。独自。世界にたった一人なのです。
あなたがネギだとします。
ケーキにはネギは合いませんから、あっちに行ってくれと言われます。
ですがうどん、そば、納豆には絶対に欠かせない…、
あ、たとえが悪いので、いちごにしましょう。
あなたがイチゴであるとします。
イチゴはフルーツ部門ですから、ご飯のおかずにはなれません。
ですが、スライスして生クリームとあえてサンドイッチであれば割とイケます。
他の皆さんがナスやキュウリ、ニンジン、トマト、リンゴ、マスカットであるとします。
これからはナスが主役なのです。秋茄子は嫁に(体を冷やすから)食わすなといいます。
漬物にはキュウリ、サラダにはトマトは欠かせません。イチゴのあなたは微妙です。
同じフルーツ同士でもリンゴにはリンゴの良さ、マスカットはマスカットならではの風味、個性がありますが、あなたはイチゴを生きればいいのです。
それが、独立、独個、独自、独特の個性をそれぞれ持った一人一人が、本当に自分を生きる道です。それが分かると、相手も尊重できるようになります。
お念仏向きです
こんばんは。私は浄土宗の坊主ですので、その話をさせて下さい。浄土宗を開いたのは?鎌倉時代の法然さんというお坊さんです。
この方は、相当お勉強をされました。もちろん仏教の勉強です。そして、たどり着いたのは「私は凡夫である。おろかである」という自己認識でした。いっぱい勉強もしたけれど、修行もしたけれど、結局煩悩から離れられない。今風の言葉で言えば、「あー俺ってだめなやつ」ということです。これは、周りがどう言ってくれるかではなく、自分として自分がそう見えてしまうのです。
だから、「南無阿弥陀仏と口に唱えれば、極楽へ行けますよ。極楽で修行を重ねれば、覚りを得られますよ」という教えを、法然さんは選び取ったのです。
そして、「これなら誰でもできるよ。煩悩が湧いたって、口でお念仏すれば大丈夫だよ」と説いたのです。法然さんは教科書にも出てきますが、この「自分は凡夫だ」という出発点が書かれていることは殆どありません。この自己認識があってこそ、「念仏を唱えれば〜」が活きてくるのに。
「念仏は、口で言うだけだから、簡単」と言われても、実はこの「自己認識」が無ければ、なかなか自ら行うことは難しい。だって人間、「自分は力がある、自分の力で生きていくベシ」と思っているからです。それは僕にとっても同じでした。「俺って、仏様に頼らなきゃダメな存在なわけ?」という疑問が、ずーっと渦巻いていました。
けれど文面を見るに、みさ子さんは既にそこへ到っています。「自分なんて…」と思っているあなただからこそ、「その謙虚さは尊いですよ。そのあなたを、助けますよ」と阿弥陀仏は言っているのだろうと思うのです。
ただ、阿弥陀様が助けると言っているのは、「亡くなったら極楽へ迎えますよ。その時は文字通り迎えに行くから大丈夫」ということです。それでは今生きているアナタの問題解決にならない?いいえ。人生最大の問題に、すでに答えを貰っているのです。だからトータル大丈夫。今はいろんな苦しみや心配があっても、最後は大丈夫。
不安な気持ちが生じたら、その気持ちのままで口は南無阿弥陀仏を唱える。唱え終わったら思い出す。「私はトータルで大丈夫。私の人生はハッピーエンド。さて、私がせめて、今できることは何?することは何?」
考えで沈みきった時に、身体から浮かぶ。それはきっと仏教共通のアイデアだと思います。
ポジティブでもネガティブでもない生き方
もっとポジティブに考えようとしてみても・・・・
→とのことですが、ポジティブになる必要もないのではないでしょうか。逆にいえばネガティブになる必要もありません。今のままでいいのではないですか。そのままの存在で十分なのではないでしょうか。
そのせいで周りの人を信用できなくて、彼(彼女)も私なんて消えた方がいいと思ってるのかなと感じて・・・
→思っているだけです。現実にそうたっているわけではないです。現実目の前の人、物にも、どこにもそんなものくっついていませんよ。あなたが作り上げたものです。良くその目で見てください。(思いの目ではないですよ)
うざったらしい文章ですみません。
私はこういう面倒くさい人間ですが・・・・
→うざったくないです。決めつけないでください。あなたの思いで全て物事をゆがめて見てしまっているのです。
安心してください。物事全て問題なく存在しています。思いを優先した見方をしないようにしてください。
今私の目の前にコーヒーが置いてありますが、そのコーヒーには、良いも悪いも白も黒も付け加えられていません。ただ、本来コーヒーとも名前が付いていないものがそこに存在しているだけです。飲めばコーヒーの味がします。その後においしいだのまずいだの価値を付け加えている姿が、あなたが思いを優先している姿です。おしいしいまずいは、後から付け加えられたもので、本来の姿ではないですよね。
質問者からのお礼
邦元さん
ご回答ありがとうございました。
今のままを受け入れて、物事をあるがままに見られるように意識して生活したいと思います!
佐藤良文さん
ご回答ありがとうございました。
法然がそんなことを思っていたなんて知りませんでした!
「トータルで大丈夫」、つらい時に思い出して頑張ります。
丹下 覚元さん
ご回答ありがとうございました!
自分を受け入れられない人が、相手を受け入れることなんて出来ませんよね。ハッとしました。
まず自分の個性を認めることから始めたいと思います。