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家族がつらい2

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有り難し有り難し 13

2か月前にも一度質問させていただきました。
その後私なりに努力はしてみましたが、病状は進みうつ病になりました。
それでもやっと家族に病気のことを話すことができましたが、「世間体が悪いからここだけの話にして、実家や友達にも言うな」、「病気がばれると恥ずかしいから仕事も辞めて家にいろ」、「最近の子は何でも病気のせいにして怠けているだけだ」と言われました。病気で辛い思いをしているのになぜ、責められなければならないのでしょう。
こんな人たちと家族として生きていかなければいけないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

だれも気にしちゃいませんからヘーキ。

オイオイ(泣)わかります、わかりましゅ。
(ノД`)・゜・。あなたは「人に言っちゃダメだ」という親の思いに縛られて本当は言いたいんだけど「やっぱり言ったらマズイかなぁ」という後ろ向きな思いに縛られて、言っちゃったら言っちゃったで、それはそれでアトアト問題になるカモなあという後ろ向きな思いに縛られているのですね。
総じて、それはあなたの心の中で起こっている、手放せない思い。
家庭内、家の内の問題は、家の内の問題❝家内❞だけにイエナイものです。ぷぷp(座布団一枚)ばれたらバレタで、誰かに知られたらどうしよう、オッ家内。ぷぷp。
…(-_-;)失礼。

結論としては、一回、カミングアウトとしてしまえば、自分が思っていたほど大した問題じゃなかったという事が分かります。
あなたにとっては苦痛。親にとっては秘密。
あなたは、あなたが心がラクになる事をしないと、ずっとその思いを握っていくことになります。
たとえば、ぶっちゃけばなし、ここで一切合財暴露してもあなたにとってはハラハラ、ドキドキな内容でも、他の閲覧者にとっては「ふーん」程度です。
もっと、ぶっちゃけちゃえば、知ったこっちゃない(笑)。
そんなの、こっちゃ全然気にもなりませんし、そーなんだ程度です。
もっともっとぶっちゃけちゃえば、誰もそんなん気にしてない、です。
あなただって実際、他の人のお悩み何てこう言っちゃドライですが、どうでもいい話でしょう。(笑)
※これは、あなたに心で悩みを抱え過ぎない為に申しあげているだけです。
不幸な話も「すべらない話」にするぐらいの度量を持ちましょう。
そもそもこのサイトが、みな自分をうち明かしているのです。
それによって、救われている人すらいるから、悩みとて人を救う功徳になる。功徳を積むつもりでもう少しうち明かしてみましょう。
誰かを救う働きになります。
今度は名前を変えて、全部一切合切洗いざらいぶちまけてみてください。
スッキリしますよ。
みんな家庭の内わの問題は、身内の恥だと思っているから、家庭内、言えないだけに心が癒えないし、イエな(以下略。)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

いったん距離を置く

今は、きっと何もかも自分に都合が悪いことがあると責められているように感じる時期だと思います。いったん距離を置き、会いたいときだけ家族のもとに行くぐらいにしておいた方がいいかもしれません。そして、それと同時に事実を大切にする生き方を学んでください。

今のあなたは、思いが優先しているので、頭の中がフル回転でオーバーヒートしてしまっているのでしょう。とっても疲れますよね。

事実は、ただ、それがあるだけです。目の前の人、物がそこに存在しているだけです。そこに思いは一切ついていません。思いをチェーンのようにつなぎ合わせどんどん現実から離れないよう。ただ、目の前にパソコンがあるだけ。机があるだけ。人がいるだけです。目で見えたものそのまま。聞こえたものそのまま。熱い寒いもそのまま。思いが出てきても関係づけない関連させない、つなげないそのまま。そんな生活を心がけてください。坐禅を学ぶことが救われる道だと思います。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

お二方さま、ご回答ありがとうございます。
今の私は良からぬ思いばかりが頭の中を占めていて、毎日の生活は自分の中を素通りしていています。お二方様のおっしゃることはわかるのですが、やはりうまくはいかないのが実情です。
ありがとうございました。また辛くなったら、ここにきます。

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