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往生の対語は?

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「往生」の対語は「輪廻」でしょうか。
浄土真宗での往生が往相回向の果とすれば、対語は還相回向の果に相当するものだと思いますので、「輪廻」ではその果を表してはいないようです。

2015年9月13日 13:05

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

当初は「輪廻転生」かと思いましたが、「無住処涅槃」かな?

私の結論は、タイトルに書いた通りです。

仏教の教理学を専門的に学んだとは言えないので、あまり自信の持てる回答ではありません。
質問の中にありますように、浄土門の方は「往相還相」と考えるのでしょうねえ。でも、往生する先が西方浄土に限定されるなら、それで十分なのでしょう。しかし、往生という言葉は広く大乗仏教全般で用いられていることを考えると、「往相、還相」あるいは「往生、還来」以外にも、答えがあるかもと思いました。

 初めに、「輪廻転生」かなあと思いました。でも、考え直しました。アビダルマ仏教なら「輪廻転生」の反対語は「解脱」の筈です。うまく説明できませんが、解脱と往生は似ているようでも異なる概念です。「往生」の反対語を「輪廻転生」として良いのかどうか。迷いました。

 私は曹洞宗ですから「往相還相」という言葉は用いませんし、あまり詳しくは知りません。ただ、、「往生」を空間的に捉えなければ、往相還相と近い意味で「上求菩提、下化衆生」という言葉を禅宗ではよく用いることw思い出しました。

 現世から来世へ、此岸から彼岸へ渡ることを「往生」と考えるのなら、渡ることなく此の世界にとどまることが反対語であるとも言えるかも。そう考えて導き出した結論が「無住処涅槃かも」というものでした。

2015年9月22日 14:53
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「往生」の対語は「輪廻転生」

亀山純史と申します。私は浄土真宗の僧侶ではありますが、宗学的な事柄には浅学です。ですので、これから述べることは、真宗学的見地から正しいのかどうかはわかりません。もしも私の回答に宗学上誤りがあれば、他の回答僧の方に訂正していただきたいと思っています。(もちろん、私自身、自分の回答には責任をもって答えさせていただきます。)

私は「往生」の対語は「輪廻転生」だと考えます。それは「往生」は悟りの世界に生まれることであり、一方、迷いの世界に生まれることは「輪廻転生」だからです。

浄土真宗での「往生」は悟りの世界に仏様として生まれることですから、「往生」は、往相回向(※阿弥陀如来が、私たち衆生を浄土に往生させるはたらき)と還相回向(※阿弥陀如来が、浄土に往生した者に与える、再び迷いの世界に還り来て、私たち衆生を救うというはたらき)の両方の果と言えます。往相のみの往生も、還相のみの往生もありません。浄土に往生してから、次に還相のはたらきが始まるのではないと思います。浄土に往生した者には、還相回向もはたらいているのです。仏教、特に大乗仏教では「自利即利他」を説きます。今、往相回向と還相回向をこの「自利」と「利他」に当てはめれば、往相回向は「自利」に属するはたらきであり、還相回向は「利他」に属するはたらきです。ですから、「往相即還相」でなければなりません。

そうすれば、還相とは、決して再びこの世に“迷いの存在”として生まれることではありません。もしも、“迷いの存在”として生まれるならば、その人にどうして満足のいく利他行ができるのでしょうか。私は、還相回向は「南無阿弥陀仏」という念仏になって、私たちに働きかけてくださっていると思います。私が日々称える「南無阿弥陀仏」という念仏は、阿弥陀如来からの呼びかけであるのと同時に、浄土に往生した亡き祖父母等からの呼びかけでもあるのです。

2015年9月13日 21:23
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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

往生⇔還来

「往生」は本願力回向の果です。
「往相」「還相」二種回向はどちらも本願力回向の成せる妙果ですから、【往生が往相回向の果とすれば…】という前提に少し違和感を覚えます。

>往相に対しては還相ですが、それでは往生に対しては何が対義語として相当するでしょうか。
二種回向を対と考えるのであれば容易です。
「往生浄土の相」=「往相」であり、「還来穢国の相」=「還相」であり、「往生」と「往相」は、同じ意味と考えて頂いて結構です。
ですので、この場合「往生」の対は「還来」が相当します。

漠然と『往生の対義語が何か?』という質問に対しては、輪廻でも間違いではないと思います。
問いの前提がなければ答えにくい質問です。

:追記
よくお勉強なさってますね。
如来回向の『還来穢国の相』とお正信偈の『還来生死輪転家』は同じ還来ですが意味が違います。
ここでは文字数の制限がありますので、また新しく質問をなさってください。

こういった特定の宗派における教学上の質問はハスノハの意図する所でないと思いますが...

2015年9月14日 2:20
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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

往相に対しては

還相が対ですね。

2015年9月13日 13:36
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おきもち

昭和39年生。昭和62年佛教大学卒。

質問者からのお礼

往相に対しては還相ですが、それでは往生に対しては何が対義語として相当するでしょうか。

山本様、亀山様、釈心誓様、ご回答ありがとうございました。
私の質問自体に問題があったこともわかりました。
還来穢国の相が輪廻転生の迷いの世界に住している「還来生死輪転家」の相と同じように伺えるのですが、今の私のこの輪廻相が利他の還相か我利の迷相かは「決以疑情為所止」ということですから、御本願名号にはからいで色を付けてしまうか(疑)、はからいなくそのまま受け取るか(信)によって決するということでしょうか。

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仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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