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往生の対語は?

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「往生」の対語は「輪廻」でしょうか。
浄土真宗での往生が往相回向の果とすれば、対語は還相回向の果に相当するものだと思いますので、「輪廻」ではその果を表してはいないようです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

当初は「輪廻転生」かと思いましたが、「無住処涅槃」かな?

私の結論は、タイトルに書いた通りです。

仏教の教理学を専門的に学んだとは言えないので、あまり自信の持てる回答ではありません。
質問の中にありますように、浄土門の方は「往相還相」と考えるのでしょうねえ。でも、往生する先が西方浄土に限定されるなら、それで十分なのでしょう。しかし、往生という言葉は広く大乗仏教全般で用いられていることを考えると、「往相、還相」あるいは「往生、還来」以外にも、答えがあるかもと思いました。

 初めに、「輪廻転生」かなあと思いました。でも、考え直しました。アビダルマ仏教なら「輪廻転生」の反対語は「解脱」の筈です。うまく説明できませんが、解脱と往生は似ているようでも異なる概念です。「往生」の反対語を「輪廻転生」として良いのかどうか。迷いました。

 私は曹洞宗ですから「往相還相」という言葉は用いませんし、あまり詳しくは知りません。ただ、、「往生」を空間的に捉えなければ、往相還相と近い意味で「上求菩提、下化衆生」という言葉を禅宗ではよく用いることw思い出しました。

 現世から来世へ、此岸から彼岸へ渡ることを「往生」と考えるのなら、渡ることなく此の世界にとどまることが反対語であるとも言えるかも。そう考えて導き出した結論が「無住処涅槃かも」というものでした。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

「往生」の対語は「輪廻転生」

亀山純史と申します。私は浄土真宗の僧侶ではありますが、宗学的な事柄には浅学です。ですので、これから述べることは、真宗学的見地から正しいのかどうかはわかりません。もしも私の回答に宗学上誤りがあれば、他の回答僧の方に訂正していただきたいと思っています。(もちろん、私自身、自分の回答には責任をもって答えさせていただきます。)

私は「往生」の対語は「輪廻転生」だと考えます。それは「往生」は悟りの世界に生まれることであり、一方、迷いの世界に生まれることは「輪廻転生」だからです。

浄土真宗での「往生」は悟りの世界に仏様として生まれることですから、「往生」は、往相回向(※阿弥陀如来が、私たち衆生を浄土に往生させるはたらき)と還相回向(※阿弥陀如来が、浄土に往生した者に与える、再び迷いの世界に還り来て、私たち衆生を救うというはたらき)の両方の果と言えます。往相のみの往生も、還相のみの往生もありません。浄土に往生してから、次に還相のはたらきが始まるのではないと思います。浄土に往生した者には、還相回向もはたらいているのです。仏教、特に大乗仏教では「自利即利他」を説きます。今、往相回向と還相回向をこの「自利」と「利他」に当てはめれば、往相回向は「自利」に属するはたらきであり、還相回向は「利他」に属するはたらきです。ですから、「往相即還相」でなければなりません。

そうすれば、還相とは、決して再びこの世に“迷いの存在”として生まれることではありません。もしも、“迷いの存在”として生まれるならば、その人にどうして満足のいく利他行ができるのでしょうか。私は、還相回向は「南無阿弥陀仏」という念仏になって、私たちに働きかけてくださっていると思います。私が日々称える「南無阿弥陀仏」という念仏は、阿弥陀如来からの呼びかけであるのと同時に、浄土に往生した亡き祖父母等からの呼びかけでもあるのです。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

往相に対しては

還相が対ですね。

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昭和39年生。昭和62年佛教大学卒。

往生⇔還来

「往生」は本願力回向の果です。
「往相」「還相」二種回向はどちらも本願力回向の成せる妙果ですから、【往生が往相回向の果とすれば…】という前提に少し違和感を覚えます。

>往相に対しては還相ですが、それでは往生に対しては何が対義語として相当するでしょうか。
二種回向を対と考えるのであれば容易です。
「往生浄土の相」=「往相」であり、「還来穢国の相」=「還相」であり、「往生」と「往相」は、同じ意味と考えて頂いて結構です。
ですので、この場合「往生」の対は「還来」が相当します。

漠然と『往生の対義語が何か?』という質問に対しては、輪廻でも間違いではないと思います。
問いの前提がなければ答えにくい質問です。

:追記
よくお勉強なさってますね。
如来回向の『還来穢国の相』とお正信偈の『還来生死輪転家』は同じ還来ですが意味が違います。
ここでは文字数の制限がありますので、また新しく質問をなさってください。

こういった特定の宗派における教学上の質問はハスノハの意図する所でないと思いますが...

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

質問者からのお礼

往相に対しては還相ですが、それでは往生に対しては何が対義語として相当するでしょうか。

山本様、亀山様、釈心誓様、ご回答ありがとうございました。
私の質問自体に問題があったこともわかりました。
還来穢国の相が輪廻転生の迷いの世界に住している「還来生死輪転家」の相と同じように伺えるのですが、今の私のこの輪廻相が利他の還相か我利の迷相かは「決以疑情為所止」ということですから、御本願名号にはからいで色を付けてしまうか(疑)、はからいなくそのまま受け取るか(信)によって決するということでしょうか。

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