hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

往生の対語は?

回答数回答 4
有り難し有り難し 22

「往生」の対語は「輪廻」でしょうか。
浄土真宗での往生が往相回向の果とすれば、対語は還相回向の果に相当するものだと思いますので、「輪廻」ではその果を表してはいないようです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

当初は「輪廻転生」かと思いましたが、「無住処涅槃」かな?

私の結論は、タイトルに書いた通りです。

仏教の教理学を専門的に学んだとは言えないので、あまり自信の持てる回答ではありません。
質問の中にありますように、浄土門の方は「往相還相」と考えるのでしょうねえ。でも、往生する先が西方浄土に限定されるなら、それで十分なのでしょう。しかし、往生という言葉は広く大乗仏教全般で用いられていることを考えると、「往相、還相」あるいは「往生、還来」以外にも、答えがあるかもと思いました。

 初めに、「輪廻転生」かなあと思いました。でも、考え直しました。アビダルマ仏教なら「輪廻転生」の反対語は「解脱」の筈です。うまく説明できませんが、解脱と往生は似ているようでも異なる概念です。「往生」の反対語を「輪廻転生」として良いのかどうか。迷いました。

 私は曹洞宗ですから「往相還相」という言葉は用いませんし、あまり詳しくは知りません。ただ、、「往生」を空間的に捉えなければ、往相還相と近い意味で「上求菩提、下化衆生」という言葉を禅宗ではよく用いることw思い出しました。

 現世から来世へ、此岸から彼岸へ渡ることを「往生」と考えるのなら、渡ることなく此の世界にとどまることが反対語であるとも言えるかも。そう考えて導き出した結論が「無住処涅槃かも」というものでした。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1300件を超えました


 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...

「往生」の対語は「輪廻転生」

亀山純史と申します。私は浄土真宗の僧侶ではありますが、宗学的な事柄には浅学です。ですので、これから述べることは、真宗学的見地から正しいのかどうかはわかりません。もしも私の回答に宗学上誤りがあれば、他の回答僧の方に訂正していただきたいと思っています。(もちろん、私自身、自分の回答には責任をもって答えさせていただきます。)

私は「往生」の対語は「輪廻転生」だと考えます。それは「往生」は悟りの世界に生まれることであり、一方、迷いの世界に生まれることは「輪廻転生」だからです。

浄土真宗での「往生」は悟りの世界に仏様として生まれることですから、「往生」は、往相回向(※阿弥陀如来が、私たち衆生を浄土に往生させるはたらき)と還相回向(※阿弥陀如来が、浄土に往生した者に与える、再び迷いの世界に還り来て、私たち衆生を救うというはたらき)の両方の果と言えます。往相のみの往生も、還相のみの往生もありません。浄土に往生してから、次に還相のはたらきが始まるのではないと思います。浄土に往生した者には、還相回向もはたらいているのです。仏教、特に大乗仏教では「自利即利他」を説きます。今、往相回向と還相回向をこの「自利」と「利他」に当てはめれば、往相回向は「自利」に属するはたらきであり、還相回向は「利他」に属するはたらきです。ですから、「往相即還相」でなければなりません。

そうすれば、還相とは、決して再びこの世に“迷いの存在”として生まれることではありません。もしも、“迷いの存在”として生まれるならば、その人にどうして満足のいく利他行ができるのでしょうか。私は、還相回向は「南無阿弥陀仏」という念仏になって、私たちに働きかけてくださっていると思います。私が日々称える「南無阿弥陀仏」という念仏は、阿弥陀如来からの呼びかけであるのと同時に、浄土に往生した亡き祖父母等からの呼びかけでもあるのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1300件を超えました


hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

往相に対しては

還相が対ですね。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1300件を超えました


昭和39年生。昭和62年佛教大学卒。

往生⇔還来

「往生」は本願力回向の果です。
「往相」「還相」二種回向はどちらも本願力回向の成せる妙果ですから、【往生が往相回向の果とすれば…】という前提に少し違和感を覚えます。

>往相に対しては還相ですが、それでは往生に対しては何が対義語として相当するでしょうか。
二種回向を対と考えるのであれば容易です。
「往生浄土の相」=「往相」であり、「還来穢国の相」=「還相」であり、「往生」と「往相」は、同じ意味と考えて頂いて結構です。
ですので、この場合「往生」の対は「還来」が相当します。

漠然と『往生の対義語が何か?』という質問に対しては、輪廻でも間違いではないと思います。
問いの前提がなければ答えにくい質問です。

:追記
よくお勉強なさってますね。
如来回向の『還来穢国の相』とお正信偈の『還来生死輪転家』は同じ還来ですが意味が違います。
ここでは文字数の制限がありますので、また新しく質問をなさってください。

こういった特定の宗派における教学上の質問はハスノハの意図する所でないと思いますが...

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1300件を超えました


始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

質問者からのお礼

往相に対しては還相ですが、それでは往生に対しては何が対義語として相当するでしょうか。

山本様、亀山様、釈心誓様、ご回答ありがとうございました。
私の質問自体に問題があったこともわかりました。
還来穢国の相が輪廻転生の迷いの世界に住している「還来生死輪転家」の相と同じように伺えるのですが、今の私のこの輪廻相が利他の還相か我利の迷相かは「決以疑情為所止」ということですから、御本願名号にはからいで色を付けてしまうか(疑)、はからいなくそのまま受け取るか(信)によって決するということでしょうか。

「仏教全般」問答一覧

世界は美しい 人生は甘美である

皆様ご多忙の中とは思いますが、目に留まりましたら、お話を聞かせていただけたら幸いです。 タイトルの言葉を、仏陀の最期の言葉として知ったのは、数年前に納棺師日記という本を読んだ時です。びっくりして一瞬時間が止まりました。最近ふとその言葉を思い出しまして、いい言葉だよなあ、と感動しています。 御釈迦様の時代にもきっと今以上にたくさんな悲惨な事や恐ろしい事があったと思うのですが、最期にそういう言葉を言われた、というのが、 この世の中、どんなに嫌で悲しい事があったり、様々な人間がいて争いごとが尽きず酷い現実があっても、「世界は美しく、人生は甘美である」という事は、 世の中に悪なんて存在しないんじゃないかな、性善説みたいなことだろかと受け止めてしまうのは、飛躍しすぎでしょうか。 あいにく私はこの言葉の背景や前後の言葉を知りませんが、その道のプロの方々が、どのように受け止めたり、とらえられているのかお話を伺ってみたいと思いまして、質問させていただきました。 沢山の方が質問されている中で、緊急性の低い内容でお手間とらせてしまって申し訳無いのですが、、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

三毒の瞋恚について

少し、仏教(日本の仏教、大乗仏教?かわかりませんが)を調べてみたのですが、三毒という概念が出てきました。そこの怒り、瞋は世の中を悪くする毒だという考え方に触れました。 ですが、私が思うにこの毒こそ、今の世の中に必要な薬ではないのでしょうか? 今のしらけきっている世の中では本当に救われる存在に対して別に心動かさない。私と関係ないという愛のない空気が漂っています。そんな中だからこそ、ちゃんと憎むべきだと思うのです。不正や、不義を見つけ、恨み、ほかの不正、不義に怒り、徳をかざすもの(徳の騎士)達の闘いこそが、この世の中に血を通わせると思うのです。確かに多くの人達が死ぬでしょう、正義もみつからないでしょう。ですが、不毛なものではないと思うのです。その痛みを知ったからこそ愛を求め、与えることができるのではないのでしょうか。転じて、少し仏教ディスをしますが、なぜそういった熱い魂を毒と切り捨て、平穏という退廃を望むのですか?それは持っているもののみ、自身の苦しみに気づかずに他人を傷つける愚者を増やすだけではないのでしょうか?それでは真に救うべき絶望に抗い、戦う者達に失礼ではないですか?そのものらは心の安寧のために戦っていると?一度、絶望したものは死ぬまで安寧とは無縁の人生を送るでしょう。そんな者達に安寧は残されていると?彼らはただ絶望と戦い、苛烈に人生という闘争の中、死ぬことだけが救いだと思うのですが、どうでしょうか?

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

心願成就

いつもありがとうございます。 前回、彼との関係が終わってしまい、立ち直りたいと相談いたしました。 そして、温かいご回答をいただき、私は煩悩のかたまりであったのだと気付くことができました。 その後も毎日のように泣いてしまうこともありますが、なんとか壊れそうな心を抱き締めるように日々生活しています。 そんな折、よく行くお寺さんでご祈祷をしていただこうと思いました。 いつもは少し離れたところからお参りするだけでしたが、ご祈祷のときはご本尊の真ん前でお参りさせていただきました。 その際に『病気平癒』や『心願成就』など願いたいことをお寺さんにお伝えしてご祈祷いただくので、私は『心願成就』にいたしました。 ただ、ご祈祷いただいている最中、私は心の中で特に願い事を思い浮かべることはしませんでした。 今の状況の私であれば『彼と復縁できますように』ですとか、もしくは『新しい出会いがありますように』など具体的な願い事を伝えた方がよかったのかもしれませんが、私はご祈祷中『いつもありがとうございます。』ということと『煩悩だらけの私を許してください。ごめんなさい。』ということでした。 ただご祈祷後に御札をいただいたのですが、その際に『願い事が叶ったときにまたお寺に納めてください』と言われ、やはり具体的な願い事を願ったほうがよかったのではという想いが出てきました。何をもって願いが叶ったことになるのかと。 仏様も心願成就と言っておきながら具体的な願い事がないのだと何を叶えればいいのか分からないとお思いになるのでは?と考えたりして、せっかくご祈祷していただいたのに、その機会をちゃんと活かせなかったのではないかと少し不安になりました。 もちろん、仏様に感謝をお伝えするのも間違っていたとは思いませんし、本心に違いないのですが不安になるということは、私は願いたいことがあるにも関わらず、仏様の前で素直になれなかったのかもとも思います。仏様はそんな素直になれない私をどう思われるでしょうか? 煩悩があり、さらに素直にもなれない私。 もしくは素直になれないのは煩悩があるからなのかもしれません。迷いがあるからかもしれません。 仏様はすべてお見通しでいらっしゃるのでしょうか?広いお心で救おうとしてくださいますでしょうか? 私は救っていただきたいと願っています。 許していただきたいと願っています。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

学ぶ方法が知りたい

仏教をもっと知りたくて、ネットを活用していたところ、 hasunohaさんを知りました。 過去のQ&Aを拝見させて頂くと、 実際の僧侶の方々のお答えの方が難しい言葉を並べた活字より、 私には馴染みやすいような気がします。 (以下はプロフィールと重複しますが) 縁あって(しかもまったく別件で2度)、真言宗に関わるようになり 30年近くになります。 その頃は少しずつ、作法等を教わったのですが、 2年ほどで絶縁したため、基本を知らず、現在に至ります。 昨年、不思議なご縁の下で ホントに自分がやりたい事は何か?を 時間を掛けて自分に問い、 やはりご縁のあった仏道を進みたい。 今世に生まれた意味を知りたい。 そして少しでも人様のお役に立つのなら・・・ まずは 読んでるお経の意味を知るべきよね、 仏教用語的な言葉の意味も知るべきよね、 と、ネットで検索三昧。 そうなるとどんどん拡大してしまって、 真言宗ってそもそも・・・ 父方は浄土真宗でお寺さんもすぐ近く。 浄土真宗ってどんな考え方なの? 大日如来、阿弥陀様やお釈迦様って? などいろいろと知りたいことが増えてしまいました。 言葉が適切かはわかりませんが、 効率的な学び方を教えて頂きたくてこの場をお借り致しました。

有り難し有り難し 43
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る