死んだ娘に寄り添ってやりたいです。
なにからお話してよいのか、わかりにくかったらすみません。
娘は高校2年の17歳でした。
先週、いつも通りに「今日は6時半に帰る」と学校に行った娘が
白い棺に入って家に戻りました。
駅のホームから線路に降りて急行電車にひかれたそうです。
駅のホームのカメラには自分でホームにおりて、線路に横たわる映像が映っていたそうです。
警察での身元確認も、本来なら親がするはずなのに、遺体はいっさい見せてもらえませんでした。
かかりつけの歯医者さんが確認してくださいました。
娘の体をさすってあげたくて、せめて手だけでも、足だけでもとお願いしましたが、お見せできませんと言われました。
なので、棺のなかに本当に娘がいるなんて信じられなかったです。
娘はとてもいい子で、人にめいわくをかける子ではありませんでした。
順番待ちでも「どうぞどうぞ」ってゆずるような子で、動物が好きで、家のペットもすごく可愛がっていました。
命は大事と言いながら、家に虫が入ってきたら外に逃がしてやったり、
体に蚊が止まっても吸わせてやるような子だったんです。
なによりも命を大切にしていたあの子が、自分で命を絶つなんて本当に
信じられないのです。
携帯に遺書らしきメモが残されていましたが、ペットの世話をお願いとか、
○○さんと約束してたから代わりに本を渡して、とか、まるで短い旅行にいくかのような文面でした。
ただ、学校に迷惑をかけないようにと思ったのか、「学校は全く関係ありません。」とありました。
告別式のあと家に帰ったら、来週見るつもりだったのか、大好きなアニメも録画予約したままでした。
自分の部屋もなにひとつ片づけることもなく、そのままの状態でした。
よく自殺したら成仏できないと言いますが、娘が苦しまないように、なにか私にできることはありますか。
息子がいなければ、すぐに一緒にいってやりたいけれど、これ以上家族を苦しめる事はできないですよね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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可哀想でなりませんね
お若かった。
お若かったからこそ、なおの事、他の選択肢が見つからなかったのでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。
お母さんのせいじゃありません。
その年頃のお嬢さんは、とても繊細ですから何か傷つくことがあったのでしょうね。
ですが、お母さまとしてはどうか、心をお互いのためになのですが、一度、お嬢さんを本当に一人っきりにしてあげるように、逝かせてあげてください。
お母さんにとっては、お腹をいためてかわいがってきたわが子ですから、一心同体です。とても強くお嬢さんに対する気持ちがあって、ピッタリ一つになって、はがれないほどになっていることと思います。
ですが、それでもあえて、お嬢さんの17年の尊厳を認めてあげてください。
お嬢さんは、もうお母さんから独立して、ちゃんと自分の考え、判断、選択を持って行動していた。
残酷なようでも、誰のお嬢さんであっても皆、
「おかあさん、私はわたしで、お母さんじゃないからね。」と口にするでしょう。
それが人間のそれぞれ個々の生命存在の真実の姿なのです。
お嬢さんの尊厳を認めて、手を合わせてあげてください。
その上で、お嬢さんに寄り添うように、新しいかかわりを始めてあげてください。
関わり合いは続いていきます。
お母さんが年を重ねるごとに、お嬢さんに対する気持ちが年々、変わっていきます。
思い起こされた時、心の中でそっと語りかけてあげてください。
お嬢さんは亡くなられてしまいましたが、お母さんがお嬢さんに声をかけてあげることはできます。お仏壇に時々好きだったものなどをお供えして、息子さんの事などを聞かせてあげてください。尊厳を認めてあげることでいつか心の中のお嬢さんが微笑んでくれるはずです。
お話も、出来るようになります。
思いを馳せてあげてください。時々叱ってあげてください。時々お母さんの悩みを話してあげてください。そうすることで、お母さんを仏の心に導いてくれる存在として、共に生き続けていくことを確信することでしょう。
私事で恐縮ですが、私はかつての修行仲間が同じ道を行ってしまいました。もう4年になりますね…お坊さんにとって修行仲間は戦友のような存在です。プライベートの欠片もない空間に並んで寝て、同じ釜の飯を食い、一緒に風呂に入り、毎日毎日連帯責任で罰を受け、自我をぶち壊すために分刻み秒刻みで怒られました。坐禅の時だけはちゃんと坐っていれば怒られないから、坐禅の時間になると同級生みんなで涙を浮かべて喜ぶんです。
そうして苦楽を共にした仲間と再会した時には、遺影と骨壷になっていました。葬儀に先立って火葬だったからです。四年が経ち、お墓参りも何回かしましたので死んだと分かってはいます。分かっていますけど、何かこう、どうしても実感のようなものが有りません…
その彼は1冊の本にできるほど長い遺書を残したのですが、実際に行動に移った前日にレーシック手術をしていたのだそうです。まったく死ぬ気なんて無かったのですよ…よく自死は衝動だと言われますが、きっとそうなのでしょうね。その道に向けた確たる意志が感じられる遺書はありましたけど、それでも衝動と思わないと何もかも説明がつかないのです。
だから私はみのりさまの文章を拝見して一緒だなぁ…と感じました。きっと家を出発なさった時には、その道を選ぶ発想は全く無かったのですよね。これから日が経ち、寂しさが増すにつれて色々な思いが頭をよぎると思います。その時に思い出していただければありがたいのですが、『みのりさまのせいではありません』よ。
最後にこれからの話ですが、みのりさまの天寿ある限り、生命を大切にしましょう。私が私が、俺が俺がという個人の垣根を取っ払い、大きな大きな生命の繋がりを大切に「供え養う」ことがお嬢さまに寄り添うことであり、そしてお嬢さまの何よりの救いに、みのりさま自身の救いになるのです。
どうすればいいか分からなくなったら、またいつでもご相談ください。
「成仏しない」なんてことはありません
みのりさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
このたびは、お嬢さんが突然にお亡くなりになられたとのこと。しかもご遺体を確認することもできず、現実感の無いまま苦しい日々をお過ごしのことと思います。みのりさま、またご家族の心中はどれほどのものか、想像もつかないほどの悲歎の中にいらっしゃることを想うと、私も胸が苦しくなります。
可愛がっていたペットがいて、友達に本を貸す約束をして、大好きなアニメの録画予約までしていたお嬢さん。人に優しく、虫や蚊すら叩かなかったお嬢さんが、なぜ自ら決断してしまったのか。誰にも分からないことですが、みのりさまやご家族の頭の中は「なぜ?」がぐるぐると渦巻いているのではないでしょうか。
大切な大切な方が亡くなったのです。これからご家族みなさま、本当につらい日々を過ごすことになると思います。私どもに出来ることは限られていますが、まず申し上げたいことは「自殺をしたら成仏できない」とか「自殺をした人は、あの世で苦しんでいる」というのは全くの迷信です。
そんな、遺族をさらに悲しませ苦しませることを言う者もいるかもしれませんが、私たち僧侶が違うと断言いたしますので、その点だけは気に病まないようにしてください。お嬢さんは悩み苦しみの無い世界から、遺した家族に「悲しませてごめんね、つらい思いをさせてごめんね」と手を合わせて見守って下さっていることと存じます。
各地に僧侶が関わる、自死に関する会があります。
まだまだ日が経っていないので、それどころではないと思いますが、お知らせだけでもさせてください。
自死・自殺に向き合う僧侶の会
http://www.bouzsanga.org
自死に向きあう関西僧侶の会
http://www.inochinohi-kansai.com
いのちに向き合う宗教社の会(名古屋)
http://inochi.in
成仏できます
みのりさん。なんと言葉をかけて良いか…
辛い事を本当に勇気を出してよく書き込んで下さいました。
状況を受け入れる事もなかなか難しいであろうと思います。
ただ、娘さんは死によって身体は無くなりますが、全てが無くなってしまう訳ではありません。
私の所属する真言宗の私が受継いだ流れでは
葬儀はあくまでも亡くなった方に寄り添って執り行われます。
自殺であっても事故であっても災害にあっても、それで成仏できないと言う事は決してありません。
初七日から七日ごとに四十九日まで七尊の仏さまが代わる代わる無くなった方を救うためにおいでになります。
その後は百箇日、一年後(一周忌)、二年後(三回忌)、六年後(七回忌)」、十二年後(十三回忌)、三十二年後(三十三回忌)、と合計十三の仏さまがお救いになってくださいます。
三十二年…長いです…。どうかしっかりと頑張って長生きして下さい。
この十三仏を巡礼されるのも良いかもしれません。
各地に十三仏霊場が調べれば出て来ると思います。
また、機会がありましたら四国の八十八ヵ所を巡礼されるのも良いかもしれません。
巡礼される方々の中には、みのりさんのように若くしてお子さんを亡くされた方も多くいらっしゃると思います。
今のみのりさんは、言葉に表せない程悲しくお辛い日々かもしれません…いや、むしろ現実味の無い日々であるのかもしれません。
現実を受け入れ難かったら、すぐに受け入れようと無理をしなくても良いと思います。
生活を大事にしながら、
お時間がある時は、お寺や霊場にお参りください。
姿は無くとも娘さんと心はいつも繋がっていると感じる事が出来ると思います。
申す言葉もありませんが
何と申し上げたらよいか分かりません。私にも高校生の娘がいますが想像することさえできません。
さて、自殺自死の方は成仏できない、等のことはカソリックの影響を受けてそのように言われるのでしょうが、仏教ではそのように申しません。お釈迦様のお弟子さんにも自殺を試みた方々がおいでになりましたが、お釈迦さまは何も特別なことをおっしゃっていません。ただ、他者を自殺自死させるように仕向けた事例について、以後、そうしたことを禁じられただけです。ですからご心配には及びません。
ところで、私たちの浄土真宗本願寺派(西本願寺)にはお隣の京都で自殺自死の問題に取り組み、ご遺族との語らいを続けておられる団体があります。どうぞメールや電話でお話しなさってください。
http://www.kyoto-jsc.jp/
質問者からのお礼
ありがとうございます。
自殺でも成仏できるのですね。 駅で線路に降りるまで、1時間くらい駅のベンチに
座っていたそうです。
どれだけの葛藤があっただろうかと思うと可哀そうでなりません。
死んでからもつらい思いをしているのではないかと。
本当に一緒にいければいいのに。でもそれは娘が悲しみますね。
ありがとうございます。
自殺でもちゃんと成仏できると言っていただいて、少し安心いたしました。
生きていれば何とかできても、今はもう仏さまにおすがりして、お願いすることしかないんですね。
できないことはわかっていますが、もう一度だけ話がしたかったです。
私がいつまでも「こわかったやろう、痛かったやろう」って思っていたらだめですね。
頑張って生きていたんだなって思います。悩み事はあったと思います。
中学生の時からずっと原因不明のめまいに悩まされてきた子です。
だけど、あの子なりに乗り越えて、学校にも通って、部活も楽しんでいたようでした。
前日もテレビ見てけらけら笑っていたんです。
でも、ちがってたんですね。
17年間育ててきたなんて、自分が情けなくてもう言えないです。
本当にこんなお母さんでごめんやったね。
お礼のコメントにお名前も書かないで申し訳ありません。
悟東あすかさま、ありがとうございました。
浦上哲也さま、ありがとうございました。
藤岡俊彦さま、ありがとうございました。
丹下覚元さま、ありがとうございました。
大慈さま、ありがとうございました。
明日、何度も読み返してみます。