死や病気が怖いです。
タイトル通り、死や病気がとても恐くてたまりません。
その原因として、3年前に愛犬が病気で亡くなった頃からではないかと思います。
ネットで病気を検索してしまったり、
人の死をテレビで見たときにもとても悲しくなります。
いずれは誰だって死が来るのは当然ですし、どうやってもあらがえませんが、
そのさだめに涙してしまうことがあります。
早くお迎えに来てほしいわ〜と笑顔で言っていたり、私はもう満足したからいつでも死んでもいい。と言っている人が
凄いと思う半分不思議です。
もっと前向きに生きていきたいのですがどうすれば良いでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死の正体、本質を知る
ポテ子様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
拙生も、死や病気が怖い時期がございました。
しかし、僧侶となってから観たある映画の影響で、その内容について調べて、また、考えていく内に、やがて、死の本質について学び、知り得たことにより、死への恐怖をかなり減らすことができたのではないだろうかと存じております。
その映画とは、「リトル・ブッダ」というチベット仏教における高僧の輪廻転生を扱った内容でありました。お釈迦様の内容もかなり詳しく扱われてありまして、仏教を学ぶ上でも大変有益であり、かなりお勧めです。
その映画の中で、あるチベットの高僧が、死と転生について話す場面があります。
お茶の入ったコップでの例えにて。
その内容がなかなか頭から離れず、絶えずどこか、その内容を意識しながらに仏教を修習していたと振り返ります。
まさに、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」で、恐らく死が怖いのは、死の正体を知らないからであると思います。知らないことにより、妄想を膨らませて怖くなってしまっているところも。しっかりと、その正体、本質を理解できれば、きっと拙生と同様に恐怖を少なくして、前向きに生きるためにも資していくことになるのではないだろうかと存じます。
川口英俊 合掌
私も死は怖いです
ポテ子さんは『生老病死』という言葉を聞いたことがありますか?
生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ。
それらはこの世に生きる以上、逃れられない、受け入れるべきものです。
正直、私も死は怖いです。できれば避けたいです。
しかし、ポテ子さんも書いてありますが、避けることは絶対できません。
ポテ子さんが人の死を悲しく思ったりする事は実は大変意味のある事です。
鎌倉時代に活躍された日蓮(にちれん)というお坊さんは、
「臨終(りんじゅう)の事を習って後に他のことを習いなさい」
と言われました。
人生何があるか誰にもわかりませんが、人生のゴールは誰でも知っています。
死です。
ならば、まず自分はいつか必ず死ぬのだということを前提に、毎日を生きなさいという事です。
人は必ず死ぬ、だから他人に親切にしよう。
必ず死ぬ、だから正しく生きよう。
死ぬということは、限られた時間を生きているという事です。
毎日を大切に生きる事が、前向きに生きるという事はないでしょうか。
私も怖いです
拝読させて頂きました。
そうですね!
前透師のおっしゃるとおり私も死や病気が怖いです。
それはものごころついてからずーーーと続いています。
あなたのお気持ちはよくわかります。
それでも私達は毎日生きていかねばなりません。
そして私たちは独りではありません。沢山の方々とのつながりの中で生きています。
たとえ病になっても誰かがサポートしてくださいます。
同時に私も誰かをサポートしていきます。
そうして死が訪れる時には必ず仏様が正しくお導きなさってくださいます。
また私達の親しい方々がお迎え頂きますし、親しい方々がしっかりと見送って頂きます。
同時に私達も大切な方を心を込めてお見送りしますし、自分が仏様のところに行った時には親しい方々を心からお迎え致します。
ですから生きる事死ぬ事はお互い様です。持ちつもたれつです。
私達は孤独ではないのです。
独りでは何でも恐ろしいです。怖いです。
ですが私達は必ず仏様や多くの方が付いていて下さいます。
こらからの人生もあなたは独りではありません、どうか沢山の方々とのご縁を大切になさりながら皆さんと仲良く助け合い思いやりの心をもって前向きに生きてくださいね。
あなたも私も同じこの世に生きる同胞ですからね。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
質問者からのお礼
沢山のご回答ありがとうございました。一つ一つじっくりと読んで考えさせて頂きました。御坊様も誰もが死の恐怖があると知り、自分だけではないと内心ほっと致しました。
御坊様の言う通り、死の本質がよく分からなくて恐怖があったのだと思います。死の本質について理解するにはまだまだ時間がかかりそうですが、
自分がお婆ちゃんになって死ぬ時が来た時に1人ではないという事を覚えておきたいです。見送る側がいて、導いてくれる方がいるということを忘れないで日々生きるというという喜びと大変さを感じ取っていきたいです。
本当にありがとうございました。