やっぱり無縁仏じゃだめですか?
こんばんは。
どうしよう。涙が出そうです。
病気の事に関しては以前通院していたないかの先生は「もっと前からなってたんじゃないの?」と言われました。
病気でもたいしたことないんですが、今テレビでも話題になっている「バセド病」です。よーく考えてみると先生の言うとおり小学生の頃からだったと思います。よく「目が大きいね」といわれてました。
学生の時は、なんでも興味津々でした。夢もありました。でも今は、やりたいこともないです。前向きになれません。
どうせ死んだって、亡くなった友人に逢えるわけでもないし、将来の旦那様と同じ墓は入りたくないし。
やっぱり一人がいいです。
何故そんなに無縁仏がいけないんですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
反発エネルギーで自分を苦しめないようになさってくださいね。
余計なお世話かもしれませんが、私も昔、人を毛嫌いしていたことがありました。
反発心が強く、抑圧されることを嫌い、自分の正義のコリカタマリでした(^.^)
私の場合はいわゆる怨憎会苦ですな。人を嫌いになったり、憎む心があると、怒りのエネルギーが大量に分泌され緊張、硬直状態が引き起こされて病気を生んだり自分の身を苦しめるのです。
怒りやストレスは簡単にいう心体の中の悪玉菌ですな。
バセドー病はストレスが厳禁でストレスを軽減すると良いと言いますから、お墓はあなたの健康のためにも、今の時点では、まあ好きになされるのが良いでしょう。自分らしく生きなされ。(^.^)。誰も責めはしませんから。(^.^)責められてもいいじゃないですか、平気でいてくださいな。(^.^)誰かが悪く言ってるんじゃないかと思うのなら、それも自分の思いなのですから、最終的には相手、他人を問題にするんじゃなくて自分自身の物事に対する捉え方を変えたり、上手になさることです。
「誰もあなたを縛り付けてはいません」「あなたはあなたのままでいい」
もしも仮に親御さんが長年抑圧が強く(本人はその気はないにしても)ストレスの対象になってきたのであれば、独立記念日でも設けて互いに違いを認め合って尊重しつつ、干渉しすぎず、良い距離感を保つことです。抑圧の厳しい家庭では親は子供に従順という名の服従を求め、子どは大人になるに連れ自分の尊厳の尊重を求めるものですが、長年の親子関係から、うまくお互い精神的に独立できない家庭は山ほどあります。
もっともっと幸せな生き方を求めるのなら、あなたの中に他者に対する反発的、拒絶的な想いが強くあるようなので、それが今後もストレスになって他の病気も引き起こしかねないから、生きているうちにこそストレスの無い生き方に転向されるべきですよ。
仏教とはまさにあなたのような人の為にあるのです(^.^)。
菩提心(もっと精神を向上させたいという強い想い)を起こして、生の現実の世界のお寺の布教の場に足を運んだり、参禅や聞法をなさると心が晴れますよ。
良かったら同じ埼玉ですのでご連絡の上、狭山市まで起こしください。
将来の旦那様が悲しみそうです(;ω;`)キットイッショガイインダオ。。。
いま、孤独、でしょうか。
ひとりになった、つもりでいても、やっぱり誰かがいるわけです。
どうしても、どうしようもなく。なんせひとりで生きているわけじゃないもので。
ひとりで生きている、なんて烏滸がましくて、なかなか言えません。
だから、できる限りは自分で精いっぱい。
あとのことは仏様おてんとう様神様に「おまかせ」であります。
だけど、なぜか孤独感が押し寄せてくるのは、
自分という、最も身近で、でも自分ではそんなにコントロールができない存在がいて、
それがどうしようもなく嫌い(でも実は好きなのよ。でもだからこそ嫌いなのよね。)
だからだと、小生は思っています。
そいつを好きになる、それが修行でもあるし、人生でもあると思います。
一生を賭して、自分を好きになる。仏教はそうした教えだと思っています。
無縁仏のなり方、或いは無縁で葬ってほしいという願いには、葬儀社、或いはネットなどで
検索すればヒットします。
無縁仏の良しあしは、我々が決めることではなく
御自身が歩んできた中で培われた御自身の宗教観によります。
あなたの歩んできた人生のなかで「無縁が悪い」となっているのはなぜか。
それは「あなたが決めた」ことなのか。ただ誰かが「悪いこと」だとしているからか。
申し訳ないですが、もっともっと泣いて泣いて泣いて泣いて、
「あなた自身はどうしたいのか」を、辛いかもしれないですが見つめてみなければ
ならないのかもしれません。
それから、恐れながら小生があなたという存在を知ってしまった以上、お祈りせざるを得ません。
どうか、かおり様がさいわいでありますように。
どうか、かおり様がやすらかでありますように。
小生は、あなたという縁に出会えた事がなにより尊いものだと思ってこれからも生きて参ります。
小生にとっては、あなたはかけがえのない「縁」です。
前向きになれない時があっていい。一人時間を大事にしたっていい
前回の返信、読ませていただきました。
治療しながら、体力作りも しっかりと されているんですね〜。
頑張り屋さんですね◎
親というのは、我が子のことが、心配で大事で。大切なことを、しっかり伝えてやりたい!と、時には 思いをぶつけすぎてしまうことも。
あなたは、自分のペースで、歩んでゆけば いいんじゃないかな〜♬
無縁仏で いいんだと、今 そう思うんであれば、それでもいいと思います。あまり、考えこまないでいいんだよ〜。前向きになれない時があってもいい。今は、一人の時間を大事にしたっていい。本を読んだり、映画を観たり。また涼しくなったら、お友達と出かけてみようかな〜 そんな、ゆっくりな時間も、今は必要な時間だと思います。
でも、自分の思いを 誰かに伝えるってことは、前に歩み出すためには、大切なことなんです。
だから、こうして、気になる事を 問うてみるのもいいし、気分が良い時は、家族や お友達とも いろんな話をしてほしいなと思います。
暑い時期ですので、体力作りも、無理なく ボチボチ行きましょう(*^^*)
その真意はなんですか
かおり様へ
死後については、正直わかりません。
ただわかっていることはどうやらいいところのようです。
あの世から戻ってきた人はいませんので・・・
人間誰しも死ぬときは一人です。
しかしながら、なぜ一人がいいのですか。
なぜ将来の旦那様と同じ墓では嫌なのですか。
これから素晴らしい旦那様にお会いできるかもしれません。
その真意はなんですか。
ぜひそこについて問いてほしいと思います。
あなたの周りには素晴らしい両親、兄弟、親類、友人がいることでしょう。
それだけでも素晴らしいことではありませんか。
他者とつながっているだけで、その問いに対する答えが見えてくるかもしれません。合掌
もう考えなさんな。
かおりさん、無縁仏のことは以前書きましたが、自分が無縁にしたいと主張してもあなたには家族がいるわけですから、願いは聞けないと思います。
どうしても、無縁仏がいいなら、
①家族や親類が亡くなり、天涯孤独になるまで生きれば、無縁になりますよ。それまで生きてください。何百年何千年も。竹取の翁のように・・・
②どこか遠くに行って、一人暮らしをして、孤独死しますか?でもね、死んでも、結局自分の家族のもとに帰されますよ。
死んだあとのことは、誰も決めれません。そもそも、仏教の葬式は出家得度して、お釈迦様のもとに行き、弟子になり、一緒に修行するのです。かおりさんが描いているパラダイスではないと思います。友人や旦那のことを気にしている暇などないかもしれません。(説教師観て来たような嘘をつくかな?)
前向きに生きている人が夢や希望をもって、人生充実している人と思うのは今のメディアや芸能人が原因を作っていると思います。そこに価値観というか人生の指針を見るのではなく、ほとんどの人が夢をもっているわけではなく、前向きに生きているわけでもなく、何と言おうか。自分勝手(利己主義)と嫉妬心で生きていると思います。
私は介護の仕事を副業でしておりますが、そんな人ばかりです。調子のいいことばかり、綺麗ごとばかり言ってはいるが、いざとなれば自分は正しい、お前は間違っているなどと言われ、一方的に悪者扱い。私の取り方も大げさなのかもしれませんが、どこかおかしくなっています。私は嫌な世の中に生まれたなと思いました。
どうしたらいいですか?無縁仏になれば解決しますか?しませんよね。もう考えるのを辞めましょう。無縁仏に辞表を叩き付けましょう。私はあなたの悩みが愚痴に替わるまでいくらでも相談に乗りますよ。多分、参考にはならない答えと思います。私はあなたが納得できる答えが出来るまで何度でも相談に乗りますよ。宜しく!
かおり様。
「涙の数だけ強くなれるよ・・」
かおり様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
「無縁仏」・・まずは何をもって「無縁」と定義するのかということを考える必要がございますが、世間一般的には、自分が亡くなってから、自分の菩提を弔ってくれる施主(近親血縁者)がいなくなること、追善供養を行ってくれる施主(近親血縁者)がいなくなること、と言えるのではないかとは存じます。
しかしながら、拙生の考えにおきましては、そもそも「無縁」や「有縁」にとらわれてはいけないとは存じております。
仏教において、少なくとも僧侶たちのほとんどは、全ての迷い苦しみにある一切衆生が悟り・涅槃へと至れることを願って、日々の仏道修行、勤行、ご供養、善徳行・利他行に精進なされておられます。例え施主となる血縁者がいなくとも、菩提心を持って取り組んでいる無数の僧侶たちがこの世にいる限り、供養は一切衆生へと及ぼされるとお考え頂けましたらと存じております。
菩提心論
http://t.co/aSBtLQQI
特にこのことは、様々なお経を唱えた後において、必ずと言ってよいほど読む回向文として、「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを。十方三世一切の諸仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜」がございます。
迷い苦しみある衆生においては、有縁も無縁も区別はありません。全ての衆生が仏道を成就して、やがて悟りへといざなわれんがための「功徳」を及ぼす供養、善徳行、慈悲・利他行を積み重ねていくことが仏道において大切となる次第でございます。
それと・・かおりさんは決して一人ではありません。無数の支えという色々な「縁」によって、これまでも、そしてこれからも生かされて生きていくことができるのであります。
まずはゆっくりと静養なされて、ご病気を治されましてから、少しずつ焦らずに、これからのこと、やりたいことについて自身を見つめ直されていかれましたらと存じております。
「涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く 花のように 見るものすべてに おびえないで 明日はくるよ 君のために」 シンガーソングライター・岡本真夜さん・ 「TOMORROW」より
川口英俊 合掌
エンディングノートと言う言葉をご存じですか?
生命のあるものの肉体にはいずれ死が訪れます。
その人生の最後をこうやって見送って欲しいという
事を書くためのノートです。
自分の生い立ち、好きなもの、好きなこと、今までの思い出。
そして最後の葬儀の形、供養のこと。もちろんお墓のことまで。
そしてそのノートを自分の最後を見届ける人に託すものです。
法的効力のある遺言ほど堅苦しいものではなく、
自分の最後をこんな形で締めくくりたいという覚え書きです。
もし、どうしてもと言うならエンディングノートに自分の思いを書込、
人に託して下さい。
あなたが心からそう思うのなら、その意思は尊重されなければいけません。
エンディングノートは本当の死を覚悟して
今までの人生を振り返り、またそれを書込み終えたときから、
残りの余生をいかに過ごすかという
一つのきっかけを与えるノートでもあります。
質問者からのお礼
今晩は。皆さん、何から何まで?ありがとうございます。
家では毎年お彼岸の前か後に母と二人でおはぎを作ります。姉がいるのですが、姉の旦那さんのお父さんも病気で亡くなっているので、持っていきます。姉は子育てで忙しいので作れません。
父は自分の親なので、毎朝お線香を上げています。
お墓参りは病気になって少し落ち着いた頃に2,3かいぐらいしか行ってません。勿論、ご先祖様にも申し訳ないと思って降ります。母方の祖父も亡くなり、手を合わせたのは7回忌と祖母が倒れてしまった時だけ。
で、父方の祖父母の墓を掃除しているとき、心の中で「もし私が独身のまま何かの病気や事故で死んだ場合、こっちにきてもいい?」と話しかけてました。勿論、返事は来ません。
なんでしょうね。何か、墓参りするのが嫌になりました。面倒だから嫌とかじゃなく・・・・よく自分でもよくわかりません。もう、行く気がしません。もう、とにかく両親や姉夫婦、伯母、義理の兄のお兄さん、親戚の皆が元気手いてくれればいいかです。それだけで充分です。
鈴木光浄さんへ
将来の旦那さんと同じ墓では嫌な理由は、
素敵な方と出会い結婚もして可愛い子供も出来て、お互い大切にして思いやる気持ちも持って、
互いに守って守られて、時には喧嘩もして。
んー・・・、同じ墓にいるというのは、生きているときと同じかな?と思ってしまいます。
死んだときは一人で静かに休みたいんです。
鈴木光浄さんへ
19歳の頃、高校時代の友人に暴力団に売られたんです。だから一人が好きですし、独りになりたいんです。
お墓も一人が良いです。
鈴木光浄さん皆様へ
前にも言いましたが、高校の友人は暴力団とつながっているので、売られました。
まして友人自身の小遣いだって私は1万円渡していました。
その理由で人を嫌いになり、相手を選んで相手にしたり男性恐怖症になってしまいました。
だから無理でしょうね。こういう経験をしてしまうと気持ち?をかえるというのは。
なので一人でいるほうが好きだし、お墓は一人の方が良いんです。