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気持ちの整理の仕方

回答数回答 3
有り難し有り難し 20

職場での出来事です。休み明けに出社したら、私の机の上の複数の私物がなくなっていました。金銭等ではありませんが、ペンやメモ帳等です。上司には報告しました。不思議と怒りはありませんが、残念な気持ちと、どうして?という気持ちがあります。また、職場の人を「この人が盗ったのかな」という目で見てしまう自分が嫌になります。
今、色んなことを考えすぎて心がぐちゃぐちゃなのですが、どのように気持ちを切り替えたら良いかご教示頂けますと幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

事実はペンやメモ帳が無いということだけ

誰かに〇〇されたと思うと、イライラしたり悔しくなったり、苦しむ原因になります。
取られたかどうかは、実際には見てない訳ですし、事実としては、今ないということだけです。

そのメモとペンを今誰かが必要としていて、そのメモ帳とペンにより救われていると思ったらどうでしょう。あなたが施したことで、幸せにしたかもしれません。

盗みは悪いことですが、慈悲の心で昨日あったペンとメモ帳が、今はないだけ。と捉え、盗られたという、想像は事実とせず、目で確認できることだけで物事を見てはどうでしょう。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

多分、悪意はないものかと。

メモ用紙とペンというのは100人中、50人くらいは、人のを借りて、借りっぱなしにしてしまい、うっかり返し忘れてしまうもので、おまけに「まぁ、いっか」というくらいにしか思われない消耗品的な感覚で使われてしまい、人のものでもさして重要なものとして扱われない悲しい物である、と埼玉県狭山市の沢という村では100年前から語り継がれています。
私の推理によると、犯人は、犯行という自覚すらない。
そして、おそらく、犯人は職場の中にいます!(当たり前だ)
そして、おそらく犯人は、緊急時にたまたまそばにあったあなたのメモ用紙とペンをうっかり使ってしまった!と思われます。
そしておそらく、あなたの部下ではない。
多分、血液型はわたしと同じ、ズボラなO型でしょう!(超テキトー)
部下ならば、返さねばという気持ちが沸くものですが、返していないところから、上司か、同僚の犯行かと思われます。
そして、返すにもタイミングを逃してしまい、そのままにしてしまっただけでしょう。
よって、朝のミーティングの際に、誰も傷つけないように伝えるか、掲示板にライトタッチで書いておきましょう。
「〇〇課の丹下です。お気に入りのペン(〇〇色)とメモ用紙(〇〇のイラスト)が行方不明です(泣)拾ったかたは御連絡ください。(´-ω-`)」みたく。
悪意のある窃盗ならばもっとまともなものを狙うはずです。
よって、今回はあなたの考え過ぎという事で丸く収めましょう。(^<^)
このお悩みの中心は、怒った出来事に対して、あなたが一番恐れていることを妄想してしまった、無明が問題と言えます。
本当にそうではない内から、自分の思いこみで、そうに違いない、と邪推することで生まれる暗い思いです。
まずは、事のなりゆきを見届けて自分の思いこみで物事を観ない様にしましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

思考の堂々巡りに注意

色んなことを考えすぎないようにしたい、ということでしょうか。
まずは、思考の堂々巡り(同じことを繰り返し考えてしまう。何度考えても答えがでない。)を止めるのが重要ですね。
今ある情報・材料で考えて答えが出ないなら、同じ材料を使って何度考えても、やっぱり答えは出ないのです。
その場合は、新しい情報・新しい材料を仕入れないと、新たな思考ができません。
ですから、新しい情報を入手するために一歩でも動いてみるのもよいでしょう。
あるいは、新しい情報が特にないなら、他のことに脳と時間を使ったほうがよいでしょう。
同じことを何度も繰り返し考えている、ということに気付くことが大事です。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

邦元様、丹下様、願誉様

早速のご回答ありがとうございます。
あたたかいメッセージありがとうございました。
考え方を改めようと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ