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職場の先輩がきつい人で悩んでます。ミスがあれば待ってましたかのように注意する。それは良いのですが、言い方がきつくホントつらいです。仕事もはかどらず注意をうける時間も長く。内容はホント些細な事です。まだ入社して半年ですが私もはじめのうちは「はい」と言い訳、口答えなくしてましたが、あまりにも皮肉まじりに注意を受けるとき、または自分のミスではないときははっきり言いうようになりました。そしたら下のものは先輩がどのように思っているのか考えて答える。合わせるなどと上司に言われました。自分の意見は言えないのでしょうか?後輩はあくまでも我慢。でしょうか?きつい人や、そりの合わない人とどう付き合うべきでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

マトリックスよけでナイススルーを。

まずイナバウアーができるぐらいまで日常で体を柔らかくしておいてください。
その先輩の小言が始まったら映画『マトリックス』の主人公になったつもりで飛んでくる上司の銃弾を反り返りながらよけてください。イメージはスローモーションです。
もちろん、イメージだけで結構です。
するとそのお小言銃弾は拾い上げる人がいなくなりますので、あなたの体には当たりません。
後ろの後輩に流れ弾が当たるかもしれません。銃弾をよけるための上手な距離感を保ってください。
可能であれば相手との距離を3mほど保ってください。
やれ小言が始まるなぁ、というときに脳内でスローモーションをイメージして相手の口から発射されるお小言銃弾を数センチの見切りで反り返ってかわす。
後ろに反り返った際にほかの人にあたらないように十分な空間を確保しておいてください。
一応、こちらにイメージ画像を添付しておきます。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjEmu6EopzVAhVHEbwKHSK0Ae0Q_AUICygC&biw=1455&bih=655#tbm=isch&q=%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9+%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%90%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC
さて、笑っていただければ大丈夫です。
柔軟性が身についたということです。
物事は、それを自分のことにしたり、カタく受け止めるからダメージが生ずるものです。
しなやかにかわすべきものはかわす。 
もちろん受け止めるべきことは受け止める。
相手の言っている趣旨は「ここがこうなるとよい」というたった10文字だけなのです。
そこだけ、そこのみ、それしか、それだけ、をキャッチしてあとはイナバウアー的スルーでダメージはありません。
大切なことは、いざこれを実践するときに吹き出してしまわないことです。
笑ってしまいますと、相手に反省感が伝わらず、むしとエージェント(先輩)からますます標的にされてしまう可能性があります。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

会社は社員に仕事をさせて儲けるところなのに

「職場」と書いていありますから、どんなお仕事をされているのか分かりませんので、ここでは一般企業と考えることにします。

私が参考にしている経済評論家の三橋貴明は、日本の生産性が低いのが日本経済低迷の理由であると再三いいます。生産性が低い、とは簡単にいうと会社が社員さんに給与その他として支出しているお金に対して、会社がたくさん儲けられれば生産性が高く、そうでなければ生産性が低いということでしょう。つまり、会社は社員さんに働いてもらわなければならない、ということですね。

これは、上役や先輩は部下や後輩を効率よく働かせ、チームとしてたくさん仕事をしていく役割を与えられているということです。あなたのご質問におけるその先輩のやり方は会社にとって有益なのか不利益なのか、と考えると、不利益しか生んでいない、会社の生産性を低める人間であることになります。

実は、私も以下のような目に遭ったことがありました。この当時、私は何も仕事をさせてもらえない、という状況にありました。それでも私に支払われるお金はあるわけですから、その事業所は私のアルバイト代という名目でお金をドブに捨てたことになります。

https://hasunoha.jp/questions/3187

私の場合は、バイトでしたから、雇用期間が終わってから別件でその事業所のヘッド(○長)と話す機会があったとき、上記その他の実態を直接話すことができました。

あなたの場合も、会社そのものの為に、つまり従業員をより効率よく働かせ、儲けられるようにするにはどうしたらよいか、という観点に立ち、先輩と直に話してみる、また、現状をもっと上の人に伝えるなどはできないですか。

以前、カナダでファストフードのチェーン店を経営してお寺を建てられたお坊さんがおられました。この方はベトナム系移民の従業員さんに、「あなた方が働いてくれるから会社が設けられる。会社が儲けられればあなた方に給与を支払い続けられるし、よりよい条件で働いてもらうこともできる。仏教は相互に助け合う教えなのだから」とおっしゃっていたそうです。

先輩がよい先輩に変わってくれるように行動することが、あなたにとっても会社にとっても、そして先輩にとっても、よいことになるのではないでしょうか。

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個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

質問者からのお礼

早速にお返事頂きましてありがとうございました。誰にも言えず悩んでおり、聞いてもらえる場所があることだけでもココロ軽くなるところ、考えてくださり、ご意見くださり、頂いたお言葉に感謝の気持ちでいっぱいです。先輩がよい先輩にかわってくれるように行動すること、意識して前向きにやっていこうと思いました。私自身のために…会社のために…助け合う。ほんとにそうだと思いました。少しずつですが気持ち切り替えてみようと思います。また柔軟性、かたくならないこと、相手の趣旨を考えること頑張ってみます。聞いてくださるかたがどこかにいるってこと本当に本当に力がわきます。また頑張れます。ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ