人間関係の再構築と自分の性格について
よろしくお願いします。
私の性格がいけないのか、人間関係が公私ともにうまくいっていません。
家庭では夫の仕事が安定せず、やや経済的DVの様な感じもあったり、子供に当たったり、夫婦の会話がありません。
色々な日々の蓄積で、責めたくないといつも我慢しているのですが、爆発してしまうこともしばしば。
子供じみた趣味(フィギュアやゲーム、漫画等)に熱中して、子供がいるのに生活リズムを合わせようとしないのを見ると、どう接していいのかわからなくなります。
主人の事が理解できませんが、尊重しようと我慢しています。
育児や家事への協力は諦めました。
ママ友もとても仲良しみたいな人はいません。
会社では、子供を産んでから入った職場で何かと風当たりも強く、自分のスキルが足りていないのがいけないのですが、上司から仕事以外の事も聞こえる様に悪口を言われ、同期に良かれと思ってした助言も私のせいでこうなったと言われ‥。
自分は人として駄目かもと思う様になり、
他人と距離を取り、ここにいるのは迷惑なのかもしれない、周りの人に迷惑をかけてはいけないと自分から頑張ることをやめてしまいました。
そして、頑張れなくなってしまいました。
こうなってしまったのは、自分の傲慢さがいけないのか。
どこがいけないのか等考えました。
どう振る舞えばいいかわからなくなりました。
子育てもあり、いつも必死で疲れています。
以前とは変わってしまった暗い自分がいます。
こんな私に子供が育てられるのか、悪影響を与えてしまうのではないか不安で仕方ありません。
立て直したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
またか、と思うことでも、それは「また」ではなくてよ?
まず、一瞬一瞬で生きることです。
10の不幸があったにせよ、ドの時はド。レの時はレ。ミの時は絶対にミです。
過去の不幸はもうそこに既にありません。
その時なり響いたドの音は、もう鳴りやんでいます。
またか!と思う時でも、その時のドは前のドとは絶対に違っています。
1オクターブ上だったり、下だったりします。
ピアノのドではなくラッパやハーモニカのドだったりします。
ドーナツのドではなく、どら焼きのドだったり、ドザエモンのドだったりDon't stop my loveのドだったり、どーでもいいやのドだったりします。
よって、今向っている所に❝だけ❞焦点を当ててください。
過去は絶対に取り戻せませんから、終わった不幸、鳴りやんだドの音はそこで終わってよかったのです。
ただ、良くないことはその不幸を煮つめ返すことです。
終わったことを煮つめ返すことは、すでに仕上がった完ぺきな料理にさらに火を加えて焦がしてしまうようなものです。
どんな不運であっても、それはそれとして、良かろうが悪かろうが、仏法の上に於いては完ぺきなのです。
事実は、常に絶対に一つです。
たった今向っていることだけが絶対の事実です。
そこに解釈を添えるのがあなたです。
思い方は色々。
捉え方も様々。
でも悪しざまに言ったり、悪い面ばかり見てケチをつければ、その精神内コメントによって心がダークニャンになるのです。
思いでケチをつける前のそのものを味わいましょう。
あなたの心は振りかえり方向に向かっているから、苦しみが増すのです。
ドレミファソラシの次の音は、きっといい音、言い響きです。
意表をついてファだったりします。
今から素敵な音が流れますように。(^<^)
思いをつなぎ合わせない工夫が必要です。
現在、ご自分のお仕事のこと、旦那様のお仕事のこと、旦那様の趣味のこと、子育てと別々のことを、同じ一つのこととして連結して考えていることで、苦しんでいられるように感じ取れました。
「今私が苦しんでいるのは、旦那様の趣味のフィギュア集めのせいだ」「「子育てもしないで」「私は辛い思いをしている」「自分が悪いのだ」など
事実から離れた思考による苦しみです。
仏教とは、どんな環境で生活していても救われる教えであると思います。まずは、1週間前、1日前、1秒前の過去の出来事と比較しないことです。比較すると必ず、善悪を付け足します。苦しみます。
ただ、目の前の事を見てください。事実は「今」しかありません。しかし、人は事実が目の前にあるのにすぐにそこに思考を付け足し始めます。思考の付け足しをやめることが大切です。
旦那様の趣味については、もし家計を圧迫してしまうのであれば、少し控えてもらえるようにお願いしてみるといいでしょう。子育てについても、言われないと気がつかない男性も多くいます。言葉は悪いですが、うまく旦那さまを利用しおだてながら子育てを手伝ってもらうよう仕向けるといいと思います。
相手を変えようとせず、ご自分の接し方を少し変えるだけで、良い方向に変化することもあります。
お仕事のお悩みについてですが、同僚などから言われた言葉を、心の中で繰り返していませんか。
思い出し、繰り返している時には、すでに過ぎ去った過去のこと。思いにとらわれないよう、言われたこともただ、声がそこにあったという事実のみ。自分が嫌味を言われたなんてこともなく、耳に聞こえたまんま。問題になっていないということに気が付けるようご自分を観察してみてください。
坐禅を学ぶとその辺がよくわかると思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
ありのままを
すみません。
途中で投稿されてしまいました。
改めてご回答頂き、ありがとうございます。
ありのままを見ていなかったんだなとご指摘を受けて、気がつきました。
自分の経験と感情で善悪を確かにつけていると反省しました。
そして、自分が言葉に流されやすいという事も改めて分かりました。
前は割とサバサバしていたのに、なぜここまでネチっこくなってしまったのだろうと少しかなしかったです。
主人に対して、正直おだてる事が難しい程、自分に余裕がありませんが、少し頑張ってみたいと思います。
今回ご回答頂いたこともわかったつもりで半分も理解はしていないと思います。
子供が小さいので難しいかもしれませんが、是非とも坐禅を学びたいなと思いました。