悪口を思い出して悩んでいます。
またですが、お願いします。
最近、ことあるごとに、言われた悪口を思い出しては、
モヤモヤ悩んでしまいます。
前は楽しいことを考えて過ごしていたのですが、
今ではそうもいかなくなっています。
過去の後悔は、行動を改めていくことにしましたが、
された事に関しては、解決策が見い出せていません。
内容は、匿名でのバッシングと、味方を装って裏で悪口を書かれていたことの2つです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
厳密には悪口を悩んでいるのではない
悪口で悩むのは、悪口それ自体で悩んでいるというより、そこに自分の意味をつけ足す事で悩むものであると言われています。
たとえば「ばかやろー」という言葉があります。
これは、誰かに対して当てたものではないから、誰が見てもさほど不快に感じません。
人間が悪口に悩む心理メカニズムとして、
悪く書かれたことに対して、自分の思いをそこに重ねているから苦しいのだということを知っておきましょう。
自分が悪口を書かれたことに、さらに自分の中でネガティブな思いを追加、プラス、サーティーワンのアイスの様に追加トッピングをして、その自分の思いで悩み苦しむのです。
あえて、その通りに眺めてください。
無駄に苦しむ人は、その倍以上に苦しむ。
自分ごとにして、自分で追い打ちをかけるからです。
言われても、書かれても平気な人はまるで相手にもしない。
自分の中に取り込みもしない。
他人事であるかのように、私の中に取り込まない。
それを、ただのそれとして眺めているだけ。
そういう在り方も学んでみましょう。
今後も悪口に悩まなくなれるからです。
悪口というのも、匿名の場合は、相手もこちらを恐れているのです。
それは自分がそれを通じて優位に立とうとか、浮かび上がろうとする心理です。
哀しいものです。
自分が弱いから、つい感情的になって、相手を抑え込もうと、押さえつけようとしている心理です。
どうせ匿名ですから、ちゃんとしたコミュニケーションではありません。
とても卑怯で卑劣な行為ですから、相手にする必要もありません。
私もよくありますよ
私もつねにバッシングされていますし、味方を装ってひどいことをされたこともあります。あまりに酷いので落ち込んでいた時期もありました。最近、同世代のある住職から、「まともなことをしているから酷いことをされるので、酷いことをされるがあなたの(つまり私の)生き方が正しいことの証(あかし)です」と言われ、以前に比べ落ち込まなくなりました。その人は立派な方ですがやっぱり酷いことを言われ続けておられます。人間は他者を貶め、陰に回って酷いことをする生き物なのだと思ってください。そんな中、本当に信頼できる人間関係はごくまれに、しかし、必ずできますから、それを大切にすることだと思います。
お釈迦様は、というとやはり酷い嘲りを受けておられたようです。理由は素晴らしい宗教家だったからです。さて、お釈迦様は嘲りの言葉に反論されることはなく沈黙を貫かれました。くだらない人間は相手にしないのが仏教的な生き方です。
自分の生き方が正しいと思えば、酷いことを言われてもされても、そんなものだと思って流していく自信が持てるのではないですか。
誰でも誉められたり批判されたりする
誰でも、誉められたり批判されたり、悪口を言われたりするのが普通なのです。
よくあることだし、いちいち覚えておく必要すらないことかもしれません。
蚊に刺されたようなものです。
何月何日に蚊に刺されたとか、一生覚えておいてたびたび思い出して
「ちっくしょう、平成27年○月○日午後○時頃に私の腕を刺した蚊め!」とか一生恨んでいたらきりがありません。
あなたは、まだ年齢がお若いから、蚊に刺された経験も、悪口言われた経験も少ないので、いちいち覚えていられるのでしょうけど、
長く生きていると、そんな小さなことをずっと気にしてはいられません。
ですから、時間が解決してくれる(そのうち気にしなくなる)可能性もありますね。
あなた自身がいずれ成長して、気にしないあなたになれるかも。
未来のあなたに期待して、今は、
「たまに思い出してしまうけどそのうち忘れるさ、未来の私、ちゃんと忘れてね!」
と未来の自分に宿題を送りつけておきましょう。
その通り!思い出しているだけです
過去のことを思い出しているだけです。文字となって残っていても、今のことではありません。何度も繰り返し思い出し、こねくり、ご自分でご自分を苦しめている現実に気が付くべきです。現実は、何にも過去はありません。許すも許さないも、憎しみも存在していません。それらの思いは、あなたの心が作り上げた妄想であることに気がつきましょう。
書かれたものはもう見ない。消してしまいましょう。言葉で言われたことは。もう現実には存在していません。言われた瞬間にその声は消えていきます。それを取り扱うことは。執着になります。その思いは誰かに話してスッキリ過去のこととしてしまいましょう。(現実に過去のこと)
質問者からのお礼
ありがとうございます。
ようやく過去のことだ、ときっぱり妄想をやめ、自分に自信が持てそうです。
多くのご助言、ありがとうございます。
確かに、私宛だから苦しんでいたのかもしれません。
今でも関連する言葉を書かれると、自分に言われた時を思い出して、ちょっと怯んでしまいます。
未来の自分に期待してみようと思います。