どうすれば自分を受け入れられるでしょうか?
以前、"結婚できなかった、これからの人生が見いだせません"で質問させていただいたものです。
それ以降もいろいろな人に支援をいただき、いろいろと考えてきました。しかし、どうしても考えは次のようにループするだけで、ちっとも考えが前に進みません。
私は40歳ですが、それまでいろいろと恋人を作りたいと努力はしてきました。お見合いも50人はしたと思います。しかし、女性と恋愛関係を構築することはとうとうできませんでした。私の周りで40歳にもなって恋人の一人もできなかった人は聞いたことがありません。もう、恋愛も結婚も無理だと思います。そして、もう残りのイベントは死だけだと思います。しかし、そのとても固定的な残りの人生をとてもつらく思っています。
一方、周りの人はほとんど結婚して子供もいます。先々いろいろあるかもしれませんが、幸せの選択肢を彼らはたくさん持っています。そして、私一人だけが残りの人生孤独が決まっています。
正直、周りの人たちが憎くてたまりません。私が生涯孤独ならば、人の結婚式はおろか、会社の飲み会にももう行きたくないのです。人の幸せを感じ、自分は一生孤独であることを自分自身で再認識することがつらくてたまりません。
ただ、問題も認識しています。どんな女性がいいのか?どんな結婚生活を送りたいのか?正直、あまりリアルに考えたことはありません。ですが、まず恋愛し、その人と一生いたいと自然にいたいなぁと思って結婚するということにあこがれるのは、40歳の老体にはあまりにセンチメンタリズムに過ぎるでしょうか?
お世話になっている精神科の先生には「宿命を受け入れなさい」と言われています。けど、私には生涯孤独を受け入れられそうにありません。
なぜ、「人が結婚していれば、あなたも結婚しなければならないか?」とこちらで言われました。ですが、人と同じくらいの幸せを私も得たいと思うのは私の煩悩でしょうか?
仮に残りの人生死しか待っていないとして、どのようにすれば死を受け入れられるでしょうか?もし、幸せになれないのであれば、、、、。消極的に死がやってくればいいのになぁとすら思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その自分のルールをやめてしまえば受け入れられる。
自分の人生を自分の思いで決めてかかっているように感じました。
こうだと決まっているに違いない。
こうあってほしいのに。
こうあればいいのに、そうならない。
自分の思い通りに行ってほしいのに、それがうまくいかない。
「あー、つまんねー、やめてやる。」
(・ω・)ノそりゃそうでしょう。最初から自分の期待や自分ルールを強く持っているからです。
あらかじめの決め事があなたの中で先に作られているのではないでしょうか?
それが、いつも先立っている。いつも先行している。
だから、自分の気に入る自分や自分の気に入る現実しか受け入れようとしなくなる。
そんなものはありゃしません。だから、自分を否定する。
自分を拒絶する。
本当に否定し、拒絶するべきは、その思い、自分の決めたルールでしょうに。
あなたの課題は「自分のルールを持たずに、ぶっつけ本番で台本無しで、出会い頭のままにそこを感受する」ことです。
そこであなたの望ましい事が起こらなくても、そこを親しむのです。
孤独ならば孤独でいいのです。
「ああ、孤独だ…」とネガティブにならずに「あー、彼女いなくて寂しー(笑)」くらいになれればいい。
それが結婚できない今の自分をそのまま受け入れることです。
受け入れたいわけじゃないでしょう。
反発感情がバンバン出てるんだからそこに正直になればイイ。
そういう感情も、自分ルールで無理矢理抑え込もうと「きめてかかる」あなたがいる。
それをやめてしまうことです。
どうせ、あとは死ぬしかイベントねーや。
そういうシケたものの見方もマイルールなのです。
そういうことをいうこと自体が自分を下げてしまう。
辛いことはツライでいいのです。そこに余分な自分の決め事、決まり事をその都度運んでこないようにしてみてください。
自分を介入させない。
自分の捉え方で世の中を観ない。
こういう回答でも、頂いた通りに、そのまま受ける。
いちいち枉げて解釈したり「でも」とか反発しない。
それがマイルールを介入させないことです。
「あ、そっか」でいいのです。
それが、その通りに一切をまず、スッポリと受け入れるラクショーなコツです。
これさえあれば、あれがないからとは考えない
みんながおかしがちな間違いは、「これさえあれば」と「あれさえなければ」の二つだと思います。かく言う私も「カネさえあれば」といつも思って生きています。良いのか悪いのか家庭があり子供がいれば金銭面の心配は絶対にしなければなりません。だからいつも「カネさえあれば」と思い続けることになります。
では、お金持ちがみな幸せかというとそうではないはずです。ことに持ちなれていない大金を急に手に入れた人たちがたいへんな目に遭っている事実はよく知られているとおりです。
また人生に「あれさえなければ」ということは確かにあります。彼に出会わなければ、あの出来事さえなければ、と私もよく思います。しかし、これも間違いです。お金の話と同じことです。
あなたが、結婚さえしていれば、彼女さえいれば、とお考えなのは私も男性なのでよく分かりますし、そうお考えになるのをやめろともいいません。素敵な伴侶と結ばれよい家庭を持ちたいと思わない人はたぶんごく少数だと思うからです。
そのうえで、仏教の立場でいわせてもらえば、「これさえあれば」「あれさえなければ」は間違いです。それは、結婚して後悔している人や、結婚生活が破たんした人たちがおびただしく多いことからも明らかです。だから難しいかもしれませんが結婚していないから生きている価値がない等という考えから離れてみることです。独身だけれど楽しく暮らしている人(数として多いのは女性ですが)をみれば、結婚だけが幸せでないともいえることが分かります。まずは独身か既婚かに関係なく、充実した人生はあるのだと思い、今を実りあるものにすることだと思います。そうでないとよい女性と巡り合うことも難しいとも思います。周囲の多くの人々に愛され、慕われるなら、生涯独身であっても幸せなのではないでしょうか。
両手両足がない、アメリカ人のニックさんという人がいます。http://grapee.jp/35496
彼は不可能だと思われるようなことを信念で可能にしてしまうんです。
例えば、携帯電話をかける。
一体、両手両足がなくて、そんなことができるんだろうか? と思われるかも知れません。
でも彼は、信念と訓練でやり遂げます。
人生の困難を「必ず達成できる」と信じ感謝していることで、そのような状況にしてしまいます。そんな彼にも夢がありました。それは、結婚することでした。
実は僕、それを聞いたときに無理かもなー、と思って、ちょっと心配していたんです。
そうしたら何と、5年後ぐらいには結婚していました。
「きっと自分にも、そういう相手が現れる」、「自分が幸せにできる人がいる」そう強く信じて、イメージして、実現する前から感謝していたんだろうな、と思います。
さて、世界に目を向ければ、タイなど東南アジアの国の田舎(チェンマイの奥とか)には、日本人の男性と結婚したいという女性がよくいます。
もちろん日本にだって、恋人がいなくて寂しく暮らしているだろう女性はいます。
ただ、あなたとまだうまく出会えていないだけで。
あなたも、「自分が(「自分を」でなく)幸せにしてあげられる女性がきっといる」そう信じて、何か人のためになること(災害ボランティア)とかおやりになっていたらいかがでしょうか?どこでどんなつながりができるかわかりません。
でもそのとき悲観的な暗い顔をしていたら、せっかく出逢いのチャンスがあっても生かせません。
人って、人のために何かをやっているときは、明るい良い顔になっていますから、そんな機会を自分に作るのも大事かな、と思います。やっぱり人って、明るい顔に惹かれますから、、、。
さて、僕が言いたいのは、まだ諦めるのは早いのではないか? ということです。
あなたの良き未来をお祈りします。
結婚がすべてではないです。
結婚してもうまくいくわけではないです。結婚すれば幸せなわけでもありません。逆に結婚しなくても幸せになれます。
人と比べて人と同じでないといけない。幸せになれないのであれば、全員幸せになれません。
しかし、実際は、一人ひとりみんな違う部分があり、それぞれ満ち足りています。まずは、人と比べる思考をやめましょう。恋愛や結婚だけではない満ち足りた生活というのもあると思います。仕事以外に趣味を持ち、趣味を充実させることもいいと思います。
自然体でいることで、出会いにつながることもあることでしょう。
結婚、恋愛がすべてという思考は極端すぎるように思います。
質問者からのお礼
皆様、いろいろとありがとうございます。
正直なかなかアドバイスが頭に入ってこないのです。
たとえば、
>それは、結婚して後悔している人や、結婚生活が破たんした人たちがおびただしく多いことからも明らかです。
正直、信じられないのです。こんな人生なら一生一人の方がましだったという話を聞きません。
>独身だけれど楽しく暮らしている人(数として多いのは女性ですが)をみれば、結婚だけが幸せでないともいえることが分かります。
これも信じられません。強がりでそう言い聞かせているのであれば信じられます。
>結婚、恋愛がすべてという思考は極端すぎるように思います。
極端ということがどうしても頭に入ってきません。孤独死関連の勉強もしますが、多くの人が結婚できなかったことについて最期まで苦悩していたということの方が非常によく耳にします。
私は自分に価値が感じられません。
むしろもがけばもがくほど自分の価値は下がる感覚を持ちます。周りから刺す目が増大します。
私がもがかなければ(安らかに孤独を受け入れ、墓の準備をする)、の頃の人生これ以上価値は下がらないが、生きている意味はあるでしょうか?
死は私を解放してくれるのではないか?最近そう思うようになってきました。