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人と話をしたあと、暗い気持ちになってしまいます。

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わたしは、人と話しをしたあと、必ず暗い気持ちになってしまいます。
「あのとき、ああいえばよかった」とか、「あの言葉は人を傷つけたんじゃないか」とか、いろいろと思い悩みます。
人と話しをしたあとも、気持ちが華やぐようなお言葉を教えていただきたいです。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一人反省会をやめましょう

人と話す前や、話した後に頭の中で、会話を練習したり、反省会をする癖がついてしまっているのでしょう。
私たちは、過去でも未来でもなく、今この瞬間を生きています。まず、その現実に気付きましょう。

今しか生きることができないのに、未来や過去のことを考えているのは、意味の無いことです。

人と会って話した後の反省会をまずはやめましょう。考え出してしまった時は、今の自分の姿の意識を向けてください。たとえば、車を運転していたら現在のその運転している手の動き、足の動き、景色、音などの様子に意識を向けていきましょう。

私も良く、一人で反省会を良くやっていました。「こう言えば良かったかも」「もしかしたら傷つけてしまったかも」など・・・
しかし、現実に気付き、過去のことを考えないようになったら、そのような反省会もすることはなくなりました。いまの自分の様子をよくよく観察することです。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

独り合点ではありませんか?

 邦元師も仰っていますが、「必ず」というのは本当でしょうか?たまにそういう時があって、クローズアップして「必ず」と感じてしまっているのでは?と、まずは思います。
 あなたが、そのような「一人反省会(By邦元師)」をするのは、いつからでしょうか。何か思い当たる事件がありましたか?「私の言い方が悪くて、相手を怒らせてしまった、困らせてしまった」、そんな相手からの指摘があったのでしょうね、きっと。そのショックが大きくて、未だに引きずってしまっている…のかな?と推測します。
 「人に対して、何かを話す」のが、億劫というかおっかなくなっていませんか?あなた自身は「勢いよく本音を言う、それだけが大事」と思い、「だって本当に、そう感じるんだもん」で全てを貫こう…という訳ではないのだろうと思います。仲良くやりたい、楽しくやりたい…そんな思いが、時として相手の心中を考えない発言になってしまう事が、あったのではないかと思います。(これも推測)
 次に「人と話をした後も、暗い気持ちにならない」事を考えてみます。会話の楽しみは、実は恐らく「話者」としての方が、簡単に味わえると思います。つまり、あなたが「気持ちよく話させてくれる相手(つまり、聞いてくれる人)」になれば、きっと「いい会話ができた」のです。一旦「聞き上手」を目指してみては如何でしょうか。そのポイントは、それこそウェブで見れば沢山見つかります。
 正直いいまして、「自分が喋って、しかも終えたときに華やかな気持ちになる」は、ちょっと望みすぎのように感じます。それは、「よい聞き手に出会い、聞いてもらえた」からであり、話した貴女の方が感謝すべきことである、ということです。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

相手の話を聴く。それも感心しながら、というのがあると良いですけど。
相手の気持ちを想像しながら聴く、というのも良いですね。
相手を賞賛する、も良い! 自分よりも相手中心で会話ができるようにする。
そうなるように、すこしずつしていく、というのはどうでしょう?
そうなれば、あなたに話しを聞いてもらった相手の人は、明るい気持ちになります。
相手が明るい気持ちになれば、もし仮に自分が暗い気持ちになっても、
まあそれでいいんじゃないですか?

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おきもち

僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動する指圧師、作家、音楽家。タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され世界各地で出版されている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8%E5%8F%8A が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります) なので、修行したい方、人のために涙する方、楽しいことが好きな方はぜひ来て来てください。あなたを歓迎します。 ※毎週、法話を配信しています。書き起こされた法話は、下記でご覧いただくことができます。 http://taosangha.com

自分を良く見せようとしない

自分からかまえ事や繕い事を外してみましょう。
本当の語らいって、本当の素の話し合いなのです。
気を使う人と話をするとかまえ事が生まれます。
作り事や装いや自分をより良く見せようとする心が働いてしまうのです。
素の自分でいることに勤めてください。
人間は一番なにもかまえ事が無い時にこそ最高の力を発揮するものです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

相手の気持ちを想像しながら聴く。
自分よりも相手中心で会話ができるようにする。
この2つのお言葉が心に深くしみわたりました。
すこしずつ、この2つを表現していきたいと思います。
そうですねぇ。相手の方が明るい気持ちになれば、わたしが暗い気持ちになっても、それはそれでいいですね。なんだか、心が整理できたような気がします。
遠藤喨及様。ありがとうございます。

邦元様と佐藤良文様のお言葉で、またまた元気がでてきました。
わたしが、一人反省会をするようになったのは、社会にでて働きだしたときからです。
わたしの一言で、相手の方を怒らせてしまって、そのことがあってから、相手の方がわたしを避けるようになってしまったことがあったんです。
わたしはすごくショックでした。
佐藤良文様のご推測どおりで、わたしは人と話しをするときは、仲良くやりたい、楽しくやりたいって思いながら人と話をしていました。
わたしは、相手の方のことをまったく思っていませんでした。
深く反省します。
これからは、一人反省会をやめて今を生きて、人に感謝の気持ちを忘れないように生きていこうと思います。
邦元様。佐藤良文様。ありがとうございました。

丹下覚元様のお言葉は、心に深く響きました。
かまえ事や繕い事はしてました。
これから、素の自分でいることに勤めます。
丹下覚元様。ありがとうございます。

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