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夫として

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有り難し有り難し 52

どうあるべきなのでしょうか?

私は林業の職についており、チェーンソー伐倒や刈り払い、機械の操作など、体力的にも辛く、機械となれば体がだるくなるくらい精神力を使い目ます。自分でいうのもなんですが私が人より仕事をこなさないと利益を上げることができません。危険もかなり伴うため、家に帰れば緊張がとぎれ、倒れこむことがしょっちゅう。しかし、私には生後まもない娘がおり、疲れてるなんて言ってられない。できる限り嫁の手助けをしてやりたいという気持ちで頑張っていますが、疲れて帰る私を嫁も嫁の家族も良くは思っていません。夜中娘が泣いても起きられなかったり、だるくて立ち上がるのもやっとだったり、家の中で千鳥足で歩くこともしょっちゅう。かと言って私が手を抜いて仕事をすれば家族を養っていけません。

俺は疲れてる、仕事を頑張ってるなんて絶対に主張したくない。けどお疲れ様の一言がただほしい。嫁を支えてやりたいのに嫁から心無い言葉や態度が出るとついカッとなってしまいます。嫁にも心の余裕がないことはわかっているのですがね

私の考えはただ甘えているだけなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夫婦として

ご相談拝読しました。

甘えているだけなんてことはないと思いますよ。お仕事を大変頑張っていらっしゃるのですね。いつも本当にお疲れ様です。
奥様はけいちゃんさんの頑張りをずっと見ているわけではないので中々伝わらないところもあるのでしょうね。
こればっかりはお話ししないと伝わりません。ここに相談いただいた通りに奥様にお伝えなさるときっとわかってくださると思いますよ。

んで、これはきっとお互い様なんです。育児って本当に大変ですよね。奥様が頑張っている姿をけいちゃんさんがずっと見ているわけではないですから、奥様は奥様でけいちゃんさんにわかってほしいことがあるのでしょうね。

お互いの立場を尊重しながら、せっかくの夫婦なので支え合いたいところですね。
なかなかじっくり時間をとることは難しいから、まずはけいちゃんさんの方から「育児どうだい?」「困っていることはないかい?」「もっとこうしてほしいとかないかい?」と奥様の話を聞いてみてはいかがでしょう。
その上で、今回お書きいただいたようなけいちゃんさんの思いも奥様に聞いていただいてはどうでしょう?

お互いがお互いの立場に代われたら本当に相手のことがわかるのですがこればっかりはそうもいきません。誰も代わりがきかないし、代わってあげられないんですね。代われないからこそ、精一杯相手の立場に思いを馳せる…夫婦ならなおさらです。

どちらから歩み寄るか?けいちゃんさんからそれができたらカッコイイのではないでしょうか?

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

その道の達人になってこそ家庭でのゆとりができる

あなたがさらに仕事のスキルが上達して力の抜けた仕事ができるようになっていることをイメージしてみましょう。その道の達人というのは仕事をこなすのに力が入っていないからこそ、魅力的なのです。
私のお寺も山寺なので草刈りやもものごとを無駄な力を使わないようにこなすように工夫します。
通常の雑巾がけは疲れますので、モップに転向。
箒で2時間かけて掃いていた庭掃除はブロワーで5~20分で終わるようになりました。
男というものはどこかに仕事魂、男魂があって、力を入れてやった方が充足感があり、やった感じがするというものがあるものです。
それ、やめちゃいましょう。
無駄なエネルギーを浪費するだけです。
芸術家も若い人は激しい、あっと言わせるような力の入った作品が多いものです。
奥さんが可愛い、子供が可愛いのであればこそ、エネルギーを奥さんとお子さんのために温存するべきです。
力の抜けた仕事。
力がぬけても、的確な仕事をする。
そういうスマートな仕事をできる自分にうっとりするくらいでよいでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

吉武師に同意

文面からは分からないのですが、「お互いに、昼間はどう過ごしているか分からない」というのが原因ではないかと思います。
お寺は基本夫婦共働きですが、「同じ職場」の同僚とも言えるわけで、声掛けあって協力して、お寺を回している実感があります。
なのでね…あなたの仕事場に、ご家族がちょっとでも見学に来ることはできませんか?もちろん危険は避けるべきですが、「お父さんはこうやって家族を養っている」ことは、リアルに知っていた方が良いと思いますよ。見学でなければ、仕事風景の写真とかでも。
一方それは、奥さんの子育てについても同じです。「子育てと家事、ありがとうな」と心から言える時、きっと「お仕事ありがとう」の重みも変わって来ると思います。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ