四十九日法要はお坊さんを呼ぶべきですか
はじめまして。
今月はじめに祖父がなくなり、9月中旬に家で四十九日法要をします。
しかし金銭面などの問題からお坊さんに読経して頂かないことにしようとしているのですがどうなのかと思い、質問させていただくことにしました。
生前から先祖供養として祖母がお経を朝晩読んでいたのでそれをききながら
「素人でも供養する気持ちが大事なんだよ」と祖父も言っていました。
生前のことを考えると祖母に読経してもらうのもいいと思うのですが四十九日が一番重要だそうなのでどうすれば良いと思われますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
菩提寺さんと相談してみましょう
檀家さんから「経済的に厳しい状況なので、四十九日を行うのが難しい。」という相談を受けたことがあります。特別な名案はありませんでしたが、「花も供物も簡素なものとし、食事等の接待を行わない。」「寺への御布施も無しで良いとは言えないが、無理の無い範囲で可能な金額で良いですよ。」と申し上げたことがありました。そして「仏壇用の位牌は百箇日以降でもやむを得ないです。出来る範囲で、身の丈に合った形で法要を勤めましょう。」と申し上げたことがあります。
用意したお花は一対で2000円ぐらいでした。お供物は、数百円ぐらいの物でした。お寺への御布施は、正確には覚えていませんが、5,000円ぐらいいただいたと思います。
これと同じようにして下さい、という意味ではありません。その地域その地域のしきたりがあり、その地域その地域の法要の勤め方があります。そのしきたりどおりに勤めたいと思っても、経済的な事情からその通りに出来ない場合もあります。その家、その家の可能な範囲でお勤めいただけば宜しいと思います。「たけまん」さんの菩提寺にさんに率直に家庭の経済状況を説明し、限られた予算の中でどのように勤めたら良いか、相談してみてください。
15年ほど前のことですが、或る檀家さんの四十九日法要の後、会食の席に招かれました。入院等医療費もかかり、仕事も苦しい状況であることを聞いていましたので、「こんな会食を無理してしなくても?」と思いながらも言葉にする訳にはいかず、有り難く頂戴しました。帰りに施主が車で送って下さったので、「経済的にたいへんだったら、お膳を用意しなくてもいいんですよ。」と申し上げたら、施主は「四十九日にはお膳を用意するもんだ、と親戚に強く言われたので用意しました。こんなことを言われるのなら、もう親戚とは付き合いたくありません。」と言ってました。こういう気持ちで四十九日法要してもらい、果たして故人は喜んでいるのでしょうか?施主としても親戚に言われ悩んだでしょうが、事前にお寺に相談して欲しかった。残念に思いました。
法要等のしきたりをうるさく言う方もいますが、無理することはありません。しきたり通り行うことが出来ないこともありますよ。自分の出来る範囲で、或る程度取捨選択して、心を込めて四十九日法要をお勤めください。
できる範囲最大限で
拝読させて頂きました。
お祖父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私も吉田師がおっしゃる通りできる範囲で心を込め皆さんでお勤めなさることでも良いと思います。
いずれにせよ菩提寺のご住職様にご相談なさってご判断なさってくださいね。
49日の法要は納骨や新しい漆塗りのお位牌の開眼供養もお勤めなさることが多いと思います。
ですからやはりその点ではご住職様にしっかりとお勤めなさって頂くことが望ましいと思います。
いずれにせよ菩提寺様と共にできる範囲で最大限に真心込めてお勤めなさってくださいね。
ゲストをおもてなしすることも功徳になる
経済的に可能なら、お坊さんに来てもらう方が良いかもしれません。
お坊さんをおもてなしする(供養する)という特別な行為(スペシャルゲストコーナー)には、それ自体に価値があるからです。
お坊さんを、お経を読んでもらったりするサービス業者として呼ぶのではなく、
お坊さんに「来てもらっておもてなしすること」が目的です。
普段やらないことをやることで、煩悩の壁を超える訓練になるのです。
仏教教団を応援することは、仏教を通して未来の多くの人々を救うことに寄与することになるので、お坊さんをおもてなしすることは善いことなのです。つまりは、あなたにとって善い訓練になるのです。
その訓練によって生じた功徳(善い心の種)を、亡き人のために回し向けるわけです。
できる範囲でかまわないのです。
しかし、お坊さんを呼べない場合は、ただ南無阿弥陀仏と念仏をとなえるだけでもかまいません。
念仏だけで充分救われます。(極楽浄土に往生できます。)
ただ、極楽浄土に往生した人をさらに応援するような功徳パワーを造り出すためには、
お坊さんを呼んだり特別な修行をしたりする方法もあるのです。