看取らず、葬式にも出ず。
夫は継父から幼少時は肉体的暴力、
大きくなってからは長年精神的暴力を振るわれてきました。
実母も継父の言うがまま、守ることもせず、家族の中で
血の繋がらない者としてずっと孤独でした。
その継父がもうすぐ死ぬそうです。
顔を見せてほしいと言われましたが、
もしお見舞いに行けば母や兄弟が
「この大変な時に今まで何やってたんだ!」と罵声を浴びせ、
それと同時に頼み事も沢山されるだろうと
顔を合わせればもっと後悔すると判断し連絡は無視しています。
夫は看取らず、葬儀にも出ないと決めましたが、
気持ちが追いつかない様子です。
単純に恨めたら楽なのに、長年共に暮らしてきた人だから
複雑だと言ってました。
どんな親でも見舞いにも、葬式にも出ない事について
仏教ではどのように教えてますか?罪ですか?
私は苦しむ夫にどう接し、支えていけば良いでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それも、御主人の選択です。
御主人、大変な思い、辛く苦しい思いをなされてこられましたね。
罪じゃ無いですよ。
ホトケ様が、罪だなんて言うと思いますか。
絶対に仰られるはづがありません。
式に出る、出ないはただの、形式でしかありませ。
心の中で、分かっているはづです。
一番辛い思いをなさっているのは、御主人です。
いまわ、どうぞ、寄り添ってあげてください。
悩み苦しみの原因を増やすのが「罪」
悩み苦しみの原因を増やすの行為が「罪」でしょうね。
そして、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩が悩み苦しみの原因なので、欲・怒り・怠け・プライドなどを増やすような行いが罪です。
例えば、怒れば怒るほど怒り癖がついて、悩み苦しみやすい性格になるので、怒るのは罪です。
葬式に行く行かないよりも、そのことについて怒ったり悲しんだり後悔したりするのが罪なのです。
行かないなら行かない、行くなら行く、どちらでも良いので、すっきりはつらつとした気分で決断してください。
この際、手紙でも書いて送ってみてはどうでしょうか。
あなたが旦那さんにしてあげることは、旦那さんの決断を認め許してあげることと、思考の堂々巡りから脱却させてあげることではないでしょうか。
いくら考えても仕方ないことをグルグルと思い続けるのは、悩み苦しみの原因になります。
例えば、辛かった過去を何百回思い出しても、脳内のストレスが増えるだけで、過去は変わらないのです。
考えても仕方ないことは考えない。
これを旦那さんに気付かせるようにしてください。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
長谷雄蓮華様
私どもの心に寄り添っていただき、ありがとうございます。
おそらく周りが私どもの選択に対し色々非難するかと思いますが
お坊様からの罪ではないと言うお言葉、とても心強いです。
私どもは元々演芸が好きなので、ユーモアの心を忘れず
いつの日かご住職の高座を拝聴できるよう前に進んでいきます。
願誉浄史様
悩み苦しみの原因を増やすのが「罪」
ハッとしました。気付きをありがとうございます。
このままずっと辛い気分に呑み込まれたら心にも身体にも毒ですよね。
所謂「毒親問題」は親の死後も付きまとうと言われ
今でも夫がフラッシュバックに苦しむ姿を見ると辛いですが
とにかく受け入れ、寄り添う事に努めたいと思います。
今後の接触は一切断つという方向に迷いは無いようなので
そこは安心して見ています。