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看取らず、葬式にも出ず。

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有り難し有り難し 30

夫は継父から幼少時は肉体的暴力、
大きくなってからは長年精神的暴力を振るわれてきました。
実母も継父の言うがまま、守ることもせず、家族の中で
血の繋がらない者としてずっと孤独でした。
その継父がもうすぐ死ぬそうです。

顔を見せてほしいと言われましたが、
もしお見舞いに行けば母や兄弟が
「この大変な時に今まで何やってたんだ!」と罵声を浴びせ、
それと同時に頼み事も沢山されるだろうと
顔を合わせればもっと後悔すると判断し連絡は無視しています。

夫は看取らず、葬儀にも出ないと決めましたが、
気持ちが追いつかない様子です。
単純に恨めたら楽なのに、長年共に暮らしてきた人だから
複雑だと言ってました。

どんな親でも見舞いにも、葬式にも出ない事について
仏教ではどのように教えてますか?罪ですか?
私は苦しむ夫にどう接し、支えていけば良いでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それも、御主人の選択です。

御主人、大変な思い、辛く苦しい思いをなされてこられましたね。

罪じゃ無いですよ。

ホトケ様が、罪だなんて言うと思いますか。

絶対に仰られるはづがありません。

式に出る、出ないはただの、形式でしかありませ。

心の中で、分かっているはづです。

一番辛い思いをなさっているのは、御主人です。

いまわ、どうぞ、寄り添ってあげてください。

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有り難し
おきもち

長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...
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悩み苦しみの原因を増やすのが「罪」

悩み苦しみの原因を増やすの行為が「罪」でしょうね。
そして、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩が悩み苦しみの原因なので、欲・怒り・怠け・プライドなどを増やすような行いが罪です。
例えば、怒れば怒るほど怒り癖がついて、悩み苦しみやすい性格になるので、怒るのは罪です。
葬式に行く行かないよりも、そのことについて怒ったり悲しんだり後悔したりするのが罪なのです。
行かないなら行かない、行くなら行く、どちらでも良いので、すっきりはつらつとした気分で決断してください。
この際、手紙でも書いて送ってみてはどうでしょうか。

あなたが旦那さんにしてあげることは、旦那さんの決断を認め許してあげることと、思考の堂々巡りから脱却させてあげることではないでしょうか。
いくら考えても仕方ないことをグルグルと思い続けるのは、悩み苦しみの原因になります。
例えば、辛かった過去を何百回思い出しても、脳内のストレスが増えるだけで、過去は変わらないのです。
考えても仕方ないことは考えない。
これを旦那さんに気付かせるようにしてください。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

長谷雄蓮華様

私どもの心に寄り添っていただき、ありがとうございます。
おそらく周りが私どもの選択に対し色々非難するかと思いますが
お坊様からの罪ではないと言うお言葉、とても心強いです。
私どもは元々演芸が好きなので、ユーモアの心を忘れず
いつの日かご住職の高座を拝聴できるよう前に進んでいきます。

願誉浄史様

悩み苦しみの原因を増やすのが「罪」
ハッとしました。気付きをありがとうございます。
このままずっと辛い気分に呑み込まれたら心にも身体にも毒ですよね。
所謂「毒親問題」は親の死後も付きまとうと言われ
今でも夫がフラッシュバックに苦しむ姿を見ると辛いですが
とにかく受け入れ、寄り添う事に努めたいと思います。
今後の接触は一切断つという方向に迷いは無いようなので
そこは安心して見ています。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ